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zoom RSS 日本人は何故、日記を書きたがるのか。日記文学と日本人「百代の過客」

<<   作成日時 : 2018/05/09 00:10   >>

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タイトルの「百代の過客」とは、松尾芭蕉の「おくのほそ道」に登場するあまりにも有名な一節、

 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也

から来ている。著者は松尾芭蕉を愛読しており、この言葉の意味を熟知していてタイトルにつけたようだ。「百代の過客 日記に見る日本人」、この本は第二次世界大戦中に戦死した日本人兵士の日記を解読して軍事情報を読み取ろうとしていたアメリカ人が、「なぜ日本人はこんなに日記をつけたがるのか」から始まり、日本特有の日記文学へと深く踏み込んでいった研究成果となっている。

百代の過客 日記にみる日本人 (講談社学術文庫)
講談社
ドナルド・キーン

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第二次世界大戦の話から始まることでわかるとおり、著者ドナルド・キーンは既に90歳を越えている。それでありながら、東日本大震災の年に日本に帰化したというから、恐るべきエネルギーの持ち主だ。そして、この本全編に渡る膨大な日本文学と、日本文学と比較されている西洋文学の読み込み具合からも、そのエネルギーは見て取れる。

戦争の話はごく僅かで、ほぼ全編に渡って日記文学の紹介と感想である。なので、普段なら自分はこの本を手にとることはなかったと思う。たまたま直前に、自衛隊の日報が日記として結構面白い、という話題が出回っていたので、同じように戦場において日記を書き続けた第二次世界大戦中の日本人兵士の話を最初に書いていたこの本を読んで見る気になったのだ。本との縁とは、いつも不思議なものである。


見出しには、扱われている古典文学のタイトルがずらりと並ぶ。
義務教育で倣うから、さすがに誰でも、この中のいくつかくらいは、タイトルを知っていると思う。しかし全部知っている人はおそらくほとんどいないだろう。まして、中身まで知っているものがいくらあるかと聞かれると…。著者は全て読み、特徴を的確に捉えて感想を述べている。その視点は外国人らしく、今まで自分の思いつかなかったようなものが多い。

たとえば、嫉妬に狂う平安王朝の宮廷の女たちは、なぜヨーロッパの王宮のように、もっと直接的な方法をとらなかったのか、という疑問。(密かに呪いをかけることはあっても、毒殺などの手段には訴えない)

日記文学の著者は、その日記を何のために書き、誰に読ませたかったのか、ということ。

旅日記は必ず景勝地を訪れ、過去を追体験しようとする。新しいものを見出そうとしない。何故なのか。ということ。

著者は全般を通して、日記文学の中に垣間見える書き手の人間性を探ろうとしている。そしてその中に、世界大戦中に日記を書き残し、死んでいった兵士たちと同じものを見出そうとしている。千年の時を越えて、日本人はずっと日記を書き続けてきた。そして日記を通して、遠い未来の人間に、何かを伝えるでもなく伝えてきたのだろう。


"日記作者こそ、まことに「百代の過客」、永遠の旅人にほかならない。彼らの言葉は、何世紀という時を隔てて、今なお私たちの胸に届いて来る。そして私たちを、彼らの親しい友としてくれるのである。"

-「終わりに」より


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