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zoom RSS 今年も紛れ込んできた。第25回 西アジア発掘調査報告会 Part.2

<<   作成日時 : 2018/03/28 00:10   >>

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前回からの続き。
全プログラムとかは前回分で! それではサマリー続けますよー。

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【レヴァントの調査】

報告G ホモ・サピエンスの拡散・定着期における文化動態―南ヨルダン、カルハ山の旧石器遺跡調査(2017年)―

人類のアフリカからの拡散ルートと年代は、ここ数年でめっちゃ書き変わってるので要注意…
発表で↓この論文の図が出てきてて「あっあれか…」ってなってた。
http://science.sciencemag.org/content/358/6368/eaai9067

この研究は先にネアンデルタールのいるところに新人(ホモ・サピエンス)が出張っていく中でどう人が交代していったのかを調べようというもの。舞台となっているヨルダンの遺跡は既にドナルド・ヘンリーという学者によってかなり詳細な調査がされているため、追加調査のような形になるのだろうか。面白いのは、どこからどこまでネアンデルタールかは、実は石器や遺物だけだとあまり根拠のある特定が出来ず、石器の形態によって「これは旧石器で粗雑なやつだから、このへんの時代はたぶんネアンデルタール」みたいな特定の仕方になるということだ。ヨルダンを含むパレスチナ付近は、人類がアフリカから拡散する際に必ず通る場所のひとつなので、その先の地域をふくむ年代の指標となる地域のはずだが、わりと根拠があやふやだ。

この遺跡では、ネアンデルタールと思われる痕跡は5万年より前で、新人が出てくると入れ替わりでネアンデルタールは消えてしまう。入れ替わりがどう行われたかについては引き続き調査するそうだ。

他、「人類はみんなアフリカから来たことになってるが、文化の発祥地は一つとは限らない(狩猟道具などの石器は、拡散先で発達した可能性あり)」とか、カルハ山のトール・ファワズは日当たりが良過ぎてとんでもなく暑いので冬しか住んでなかったかもしれないという説などが出ていた。が、五万年以上あれば岩も風食が進みそうだし、かつてはもうちょっとひさしの部分が大きかったのでは…という気がしなくもない。表面がきれいな場所をベッドルームと名づけたりしている過去の研究内容もちょっと空想働かせすぎじゃないのかなぁと思った。

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報告H レヴァント回廊の歴史を探る―レバノン、ベカー高原南部考古学踏査プロジェクト:第3次(2017年) ―

レバノンでは遺跡の破壊が深刻になっており、そのため端から調査して記録しようとしているらしい。

一つ目はテル・ジスルという村クラスの遺跡で、ジスル(橋)という名前がついていることからわかるように近くにローマ時代の水道橋がある。で、その橋を修復して観光に使おうとした影響でテル・ジスルのほうが削られてしまったらしい。適当な扱いである…。
この遺跡のすぐ近くには、エジプトに送られたアマルナ文書の発信地の一つ、カーミッド・エル=ローズ(かつてのクミディ)の遺跡があるらしい。

遺跡は既に、かつて軍事基地に使われた影響で上部がごっそり削られており、これ以上破壊される前にデータをとろうということでUAVを飛ばしたり、遺構をクリーニングしたりしてデータをとったらしい。

古代のクミディの町は火災とともに破壊されたことがわかっているが、テル・ジスルにも火災層があり、同時期に何か暴力的な破壊で終焉を迎えているようだという。クミディの崩壊の原因は判っていないので、近隣の村も被害を受けたことがわかれば一つのヒントになるかもしれないという。

二つ目はテル・ハウシュ。これも同じように既にダメージを受けていて、UAV飛ばしたり試掘をしてみたりしてデータをとっている。ただ、試掘した段階で一筋縄ではいかないことがわかり、次回以降に持ち越しだそうだ。

三つ目はローマ・ビザンツ時代の遺構で、これも調査のみ。神殿の部分だけは詳細に報告されてるけど、神殿臭編の付随施設や地形なんかの資料が残されていないので、現物を確かめて周辺の調査もしてしまおうというもの。遺跡の周辺に住居が迫ってきているので、破壊の危機があるとのことだった。

過去に調査されたものがそのまま残っているかどうかの再確認も兼ねているようで、地味な作業だけどこういうのも重要だなぁと思う。

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報告I ガリラヤ最初期のシナゴーグを掘る―イスラエル国テル・レヘシュ第11次発掘調査(2017年)―

テル・レヘシュは青銅器時代からローマ時代まで長い期間の居住がみとめられる遺跡だそうだが、土は薄く、掘るとすぐ天然の岩盤に至ってしまうそうだ。イエスがいた時代、つまり新約聖書の元ネタが作られた紀元後1世紀あたりの遺跡があるらしく、新約の記述にあるようなシナゴーグ(ユダヤ教でいう教会)が出てきたことで今年はそこに集中して調査を行ったという。

シナゴーグの入り口は北北東。のちの時代にはエルサレムの教会堂にならって入り口は東に統一するようになるが、紀元後1世紀ごろはまだてんでバラバラで、ほかの遺跡でも東を向いているものはほとんどないという。


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報告J パレスチナにおける十字軍期の農業集落―パレスチナ自治区ベイティン遺跡第6次考古学的調査(2017年度) ―

ブルジュ(塔)・ベイティンという名前のとおり、遺跡の真ん中に塔がある。
この場所はかつてビザンツに属していた時代に教会堂があったことがわかっているが、残っている塔はどう見ても教会の一部ではないため、「じゃあこの塔はなんぞ」ということで調査したらしい。

結論から言うと塔は、教会堂が放棄されたあとに十字軍でやってきた人たちがここで農業する際に建てたもので、それも放棄されたためアイユーブ朝かマムルーク朝の時代に作り直されているという。つまり、ビザンツの遺跡の名残と思っていたものは実は十字軍の遺跡だったということ。十字軍でやったきた人たちが農業集落を作った例はほかにもあり、場所によって城をたてたり塔をたてたりしているから、ここもその一つということだ。

塔の下を掘ってみると、きれいに石を敷き詰めたビザンツ時代の教会堂の床も出てくるという。


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【中央アジアの調査】

報告K 北ユーラシアの旧人・新人交替劇―第5次ウズベキスタン旧石器遺跡調査(2017年)―

報告Gと同じでネアンデルタールと新人との入れ替わりを調べたい案件なのだが、場所は中央アジアである。
「中央アジアほとんど年代の指標ないよ!」と発表者の先生が半ギレ(?)だったのに笑ってしまった。年代測定が間に合わなかったから今日は「?」だらけの発表になります!!とか。

問題になってくるのはやはり、最近言われ始めた「出アフリカの第一陣は20万年くらい前にもう出てたんかじゃないか」という説で、そのあと5万年前くらいに本格的な拡散が始まるので、先に出てた連中と後から来た連中、同じ新人同士でカチあう場所がどこかにあるはずなんである。そもそも出アフリカが複数回と言われ始めたのがつい最近なので、分からないことだらけだ。

仮説としてのシナリオでは、西アジアの新旧交替は以下のような感じではないかというのがあるという。

-20万年前 北アフリカ〜西アジアにかけて新人が元々いる
-7.5万年前くらい ネアンデルタールがやってきて一時期、共存
-4.5万年前くらい 新人の第二陣が「アフリカの角」あたりから海を渡って北上してきて合流

ただ、

・本当に共存したのか(遺伝子からすると混血はあったはず)
・共存期間はどの位か
・いつから中央アジア方面に進出するのか

といった確かな情報が、今のところない。そして冒頭のとおり今まで出されていた年代がどうも怪しいらしく「もう一回調査したほうがいい」と言っていた。今までに各遺跡で測定されていた年代が1万年ズレていたら、ネアンデルタールと現生人類が中央アジアで共存したかどうか/どのくらい共存していたか、という常識が崩れることになる。

今まで、人類の東進はインド経由とか南周りが多くて、中央アジアのど真ん中突っ切るコースはまともに研究されはじめたのが最近のイメージがあるので、ここは空白地帯で面白いところだと思う。


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報告L ウズベキスタン、カフィル・カラ遺跡のシタデルを覆う火災層―日本・ウズベキスタン調査隊の発掘調査 (2017 年)―

かつてソグド人が拠点としていた地域の、カフィル・カラ遺跡を調査するプロジェクト。いったん火災で焼失しており、火災後は規模が縮小しているという。サマルカンドから12キロとわりかしに近く、王たちの離宮だったと考えられているという。面白いのは木製の遺物がけっこう出てきているところだ。エジプトとかアナトリアとか、木彫りはあんまりなくて石ばっかりだから…。

場所がウズベキスタンなのでアジアとインドの中間なのだが、その両方の影響を受けた女神ナナーの像というのが面白い。オリエントの典型的な母神であるイナンナ/イシュタルの影響を受け継ぎつつ、インドの影響で腕が四本になってたりする。東西文化の交わる場所だったということができる。

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報告M 中央アジア、シルクロード拠点都市の成立とその展開―キルギス共和国、アク・ベシム(スイヤブ)遺跡の調査(2017年度)―

世界遺産になっているシャリフスタンの郊外に増築された「第二シャリフスタン」と呼ばれている場所の発掘調査。

世界遺産とはいうものの名前を聞いたのはたぶん初めてだし、写真を見ても「地面しかない…」と思ってしまうくらい。空撮も畑しか映ってない(笑) ただ、かつては立派な都だったらしい。

第二の部分は唐がこの地域を支配した679-703年の間に作られた砕葉鎮城のあった場所で、同時期に中国式の壁も築かれているという。

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* ここまで!



1コマ25分なのにまとめてみると案外長い。二日目分は資料だけで出ていないのだが基本的に去年と出てる遺跡は変わらなかった。追加されていたのはサアジアラビアのハウラー遺跡くらい。今あがってる遺跡が、日本の研究者が研究している主な遺跡ということ。これで研究者や遺跡名はわかると思うので、興味のある分野をその情報で辿っていくといろいろ報告なんかが出てくると思うよ。

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【過去レポ】

第22回西アジア発掘調査報告会
http://55096962.at.webry.info/201503/article_21.html

第23回
http://55096962.at.webry.info/201603/article_28.html


第24回
http://55096962.at.webry.info/201703/article_26.html
http://55096962.at.webry.info/201703/article_27.html
http://55096962.at.webry.info/201703/article_28.html

第25回
*今回ぶん

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