吉村作治は、「太陽の船」を発見していない。

多分、専門でやっている人ならみんな知ってるはずだし、敢えて言わないだけだと思うけど、なんかもういっちゃえな気分になったので、ひとつ記事にしたためる。


吉村作治のWikipediaの項目を確認すると、こんなふうにかかれていました。

"1987年にはギザのクフ王のピラミッド内に未知の空間を見つけ、続いてその南側で第二の「太陽の船」を発見。"

これは大ウソ。
本人も故意に誤解を招くような言い方をするし、細かいところをぼやかして言うから誤解している人が多いんですが、実際は、こうです。


●「太陽の船」は1954年にエジプト考古庁によって発見されていた。付近に同様の上部構造があったことから、その下にもう一隻の船があるということは当初から予測されていて、それについて電磁波地中レーダーで地上から作業を行ったのが早稲田の調査室。


●ピラミッド内部の未知の空間は1986年にフランスの調査隊によって報告されていた。電磁波地中レーダーでその成果を確認したのが早稲田の調査室。


 確認作業しか していません。


どっちも吉村氏が最初に発見したものではないんですよね^^;
「このへんに在るであろう」ということは分かっていた存在を、当時としてはまだ珍しかったハイテク機器を使って、改めて確認しただけの状態を「発見」と言うでしょうか。チンして添付のソースを加えるだけで完成する状態になったレトルト食品を作ったところで、「料理したのは私だ」と言えるでしょうか?

しかし、まぁ、サイバー大学で本人確認が進んでいなかった件も「確認に協力しなかった生徒が悪い」らしいですし、この件も、勝手に勘違いした一般人が悪いのでしょうね。

それなら、一般の認識があらたまるよう、お手伝いしましょう。



【太陽の船について】


まず、現在、ピラミッド横の「太陽の船の博物館(Solar Boat Museum)」で復元された姿が公開されているのが、1954年に発見された第一の船。

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*これが復元の完了している第一の船です。


この船が見つかったとき、その西側に、同じような石の蓋(船を収めた穴にかぶせたもの)が見つかり、その下にもう一隻あるのではないかというのが予測されていました。

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資金難や、「同じものが二つあってもしょうがないだろー」という理由からその後しばらく放置が続きますが、1985年にナショナル・ジオグラフィック協会とエジプト考古学協会の合同チームが第二の船の穴に入って調査し、その下に解体された木片が散らばっていることを確認しています。電磁波レーダーで地上から船の全体像を明らかにしたのが、その2年後に行われた1987年の早稲田の調査。次の調査報告にも書かれています。


このうちの一隻(以下「第一の船」)は1954年に発見された。船は649の部材に分解され、良好な保存状態で石坑内に収納されていた。エジプト考古庁は28年の歳月をかけて発掘、復原を行い、「第一の船」(全長42.32m、最大幅5.66m)を蘇らせた。

<中略>

一方、「第二の船」に関しては、早稲田大学エジプト調査室が1987年、電磁波レーダーを用いた地中探査により、「第一の船」石坑脇の同様の石坑内に木材反応を確認、翌年アメリカ隊が石坑内部を小型機器で視認した。


古代エジプト「クフ王の船」に関する復原的研究・その1 ~「クフ王の第一の船」部材から新たに発見されたヒエラティック文字について~<日本建築学会大会学術公演梗概集 1996年9月>
*Firstは吉村作治氏です。ご自分の名前で出した資料なら文句ないですよね^^


木片が石の蓋の下にあることを確認したのは別のチーム。
電磁波レーダーで「全体像を明らかにした」、つまりその木片がまとまった巨大なものであり、船である可能性が高いことを証明したのが早稲田のチーム。
さらに、そのあとで木片を目視するためにアメリカチームが土の中に小型カメラを突っ込みました、と。
この流れの中で早稲田(吉村氏)のチームが果たした役割は「発見」ではなく「確認」ですよね。どう見ても。

石坑内から木片を取り上げて、そこに書かれている文字(組み立ての指標となる)や材質を検証する、という調査は吉村氏のチームがやっていたようですが…。



【ピラミッド内部の空間について】

上記、太陽の船について地上から確認したのと同時期に、ピラミッド内部に未知の空間がないかについて調査したことが「モダンテクノロジーの考古学に於ける応用 -早稲田大学古代エジプト調査隊の例- <1993年/早稲田大学人間科学研究 第6巻 第一号 1993年>」にて触れられています。
*こちらは吉村氏の単著です。

ピラミッド内部についても、同じ電磁波地中レーダーによる調査で、1987年に行われています。

女王の間に続く通路は、幅1.1mなので、アンテナ部分が通常に進めず、板の上に乗せて紐で引っ張った。木の板は表面の反対を吸収し、結果的に良い効果だったので、改良機は木の板を下部につけることも考えることとした。通路東側から25cmのところに1本と、両側から25cmのところに測定線を作り、ゼロ地点を女王の間から4mの段差のところに決め、大回廊口の方へ26m移動させた。出発点から14mのところから、3mに渡って床下1.5mのところから空間が出、その下、約2.5~3mに渡って空間が広がっている。

下部が確定しない理由は、もっと深いか下底部に何か存在するかである。空間は砂の反応が見られた。この反応は西側線に深く、東側線は弱いので、中央から西側に向かっているとみられ、側壁の下に続いている可能性が高い。この地点はフランス隊がボーリングをしたところと一致している。尚、側壁は深さ5m内には空間や異物の反応はない。



見つかった空間については、明確に「フランス隊がボーリング調査を…」と言っているわけで、新発見ではありません。

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この総論が出されたのと同じ1993年には、「女王の間」と呼ばれる部屋から伸びるシャフトの先に未知の空間があるのではないか? ということで、ドイツのロボット工学者ルドルフ・ガンデルリンクが超小型ロボット「ウプアウト」を使って調査を行っており、ちょうど、ハイテク機器を使えばピラミッドの中に隠された王の埋葬室が見つかるんじゃないのかと期待が高まっていた時期です。

結果、そのハイテク機器を使った調査から、「ピラミッド内部には埋葬室と疑われる部屋はない」=ピラミッド本体は王の墓ではない という結論に至り、現在の、「墓ではなく墓標、地表に見えていないピラミッドの地下部分が本命」という流れにつながったんだと思われます。


余談ですが、この報告、「ピラミッドの南側の調査」として、

第三にその側線の西端15mのところにが3m、長さ2mのピットが発見された。その深さは3-5mでピラミッド本体の下へと続くように見えるが、これは明確ではない。ピット全体は砂で埋もれており、底面が確定できない理由はわからない。これは外部からピラミッド本体の下に入るトンネル状のものと考えることは出来るが、計測器の限界で確認することは出来なかった。


という記述があるのですが、…むしろ、ここをもっと詳しく調べておけば良かったんじゃないのかな…。^^;;

近年テレビでも取り上げられるようになりましたが、ピラミッド下部へつながっていると疑われるトンネルは実際に存在しています。
クフ王の母と思われるヘテプヘレス王妃の棺も地中深くから見つかっているわけだし、ギザ大地の墓としての役割の本体は「地下」が本命だと考えたほうが良かったのでは。



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と、いうわけで、この人の経歴は、自説と同じく、都合の悪いことは隠し、ミスリードしようとして事実をかなり都合よく脚色したものです。

*太陽の船あたりは誰かに指摘されたのか、最近の経歴には書かれていないみたいですけどね…

こういう「叩き」に見える記事を書くと、どうせ嫉妬だろうとか言われそうですが、嫉妬というのは自分がうらやむような人、欲しいと思うものを持っている人などに対して抱くものですよね?
大変申し訳ないのですが、正直、吉村氏は嫉妬するようなものを持っていらっしゃいません。地位も金も特に欲しいとは思わないし、偽りの栄光なんて直ぐに消えてしまうものだし…。

私は専門家じゃなく只の好事家なので学会で鉢合わせることもなく、出世を握られることもなく、個人的な恨みもありません^^
恨みがあるとすれば、適当なホラをテレビで流しまくってくれたお陰で、自分より後からエジプトに興味を持つ人たちが「ピラミッドは王の墓ではない」とか「ツタンカーメンは暗殺された」とか思いこんでいて、訂正するのが大変ということくらいか。

やった仕事の内容は紀要なり論文(1つしかないけど)なりを読めば誰でも確認できます。
信じられないならご自分でご確認ください。出典元は書きましたので。


★関連:クフ王の「太陽の船」復元について <太陽の船ではない可能性を、お忘れなく!>