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zoom RSS 今年も紛れ込んできた。第25回 西アジア発掘調査報告会 Part.1

<<   作成日時 : 2018/03/27 00:10   >>

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また今年もこの季節がやってきた…というわけで、いつもどおり一般人枠で! まぎれこんできた(`・ω・´)

2日間開催で例年はエジプトのある日に参加していたのだけれど、今年のエジプトの発表は既に内容知ってるやつしかなかったのと1日目に久々にトルコのハッサンケイフ・ホユックが出てるのが気になってたので、1日目参加で行ってきた。

というわけで早速、発表内容のサマリーを作っておくことにする。

第25回 西アジア発掘調査報告会 ー2017年度調査の速報ー
http://jswaa.org/20180324-3/

PDFでの講演会メニュー
http://jswaa.org/wp-content/uploads/2018/01/25houkokukai201702.pdf

1日目
・クルディスタンの調査
・コーカサスとアナトリアの調査
・レヴァントの調査
・中央アジアの調査

2日目
・アラビア半島の調査
・エジプトの調査


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【クルディスタンの調査】

報告@ 肥沃な三日月地帯東部の新石器化―イラク・クルディスタン、スレマニ地域チャルモ遺跡・トゥルカカ遺跡の調査(2017年)―

この研究は、農業の始まったいわゆる「肥沃な三日月地帯」の東のはしっこに位置するクルド人居住地域での、新石器時代の始まりを研究するもの。西アジアでは「新石器時代の始まり」と「農耕の開始」はほぼイコールとなって発生する歴史イベントなので、大きな変化の起きた時期にスポットを当てていることになる。

発表タイトルにある「チャルモ遺跡」は、9,000年くらい前の新石器時代のはじまり頃の有名な遺跡。アラビア語では「ジャルモ」だが、本来の名前はクルド語の「チャルモ」であるという。ここの遺跡の近くにあるトゥルカカというもう一つの遺跡も調査して、遺跡を単体ではなく地域単位で分析してみようという研究。

この地域は石器にしやすい砂岩と別の地層とが交互に重なっていて、その隙間から湧水があり水の豊富な地域のため、昔から人間が活動しやすかったはずと考えられている。ただし、地形が風化した痕跡があり、9,000年前と現在では谷の深さなどがだいぶ違う可能性があるという。

トゥルカカのほうは、石器は山ほど出てくるのに生活の痕跡がほとんどなく、動物の骨も出てくるものの野生のものを多少採ったかなくらいで、おそらく石器作りのために一時的に滞在する場所だっただろうと考えられている。動物の骨から、使用されていた年代の特定をする予定とのことだった。チャルモと同じ時期なのか違うのかによって、遺跡の持つ意味は変わってくるはずなので、分析結果の発表が楽しみである。


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報告A 新石器化と都市化のはざま―イラク・クルディスタン、シャイフ・マリフ遺跡の予備調査(2012〜17年)―

これもクルディスタンの研究。「肥沃の三日月地帯」で始まった農業はいつかの段階で川を下りメソポタミアへと到達し
そこに「都市」を作り始める。しかし、農耕の始まりから都市化が開始されるまでの移行期間が良く分かっていないという。空白の7,000年紀とか、後期新石器時代の謎とか言われるやつだ。

対象の地域はティグリス川の支流であるディヤラ川に面しているので、そこから下流へと農耕が伝えられたはずなのだが、そもそも、上記の時代の遺跡が「見つかっていない」ので発掘のしようがないという。そこで、予備調査として遺跡がどこにあるのか、だいたいの時代はいつごろなのかを調べて目星をつけようとしている、とのことだった。結果として、どうやらアタリっぽい遺跡が幾つか見つかったという。

それが今回の報告タイトルになっている「シャイフ・マリフ」で、川を挟んで三つの丘に別れていることからT、U、Vと番号が振られている。近くにダムが出来ており、その貯水量によって遺跡は水没することがある。本来は新石器時代の層の上に青銅器時代などが重なっているはずなのだが、その層は50年の間、水に削られ続けてもうなくなってしまっているという。そのため新石器時代の層が既にあらわになっていて、たくさんの遺物が出てきているのだ。

この遺跡で空白の期間を埋められそう…なのだが、上述のとおりダム湖からの水で削られて将来は消失してしまう可能性があるため、調査が急がれるとのことだった。


◆参考/現在の年表

新石器時代開始

前7000年 チャルモ遺跡

前6000年 <<ここに該当する遺跡がない>>
予測ではこのあたりでメソポタミアに農耕が伝播している

前5000年 ハッスーナ遺跡、サマッラ遺跡
メソポタミアでウバイド期開始

前4500年 ハラフ遺跡、チョガマミ遺跡

前4000年 
メソポタミアに都市化の最初の兆候があらわれはじめる/ウルクの出現


この周辺のどこの遺跡でも前7,000年から6,000年までぽっかり空白が空いてしまうわけだが、この期間だけ人がいなかったとは考えられないため、編年を間違えている可能性も考えたほうがよさそうだとのことだった。(年代の特定方法にもよるが、たとえば、ある遺跡では旧型の土器は前6,000年にはもう使われなくなっているが、別の遺跡はトレンドに疎く6.500年まで使っていたかもしれない、ということ。)

このあたりの空白が埋まって、下流のメソポタミアと繋がると面白いと思う。

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報告B アッシリア帝国東部辺境を掘る―イラク・クルディスタン、ヤシン・テペ考古学プロジェクト : 第2次(2017年)―

クルディスタン地域ということからわかるとおり、ヤシン・テペ遺跡はアッシリア帝国の東の端っこに位置する地域となる。この調査は、アッシリアが帝国の東端をどのように統治していたかを探る研究の一環。その中で、この遺跡がけっこう立派で、中央との結びつきが強いことがわかってきている。

邸宅の発掘は進んでいるのだが遺物はまだ整理中で、文字資料はほとんど出ておらず、町の名前も不明だというが、アッシュール・パニパル2世がアトリラからドゥル・アッシュールへと解名させたと記録されている町なのだはないかという推測があるそうだ。(なお、別の遺跡Bakr Awaをドゥル・アッシュールと見なす説もある。 http://www.assur.de/Themen/Bakr_Awa/bakr_awa.html)

調査の中で、今シーズンは未盗掘の墓を見つけているという。邸宅の中庭の一部をあとから掘り下げて家族の墓とした構造で、床の上に直接遺体を並べて埋葬したあと、その上に土を被せてさらにバスタブ型の棺を置く、といういっちゃなんだがかなり雑な埋葬をしている。そのわりに黄金の副葬品やガラス製品など高価な副葬品も出てきているようだ。出てきている品から、アッシリア中央の、高貴な血筋の人物が埋葬された可能性があるという。


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【コーカサスとアナトリアの調査】


報告C 南コーカサス地方の新石器時代―第10次発掘調査(2017年)―


去年いってきた、この講演会の続きの話。

講演会「西アジアから南コーカサスへー新石器時代農耕の拡散と社会の変化」に行ってきた。
http://55096962.at.webry.info/201702/article_25.html

この研究も発表Aと同じで年表の空白部分を埋めようとしているもので、農耕の始まる紀元前6,000年あたりの遺跡がなんも出てこない、というところから始まっている。舞台はコーカサス山脈の南側で、「肥沃な三日月地帯」から北へ農耕・牧畜の伝播していく途上にあたる。ちなみに、コーカサスという地名はロシアがコーカサス山脈のあたりを支配するようになってからの比較的近代の名称で、地域名として地元ではあまり使われないそうだ。

コーカサスでも、クルディスタンと同じく紀元前6,000年くらいで中石器→新石器に劇的な変化が起こっているが、農耕・牧畜の伝来とともに人の入れ替わりがあったのか、単に技術だけ伝わって来たのかが分かっていない。そもそもその時代の痕跡が見つからなくて議論のしようもなかったのだが、今回の報告にあったダムジリ洞窟では、ようやく農耕の伝播してくる直前の6,000年初頭くらいの石器が出てきたという。

この遺跡から、農耕・牧畜の伝来以前、中石器時代には、農耕も牧畜も一切行われた形跡がなかったことが判っている。ヤギの骨などは出てくるらしいが、野生種ということだった。遺跡のあたりにいた人たちは完全な狩猟・採集民だったことになる。詳細がまとまれば、この地域での文化の交替について今まで以上に詳細が語られるようになると思う。


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報告D 初期定住集落の姿を探る―トルコ、ハッサンケイフ・ホユック遺跡第5次調査(2017年)―

ティグリス川の上流、トルコ領内に建設中のウルス・ダム(イリス・ダム)によって水没する予定の地域の遺跡の緊急発掘案件。
この地域にはさほど派手な遺跡はないため、エジプトのアスワン・ハイ・ダムの時ほど騒がれていないが、けっこう広範囲が水没するやつで、ゼイネル・ベイの霊廟などはエジプトの神殿と同じように、水没しない場所までそのまま移動させられている。

【動画】ダムに沈む霊廟を大移動、重さ1100トン
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/052500043/

遺跡の時代は1万2,000年前くらい前のPPAP(先土器新石器時代)、狩猟・採集を行う定住集落だが、通常の住居跡に加えて祭祀に関わると思われる公共の建物が出現しているなど興味深いところがある。また、この遺跡では床下に埋葬をするのが一般的なのだが、人骨に染料で模様が描かれているのが特徴的だという。どこかで骨だけにした遺体をもってきて床下に埋めなおすときに、骨を装飾していたのだ。埋葬は、部屋の隅だけでなく中央であることもある。また、副葬品としてはるか遠くの海から運ばれた貝殻のビーズが出ていたりするので、この時代すでに交易という概念があったかもしれない。

ダムの稼動開始が迫りつつある中、だいぶ駆け足でも調査はだいたい終了したようなので、とりあえず最悪の事態は免れたのかなと思う。


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報告E アルメニアにおける先史文化の系譜を探る―アルマヴィル地域における発掘調査(2017年)―

これも年表の空白を埋めようとしてる研究。年表と地図があったので判りやすかった。

画像


編年表というのは、だいたい何年くらいから何時代が始まるか、というのを示す年表なのだが、当然ながらこれは地域ごとに違うし、誰かが作らないといけない。アルメニアの先史時代を新しく作ってみたら意外に空白だらけで分からないところが多かった、という。
特に判ってないのが起源前5,000年より前の時代で、特に7,500-6000年あたりの新石器時代初頭は全く分からないという。紀元前6,000年以降は突然、農耕が始まるが、それ以前はどんな人が暮らしていたのか? ということだ。

今まではアララト盆地ばかり発掘していたのだが、もしかして盆地は農耕には向いてるけどそれ以前の狩猟採集の民はあまり使わなかったのではないかという推測も出てくる。そこで盆地の縁にある丘陵地帯を調査したという。

一つ目の調査のレルナゴーグ遺跡は、前7,000年頃で完新世氏初期。探している時代にピッタリである。季節で利用したキャンプサイト的な遺跡だと考えられていたが、実際に掘ってみると人間が作った粘土の壁(建物?)が出てきたので単純にそうともいえないらしい。

もう一つはノラヴァン遺跡というところで、黒曜石の石器が多数見つかっていることから新石器時代以降の遺跡と考えられているという。ジヨージアのシオニ文化と同様の土器が出てきているという。

このシオニ文化(Sioni culture)なるものがよく判らなかったのだが、ググってみてもやっぱりよく分からない。シオニ大聖堂とかしか出てこない(笑) 今度調べてみよう。

あと、アルメニアの遺跡で時代特定が怪しいのがあるとかいう話もちらっとしていたような…

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報告F 中央アナトリアにおける銅石器時代解明へ向けて―キュルテペ遺跡北トレンチ発掘調査2017年―

文明の十字路、古代から人とモノの行き来が盛んだった地域の遺跡を調査しなおすという調査。
キュルテペはトルコの有名な遺跡の一つ。そのキュルテペ遺跡が世界遺産に登録されそうなので、手続きとかが面倒になるその前に掘ってしまいたいということだった。遺跡自体は昔から知られていて徹底的に発掘もされているけど、ちょっと外側の周辺部分を掘ってみようというものだ。ちなみにこの遺跡は5mで千年分が体積しているという。なので発掘穴は深く、掘っている範囲は狭い。

ターゲットは銅石器時代なので、銅が使われ始めた比較的新しい時代の話。今回の調査では、本来もっと東南の遺跡から出てくるトランス・コーカサス様式の土器が出ているといい、その土器の様式がアナトリア南部まで広がっていたことを示唆するという。また、ほかの遺跡ではこの様式とメソポタミア風(ウルク様式)の土器が同時に出てくることが多いため、発見を期待しているそうだ。

この遺跡自体は既に良く知られているため、基本データは揃っているのだが、土器の様式がどのように変遷していくのか、正確な編年表を作るのが目的だという。

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<<ここまでで全般思ったこと>>

空白を埋めに行く研究なんか多いな?!最近のトレンドなのか。
西アジアはヨーロッパの研究者が先行して掘りまくってるので歴史に名を残したければ隙間を埋めにいくしかない、というのは判らなくもないが。

そしてこのへんの地域、用語が統一されてなさすぎる。「シオニ文化」もそうだし、「クラ=アラクス様式」という土器名なんか、これ実は国によって呼び方違うでしょ。同じ様式なのに。先行研究に倣って判断してる部分が大きくて、編年にしても土器の形式判断にしても、絶対指標が少なすぎるんじゃないかという気が。
もうちょっとこう、「この様式はこういうものです」とかいう定義をはっきりさせたほうがいいと思う。

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Part.2に続く!

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