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zoom RSS 日本におけるエジプト学のはじまりと歴史

<<   作成日時 : 2008/03/04 07:23   >>

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「エジプト学夜話」で酒井氏は、日本におけるエジプト学の始まりを昭和15年としています。

これについて門外漢の私がどうこう言えるわけではなく、他の学者さんがどう認識しているのか等は存じ上げませんが、意外にこの部分に触れている本は少ない気がするので、要約だけ流しておきます。

最初に断っておくと、歴史とは認識する者によって描き出される形が異なります。

ある行動をとった人がいたとして、その行動の理由、意図するところは、ほかの人間には、ことによると本人にすら、完全には分かりません。なにを基準とし、どう判断するかは、その出来事を見る人次第です。

従って、ここで触れる「日本におけるエジプト学の歴史」とは、私がこれまでに触れてきた中で認識しているものに過ぎません。また、重要に思う出来事も他の人とは異なるでしょう。
ですので、異論があるならば、どうぞ年表は作り直して下さい。

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1822年(文政5年) シャンポリオンによるヒエログリフ解読

1862年(文久2年) 江戸幕府から派遣された使節団による最初にエジプトを見た日本人の記録。

1873年(明治6年) 青木輔清「萬國綺談 世界七不思議」の中でエジプトとピラミッドに関する初期の言及がみられる。ピラミッドの和語は「石塚」であった。

1917年(大正6年) 東京にバビロン学会が誕生。

1920年(大正9年) 田中達 訳 「死者之書

1922年(大正11年) ツタンカーメン墓の発見、エジプト学ブームが起こり世界中で多数の本が刊行される。

1937年(昭和12年) 高崎昇 著 「古代エジプトの数学」

<<1939年 第二次世界大戦が勃発>>

1940年(昭和15年) 岡島誠太郎 著 「埃及語小事典」(日本語による初のエジプト語辞典)  「エジプト史」(初の本格的なエジプト史資料)

1942年(昭和17年) 岡島誠太郎 著 「コプト語小事典」、野上富一郎 著 「クレオパトラ」

<<1945年 第二次世界大戦が終戦>>

1954年(昭和29年) 三笠宮殿下を会長として、日本オリエント学会設立。

1965年(昭和40年)  日本でツタンカーメン展が開催される。

1972年(昭和47年) 早稲田大学によるエジプト発掘開始。

1973年(昭和48年) 早稲田隊によってテーベ対岸でアメンヘテプ三世時代の彩色階段が発掘され、日本の発掘隊の名が知られるようになる。

<<1970年代後半 ピラミッド・パワーブーム>>

1985年(昭和59年) 日本が「魚の丘」マルカタ王宮の発掘権を獲得、渡辺保忠氏が現場指揮(この時に発見されたわけではなく遺跡の発掘開始自体は1888年)。※

<<1990年代後半 グラハム・ハンコック、超古代文明ブーム>>

○21世紀、そして今へ続く。

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画像「萬國綺談」より。



最近出た本を手にしたなら、参考資料や引用元になっている本を見て、それを探してみてください。その本より前に出版された本あるいは書かれた論文が見つかるはずです。
で、その見つけたものから、さらに参考資料や引用元を見る。
それを探す。
以上を繰り返していくと辿り着く場所、それがはじまりの人々です。

戦前、または戦中に日本でエジプト学を始めるきっかけをつくった岡島氏などは、たどれる限り辿ってみたときに行き着く人でもあります。

それ以外にも、自分がエジプトというものに興味を持ってから辿ってきた道の途中で出会い、行く先を教えてくれた先人達は、おそらく、他の同じ興味を抱く方々にとっても重要でしょう。
たとえば杉勇氏や矢島文夫氏)もまた、重要な本、資料を出されており、資料をあさっていると一度は出会うはずの名前あり、この年表をさらに詳細にするならば、そこに書き加えたい名前です。

もちろん、他にも沢山…


伝えたいことはただひとつ、現在のエジプト学は、それを支えてきた多くの研究者の功績によるものである、ということです。
「日本でエジプト考古学の社会的認知度を高めた人々」が誰だったのか、不適切な個人にその栄誉を与えることもないでしょう。

また、戦前戦後の苦しい時期にも、研究資金がなくても、知名度が低くても、エジプト学は続けられていた人たちがいた、ということは忘れるべきできないと思います。
「考古学にはカネがかかるから、カネが無ければ活動は出来ない」というのも、果たして本当なのかどうか。それは一つの見方ではあるけれど、偏りすぎてはいないのか。
ま、昔は発掘しに現地まで行くことはなかったわけで、現地に行くほうがお金がかかるのは否定しませんが。




渡辺保忠氏の後任が吉村作治氏のようです。
テーベ対岸での発掘に関する報告(紀要)は共著で、単独で書いているのが「はじめに」だけなので、引き継いだ仕事をどの程度こなされたのかが分かりませんでした。
この場所の発掘に関する重要な論文も学術書も見つからず。

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