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zoom RSS 「メムノンの巨像」は王の名前メリ・アメンから来たかもしれない――王の谷の落書きから見る古代の観光事情

<<   作成日時 : 2018/03/08 00:10   >>

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エジプトの遺跡の多くは古代から既に観光地として知られており、古くは紀元前のギリシャ語やラテン語、コプト語の落書きも見つかっている。現代なら遺跡に落書きすることはご法度だが、古代にはそんな概念もなく、二千年以上が経過した現在となっては、かつての落書きは当時の人々の見ていたものを知る一級資料になっていたりする。

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で、その落書きを集めた研究も多少あったりするのだが、あさってたら面白そうなネタを見つけた。
エジフトのテーベ対岸にある「メムノンの巨像」(アメンヘテプ3世の巨大な座像)がメムノンの名を冠されるようになったのは、別の王の即位名「メリ・アメン」が訛ったものではないか、という説である。

メムノンとはトロイ戦争で活躍する英雄の一人で、暁の女神エオスの息子。詳しい説明はギリシャ神話で探していただくとして、そのメムノンがどういうわけかエジプトのテーベ対岸に鎮座する巨像だという伝説が古代からあったのだ。石の内部に亀裂があり、かつては朝になって太陽の熱を浴びると温度差で割れ目が軋むような音を立てていたという。そのため、「余明けとともに母であるエオスに挨拶しているのだ」という伝説になったとされる。

しかし、像がメムノンと呼ばれるようになったのには、もう一つ理由があるかもしれない。
すぐ西側の「王家の谷」にある王たちの墓の中に、メリアメンの名を持つ王の墓があった。そのため、墓と像がセットで伝説と結び付けられたのではないか、というのだ。

説の根拠となっているのは、ラメセス6世の墓の中に書かれた大量の落書きの中にメムノンの伝説に関するものがあることだ。王家の谷の王墓のうち、ラメセス3世から始まる「ラメセス王朝(第20王朝)」の墓の多くは、プトレマイオス王朝の時代には既に開かれ、多くの観光客の訪れるところになっていた。ラメセス5世・6世の墓 KV9 もその一つである。

KV9墓には王家の谷で見られる古代の落書きの大半が集中していて、古代から観光名所であったことが推測される。そして、落書きの中にラメセス6世の即位名「ネブマアトラー・メリアメン」をメムノンと勘違いしているものが見られるという。これが、この墓を古代の一大観光地にした理由だったかもしれないという。

ただし、メリアメンという名を持つ王は他にもいる。たとえばラメセス3世も即位名はウセルマアトラー・メリアメンでメリアメンは入っている。何人かのメリアメンの中で、一番墓が派手で謎めいて見えたこと、天井に夜の絵が描かれていて神話の世界を思わせたことなども、ラメセス6世墓がメムノンの墓とされた理由なのかもしれない。

ちなみにアメンヘテプ3世は第18王朝で墓はKV22だが、「メムノンの巨像」の本当の持ち主であったアメンヘテプ3世の墓はあまり観光地として人気がなかったようだ。



この説はなかなか面白いし、伝説というのは、案外こういうところから生まれるのかもしれないなぁと思う。

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