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zoom RSS 歴史if もしもアクエンアテンの兄が生き延びて即位していたら

<<   作成日時 : 2018/03/13 00:10   >>

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歴史に「もしも」は無いのだが、もしも…と考えてみたくなる時はある。
そんな一つが、「もしもアクエンアテンの兄が生存していたら」である。


アクエンアテンは、今日からエジプトは一神教な! アテン神しかみとめないから! とか言い出して、アマルナに遷都までしてしまった異端王である。アマルナ美術という独特の芸術様式を生み出し、のちの旧約聖書に影響を与えたかもしれない「アテン賛歌」も生み出した。その一方、伝統的な神官団の影響力を削ぐために神殿を閉鎖させるなど圧制を敷き、都を作るために駆り集めた若者たちを過酷な労働で使い潰したり、自分の娘に子を産ませたりと暗黒面も目立つ。
治世はさほど長くなく、死後は徹底的に「存在しなかった」扱いを受けた王である。

どう考えてもあまりいい王様ではないのだが、エジプト史のターニングポイントなのは間違いないし、現代の歴史においては知名度が高い。

そんなアクエンアテンがファラオになれたのは、皇太子の称号を持っていた、兄トトメスが早世(より正確には"記録に現われなくなる")したからである。



もしも兄のほうが王位についていたら?
――王子トトメスは「プタハの神官」という称号を持っていた。また、カイロ博物館が所有する有名なペットの雌猫の棺も知られており、どうやら猫好きの王子だったようだ。プタハ神とその妻セクメト女神、ないしはバステト女神に帰依していたのかもしれない。少なくとも、弟のように新たな神を持ち上げようとする気配はない。

しかし彼は父アメンホテプ3世の治世30年ごろには記録から消え、実際には弟の、変わり者のアメンホテプが「アクエンアテン」という名で即位することになる。

トトメスは、アクエンアテンと同じく正妃ティイの息子だったとされる。異母兄弟ではなく実の兄である。この兄弟は果たして話をすることがあっただろうか。あったとしたらどんな話をしただろうか。もしトトメスが即位していたら、弟は圧政を敷く変わり者の王ではなく、芸術家か何かにでもなっていただろうか。

もしもトトメスが即位していれば、アマルナ時代は訪れなかったもしれない。
もしもトトメスに息子が生まれてその系譜が王家の血を継いでいれば、ツタンカーメンの代で王家の直系が途絶えることはなかったかもしれない。
もしもトトメスの系譜が王位を継いでいれば、第18王朝は終了せず、将軍ホルエムヘブから始まる第19王朝は存在せず、エジプトはシリア・パレスチナへの大遠征を行わず、ヒッタイトとの戦争も和平交渉も無かったかもしれない。

すべては「もしも」である。答えの出ない問いかけに過ぎない。
けれど「もし」、一人の人間の運命を変えられていたなら…その、ほんのちょっとの「もしも」が、その後の歴史を大きく変えていたかもしれない。

これぞ、歴史ターニングポイントの魅力なのですよ。

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