私がなぜ吉村作治を許せないかを書いておく。その2

長くなったので続き。

前の部分で「吉村作治の言ってる内容が出鱈目だ」と書いたが、全て出鱈目というわけではない。時々まともなことも言う。ヌビア遺跡の保存についてコラムを書いたり、カイロ考古学博物館のミイラ室の開放について現在とは正反対の立場で意見を述べているものがあったりする。

 しかし私には、それが彼の本心なのか、
 本当にご自分で書かれたものなのかを確かめるすべが無い。

本人はテレビやコマーシャルに出ずっぱりで、エジプトにも行って、学会に出席したり授業をやったり多忙な状態にある。現在出版されている「著・吉村」となっている本のすべてを書く時間があったとは到底思えない。「監修・吉村」ならば本人は目も通さず、名前だけ貸していると思っている。前書きとあとがきだけ数ページ書けばいいだけだから、楽な仕事だろう。
事実がどうあれ、同じ一人の人間が書いたことになっているのに、本ごとに、全く正反対の意見を述べているものが存在するのは見てもらえば分かる。まあ、途中で意見変わったのかもしれないから、それだけでは決定的な証拠にはならないのだが。


これでも、吉村氏の本を昔はよく読んだものだ。
松本先生がやろく出版を作るまでは、エジプト本を探すのに苦労したから、手に入りやすいのは一番に吉村氏の本だった。子供の頃に読んだ本はそんなにおかしな内容では無かったように思う。(自分の知識が今ほど無かったからかもしれないが)

当時はハマッた。よく分からないが頑張っている学者さんなんだろうと思っていた。
だからこそ、ふと気がつくとホラ吹き親父になっていた吉村氏の姿が見るに耐えない。


もっとも、予兆はあったのだ。
むかしピラミッドの特番で、吉村氏がピラミッドパワーについて語り、霊能者を呼んできた時に、何かがおかしいと薄っすらと思った。あの頃から吉村氏をテレビでよく見かけるようになった。コマーシャルにも出るようになり、…
あれ? この人はいつ発掘したり研究したりしているんだ? これではまるでテレビタレントだな。と、疑問を覚えるようになっていった。

それが、今からだいたい10年くらい前だったと思う。あの頃に見た霊能者と競演しているテレビ番組が、ギボアイコと出演した特番だったことは、つい最近知った(笑)



今現在、吉村氏の語る内容は、これまでの蓄積もあってほとんど信用ならないと私は思っている。
たとえば、どんな出鱈目を言っていたかの例を挙げる。前後がないと分かりにくいかもしれないが、前後まで抜き出すと長くなるのでここでは短くしておく。これらはサイト内で過去にネタにしたことのある部分だ。


 「エジプトでは、王以外は神にはなれない。」
…イムホテプはどうするんだ。あと、カエムワセト。

 「灯台の起源はエジプト」
…”ファロス”という単語が英語やフランス語の灯台という単語になっただけだが。

 「ステーキは骨付き肉のステッキから来ている。だから起源はエジプト」
…供物の牛のもも肉のことかもしれない。意味不明。

 「ティイ王妃は顔が黒いからヌビア人」
…別の番組ではメソポタミア人と言っていた(笑) 根拠が分からない。

 「セトの像です(と、アメン神を提示)」
…アメンとセトの習合した像だったんだと思う。が、それはセトじゃない。



まあ、こんな感じの内容がボロボロ出てくる。

これらについて、ソースは、出せるものと出せないものがある。テレビでちらっと見ただけのものはどの番組のどの発言とは言えない。が、本など著作物として残っているものについては、それぞれのソースは出せる。
あとはもちろん、ツタンカーメンのヤグルマギクの話なんかもツッコミどころ満載の話だ。学者として、これだけムチャクチャを公の場で発言していれば、そりゃ信頼出来なくなるのも仕方が無いだろう。

その他、「それはどうなんだ。」と言いたくなる行動の数々を列挙しておく。



■何故、知りもしない話をしたがるのか

このコラムを書こうとするまですっかり忘れていたのだが、吉村氏はマヤ・インカや北欧神話、インド神話などについても語ってくれている。(株)アケト主催の「吉村作治といく北欧の旅」ツアーに始まり、ありがたいことに本まで出してくれている。
もちろん、知りもしない、おそらく愛もないだろう文明について語った内容は、それはすばらしい出来ばえであったようだ。

吉村作治の文明探検 (3)

「お金を稼ぐため」なら、自分の専門ジャンル外にまでちょっかいをかけて、適当にうんちくを垂れても構わないというのが、この方の理屈なのだろうか。
誤った知識を振りまこうが、分かっている人から睨まれようが、とりあえずウケ狙いで金が稼げればいいや。という態度が、ここにも透けているように思える。



■実際に発掘しているのは吉村氏ではないわけだが

上のほうで、「テレビやコマーシャルに出ずっぱりで、エジプトにも行って、学会に出席したり授業をやったり多忙な状態」と書いた。そのとおり、吉村氏は発掘シーズンにずっとエジプトにいるわけではない。故・川村喜一先生の時代も発掘現場のマネージャーとして活動していたようだから、今もバックサポートや各種交渉をやっているのかもしれない。もちろん視察もするだろうが。

では、日々現場で汗水を垂らして過酷な労働をしているのは誰か、ということだ。

たとえばセヌウのミイラマスクだ。華々しく「吉村作治が発見!」といわれているが、実際にその棺を掘り出したのは吉村氏ではないだろう。その現場を現地で指揮していたのは、どういう人たちなのか。吉村氏以外は存在すらもよく分からない。

発掘や研究は、一人で出来るものではない。にもかかわらず、吉村氏が誰かに感謝の意を表明したり、協力者として個人名を挙げて賞賛するのを見た覚えが無い。(エジプト政府に対して、とか、ザヒ・ハワス博士に対して、というのは見たことがあるが^^)
もしかしたら意図的にそういうことを表に出さないようにしているのかもしれないが、しかしそれにしたって目立ちすぎではないか?

発掘の成果は、個人の手柄ではないだろう。チーム全体の成果だ。
それとも、頭の悪い一般人に分かりやすく説明するには、誰か勇者様を立てて、その人を崇め奉るように仕向けたほうが都合がいいということなのか。
どれだけ成果を出しても吉村氏の手柄としてしか宣伝されないのだったら、下につく人たちはやってられないんじゃないだろうか。



■見栄えのいいものしか宣伝しないのは何故だ

ひとつ上の項目とも絡むが、吉村氏が一般に宣伝する成果は「xxを発見しました!」ばかりだ。
だが考古学は宝探しではないはずだ。(このあたりの疑問は、以前、別エントリで書いた)

本当の考古学の成果は、何か見つけてそこで終わりではないだろう。セヌウのミイラマスクは確かに美しい。美しいが、それは一体どういう意味を持つのか。死者の眠りを妨げてまで、それを掘り出して知ろうとしたことは何なのか?
それを言わなければ、発掘を、宝探しと勘違いした人が増えてしまう。考古学の存在意義そのものが誤解されてしまうことにもなりかねないと思うのだが。

確かに、美しい発見物は分かりやすいし簡単に興味を引くことが出来る。ただしそれは、一時的で安っぽいブームにしかならないんじゃないのか。一般人のレベルを下げている一つの原因は、ここにあると思う。


1から3まで、延々と理由を挙げて来たが、まあ、吉村作治というエセ学者に対する文句と非難は、山ほどある。
私は人格攻撃などしていない。学者としての実績に絞って「このオッサンのやってることは言われているほど凄くない上に間違いだらけだ」と言ってるわけなんだから、誰にも文句を言われる筋合いはないぜ。文句を言うなら私の間違いを指摘してみてくれ。そしてこの人の業績を援護してみるといい。(根本的に間違っている説は、まっとうな方法では援護できない!)


では最後に、このブログを開設してから一番最初の記事にリンクを貼っておく。
マスコミに作られた偽の「権威」に終焉を。本気でそう願う日が訪れた

記事タイトルは、この時に読んだ「偽学位が許せない」という方のブログからいただいた。
自分のためだけじゃない。同じ道をこれから歩む後輩たちのため、同じものを好きになった/なってくれる人たちのために、私は幾らでも声を上げるよ。
俺らは、騙されて喜ぶ頭の悪いパトロンじゃない。


彼の業績のすべてを否定はしない。だが、業績以上に悪影響と失態のマイナスが大きすぎる。
将来、日本で考古学の地位が高まったとき、あるいは一般大衆の認知レベルが上がったときに、自分の安っぽい仕事が次の世代の足を引っ張るとは、考えないのかな? 

吉村氏も、彼を援護する人たちも、自分たちと業界の将来を、もっと真剣に心配するべきだ。
かつてゴッドハンドと呼ばれた考古学者(藤村氏)を自浄できなかったように、今回もどうしようもなくなるまで放置するつもりなのだろうか。