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zoom RSS 「差別がなくなる」とはどういうことか

<<   作成日時 : 2018/04/20 00:10   >>

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部落のような身分、性的な志向での少数者、身体障害や難病、東日本大震災後の福島に対する扱いなど、何に対してでもいいが、「差別」があると問題視されることのある事項について考えてもらいたい。それらの「差別」は、問題視されているからには、差別を解消しようとする社会的な動きがあるはずである。目的は「差別をなくす」ことであるはずだ。では、その「差別がなくなる」とは、具体的にどういう状況だろうか?

 差別がなくなる、とは、差が意識されなくなることである。

つまり「そのようなあるのは判っているけど、大っぴらに口にされることなく、特に構えて意識されることもない状態」、である。これは、無関心や無知を意味しない。知っているが、特に気にするものでもないから受け流される、という状態である。逆に、違いを「意識され続ける」のは、差別されているのと変わらない。

何が言いたいかというと、「過去にこういうことがあった」「彼らは普通とは違うものである」と理由をつけ、「だから特別扱いしなければならない」というのは、問題となっている差別の生まれる構造と全く同じだということである。たとえそれが、善意から出たものであっても、だ。

差別される当事者ではない側の人間が「我々」と「彼ら」を区別して、「彼らは我々とは違う」と規定してはいけない。それは差別の問題を声高に叫ぶほどに差別が再生産されている という状況である。

 …これ、わりと気がつかずに善意のつもりでやってる人いるけど。
 …場合によっては、とてつもなく残酷なことをしてるからね?



差別されたくない、と考えている当事者たちは、特別扱いをされたくない。
"普通"に、自分たちと同じものとして扱うことが「差別を無くす」ということになる。
当事者ではない者がひたすら問題点をあげつらい、「だから彼らは特別なんだ」と叫ぶのは逆のことをしてるんだ。

善意で舗装された地獄への道を作るのはもうやめよう? 伝われ。


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