現在位置を確認します。

アクセスカウンタ

zoom RSS アナトリア近辺から東の果てへ、ユーラシア大陸の鉄の道を辿る

<<   作成日時 : 2018/02/09 00:10   >>

トラックバック 0 / コメント 0

こないだ行って資料もらってきた、製鉄文化の伝播の話の続き。

昔から、製鉄技術がどのように日本まで伝わってきたのかというルートが見えなくて困っていた。
ヒッタイト起源で、そこからヨーロッパやアジアなど四方に伝播していくのだとすると、あまりにも伝播にムラがありすぎるからだ。もしヒッタイト崩壊とともに伝播していったのなら、ヒッタイトから近い地域ほど製鉄技術が実用に乗るのが早いはずだった。しかし調べてみると現実には何故かインドのほうが先だし、中央ヨーロッパまでの到達もやけに遅い。日本に到達した技術が中国のものと同じでは無い。

というわけで、うーんよくわからん…と思っていたのだが、ナゾがかなり解けてきた。ような気がする。


------------------

1. 製鉄と製銅はセット。銅を作るときに鉄鉱石をまぜて効率化するので、製鉄技術は銅をつくる過程で生まれた可能聖り

2. 上記と絡むので、青銅器時代と鉄器時代は入れ替わるわけではなく、両者が重なっている。かなりの期間、銅と鉄を組み合わせた使い方をしている

3. 鉄器の強度を上げるのは難しく、多くの文化圏で初期の用途は装飾用だった可能性あり

4. 強度を上げる技術が開発されてようやく実用器として使われるようになる(=鉄器時代に突入する)が、その時期はどんなに早くてもヒッタイト滅亡後数百年が経過した後

------------------

1〜4が見えてきたことで、追うべきだったのは鉄器時代の始まりではなく、銅器と鉄器の併用が開始された時期だったということが判った。銅を作る技術から鉄を作るための下地になっているからだ。先に青銅器時代が始まり、その中で鉄を併用しはじめて、少しずつ鉄の比率が上がってく。鉄がメインになった時点で鉄器時代と呼べるようになる。という流れ。

で、それでいうと、紀元前2,000年ごろにはもう、ヒッタイト帝国の成立するアナトリアの周辺で、銅+鉄の文化が広まってるんである。下地は既にある。なので、別にヒッタイト滅亡を待つまでもなく、それらの周辺地域のどこでも、鉄を強化する技術さえ編み出せれば鉄器の大量生産は出来る。

しかし、かつて製鉄技術の起源地と考えられていたヒッタイト自身があまり鉄を大量生産できていなかったことからするに、その技術は、ヒッタイト滅亡の紀元前1,200年付近にはまだ、どこの勢力も実用化できていないと思われる。

最初に実用化したのがどこかは分からないが、おそらく「最初」にこだわる必要はあまりなくて、少しずつ時代をずらして同時多発的に、似たような方法で製鉄技術の強化に成功したのではないだろうか。たとえばインドと中央アジアと近東、とかで。それなら、鉄器時代に突入する時代が地域ごとにバラバラで、年代と距離が比例しないのも納得できる。

青銅器は、材料にする錫の産地がごく限られているせいで作れる地域が少ないが、鉄器は、鉄の鉱脈が世界中にあるお陰で、製造方法さえ確立できれば場所を問わず青銅より低コストで大量生産が可能だ。それまでえらい人しか持てなかった金属の武器が下っ端まで行き渡ったとすれば、それはまさしく軍事革命になっただろう。また、鉄の農具は、農業効率も飛躍的に高めたはずだ。鉱山と技術者をおさえれば、弱小部族でも一気に勢力圏が拡大できたはずである。…たぶん、大陸のほうでは。


ユーラシアの西の方では、鉄器大量生産に成功したアッシリアさんが世紀末覇者をやったりしてたのに、日本はまあ、なんていうか、わりと初期のほうにヤマト朝廷とかで統一しちゃってあとあんまり争ってないんだよな…。革新的な技術が入ってきても動乱に結びつかないのは何でなんだろうこの島…。っていうのはまた別の機会に考察してみたい。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

アナトリア近辺から東の果てへ、ユーラシア大陸の鉄の道を辿る 現在位置を確認します。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる