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zoom RSS 歴史的に実在する「ケルト」と現在の「ケルト」は別モノであるという話/再まとめ

<<   作成日時 : 2018/02/05 00:10   >>

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まずは本編を読む前に、「ケルト歴史地図」という本の冒頭に載っている、以下の部分を一度読んでみてもらいたい。
初見だとほとんど意味が分からないと思う。というか自分も、この本は何度も読んでいたのに、ここの部分の意味を理解出来たのは最近だ。この記事は、この不可思議な記述の意味するところの裏側について書いている。

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内容を説明したあとに、最後でもう一度、この記述の内容に触れることにしたい。

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<<前段>>

「島のケルト」は「大陸のケルト」とは別モノだった。というかケルトじゃなかったという話
http://55096962.at.webry.info/201705/article_21.html

「島のケルトは実はケルトじゃなかった」から派生する諸問題〜"ケルト神話"がケルト神話じゃなくなります
http://55096962.at.webry.info/201705/article_23.html

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そもそもこの話は、元々のケルト(大陸のケルトと呼ばれる)と、今あるケルト文化(島のケルトと呼ばれる)の間の繋がりが何をどう読んでも何一つ具体的に見えてこなくてよく分からなかったところから始まる。

そこで改めて調べなおしてみたところ、なんと両者の間に明確な繋がりは何もなかった。
今ケルトと呼ばれている文化や神話、ケルト語と呼ばれているものでさえ、かつて存在したケルトとの繋がりが希薄で、そもそもなんで「ケルト」と呼ばれているのかが分からない。こんなの本職が気づかないわけないだろと資料をよくよく読み返してみたら、なにやらお茶を濁したような言い訳が書かれていて、学者たちも昔から薄々知ってたのに色々と理由をつけて誤魔化してきただけだったことに気づいてしまった。

そう、みんななんとなく知ってたんである。ただ感情の問題として認められないので、誰もでハッキリ言わないまま有耶無耶にしてきただけで…。



・歴史的に実在する「ケルト」→

現在のフランスあたりに住んでいた民族。ギリシアとローマの記録に登場。「ケルト」という名前の出所。この民族は実在する。ローマに敗北後は民族としてのアイデンティティを失い消滅。

・現在の「ケルト」 →

現在のフランス・ブルターニュ地方、イギリスの端、アイルランドなど、いわゆる「ケルト語圏」。ローマに追いやられたケルト人が生き残ったことになっているが、そう自称し始めたのは中世以降。ケルトという呼称と伝統は18世紀以降に創造されたもの。



一般向けの書物では、両者は連続するものとして一緒くたに記載されているが、実はこの2つの間に明確な継承関係は存在しない。

「慣習としてそういうことになっていた」ということ以上、確実な証拠は誰も出せない。歴史上実在したケルト人の記録と現在ケルトと呼ばれているものは、「もしかしたら多少の関係はあるかも?」くらいの別モノである。民族も、神話も、文化も、本来はその地域独自のものだ。そこに、多少ほかの文化の影響が入っているかもしれないというレベル。そして、その影響力も北方からの侵略者たちのもののほうが強い。


でもケルト語圏という繋がりがあるじゃないか、と思う人もいるかもしれないが、実は「ケルト語」という名称自体、ケルト人の使っていた言葉だったかどうか不明のままつけられた名前である。

最初にケルトの子孫を名乗ったのは、フランスの端っこブルターニュに住む人たちだった。彼らはブレイス語を使っていて、ほかの地域とは言語が違っていたからだ。きっと、追いやられたケルト人が端っこに生き残ったに違いない。そういうロマン的な物語が作られた。

しかしブルターニュの人たちは、実際はブリテン島から移住してきた人たちである。当然ブリテン島にも似た言語がある。なので、「ローマに追われたケルト人が島へ渡って生き延びた」という説を打ち立てた。そして18世紀以降、ブレイス語と同じ系統の言語が残る地域もケルトを名乗り始めた。

つまり、いまケルト語圏として、ケルト人の子孫と認識している地域は、何か根拠があってそう名乗っているわけではなく、特に根拠はなく、わりと近代になってからそう名乗り始めただけの話なのである。

なので当然ながら、いまケルト語と言われているものを歴史上実在していた過去のケルト人たちが話していたかどうかは全く分からない。ケルト人が島に渡った痕跡が実はほぼ無かったことが判明している今となっては、古代のケルト諸民族の言語が、現在のケルト語とは違う系統だった可能性すらある。

…そして古代のケルト人と今のケルト語圏の繋がりを証明するものが、そうだと信じ込んでいる心裡のほかに見つからない以上、ケルト語と呼ばれている言語が話されている地域に残っているのは、古代のケルト人の文化ではなく、その地域独自の古い伝統文化と考えるべきなのだ。



仮説が間違えていると、新たに発見された証拠と一致しない点が見えてくる。
ケルト人が大陸から島に渡って生き延びた、という仮説は、今ではもはや成立しないことがわかっている。

「ケルト人が渡ってきたとされる時代と実際に大陸側と交流のあった時代に齟齬があるし、そもそもケルト文化が劇的に入って来た形跡がない(考古学)」や、「ケルト語圏の人のDNAは氷河期の終わりから連続していてケルト人の移住していた痕跡が見つからない(遺伝学)」など、否定的な研究は沢山出てくる。

にも関わらずケルトという言葉が使われ続けているのは、今更変えられないという感情的な理由と、他の名称が決まっていないからに過ぎない。ただし、何と呼ぶかはともかくとして、少なくとも、かつて存在した本家の「ケルト」と、近代に便宜上そう名づけられた「ケルト」は、分離して考えられなければならない。一般書の多くで採用されている、両者を意図的に混同させようとする記述方法は、今となってはほぼサギだ。



なお、このケルト廃止的な流れを政治的なものと批判する人もいるが、そもそも現在の「ケルト」自体が近代になってから政治的な理由で創作された、古代の威光を借りた概念である。この場合はむしろ、ケルトという名称をどうにかしない限り、政治的な意図から自由になれない。

もっと直接的に言うならば、「(本当はケルト人の言語ではない)ケルト語を話す人々は、(事実とは違うにも関わらず)ケルト人の子孫でなければならない」という政治的な制限から外れる結論を出せなくなる。― その結果、神秘的でなんだかよく分からない不可思議な記述が飛び交うケルト本ばかり出てくるハメになる。

少なくとも、本来は繋がっていなかった二つの「ケルト」の概念をこねくり回しても袋小路にハマるだけである。



ここで主張したいのは、単純に「今いわれてるケルトのイメージは本来存在したケルト人と繋がっていない」という話ではなく、誤った名前とイメージを被せることによって長らく隠されていた、本来の「島の文化」を見なければならない、ということだ。

近代概念としての「ケルト」の中身は、要するにブリテン島やアイルランドの伝統的文化である。そこにはヴァイキングなど北方からの移住者や、ローマ以降の大陸からの影響が様々に織り込まれている。本来のケルト人からの影響があったとしても、それら多数の系統のうちの一つに過ぎない。つまり、近代に創作されたケルトという幻のアイデンティティにこだわろうとすると、本来の歴史が見えなくなってしまう。

たとえば、ケルト様式と言われている美術とそっくりなものがなぜヴァイキングたちの手元にもあるのか、という問題。
ケルトという枠を使い続ける限り、ヴァイキングがケルト人の影響を受けたのでは? といった、なんだかよくわからないモニョモニョした答えしか出てこないだろう。しかし、枠を取り払って、それがケルト様式という独自のものではなく、ヴァイキングも含めた西ヨーロッパ全体のダイナミックな移住の波の中で生まれてきた美術様式の一つだと理解できれば、もっと身のある説明が出来る。

本来のケルトがローマ支配に飲まれて消えたあと、彼らの独自文化は周辺に拡散して、その土地ごとの独自文化となったはずだ。いまケルト語圏と呼ばれている言語圏の文化はケルト文化の子孫ではなく、その地域において独自に発達した文化ととらえなければ妥当な説明が出来なくなる。


これは単純な名前の問題ではなく、意識の問題である。
過去の威光を借りるのも、イメージで売るのももういいだろう。「その地域において独自に発達した文化」として、"どこかから来た誰か"ではなく"ずっと昔からそこに住んでいる人々"の文化と認識して研究しなおす必要があるのではないか。
人々の感情に配慮した答えを用意するのは学問ではない。それこそが政治的な発想である。


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というわけで、もう一度、冒頭に貼り付けた文章を読み返してもらいたい…

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赤い部分に書かれているとおり、「何らかの交流はあったようだが、大陸からの大規模な人の移動は無く、ブリテン島もアイルランドも文化は継続している」というのが既知の事実である。ケルト語も、ブリテン島で元々話されていた言語の可能性が高く、ケルト人が本当に話していた言語という証拠がない。

にも関わらずなぜいまだにケルトという言葉が使われるのかについての説明が水色の部分。要するに18世紀という近代に成立した新しいケルトの概念をアイデンティティとして採用してしまった人たちにとっては、アイデンティティを否定されることが感情として「認められない」。
つまり、学術的な裏づけのない政治的・感情的な配慮の結果として存在を許されている"幻"ということである。



要するにこの本では、「昔のケルトと今のケルト別モノなのはみんな知ってるけど、ケルトのアイデンティティが大事にされてるから一緒ってことにするね」と言ってるわけで、さらっと書いてあるけどこれ前提として重要なところじゃねーかよ!w もっとはっきり書けやあああ!! ってなった。。。。よく見たらこのテの前提をしれっと書いてある本は他にもあって頭抱えた。

うんまぁ、そういうことなんですよ。


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古代のケルト人との繋がりが否定されても、ブリテン島やアイルランドの独自文化が魅力を失うことは無い。
霧に包まれた巨石の並ぶ丘、妖精伝説、流れるようなゲール語。それらはとても興味深く、面白い。だからこそ、政治的な意図やプロパガンダに彩られた「ケルト幻想」はもう要らないだろう、と言いたい。偽りの歴史は語られるべきではない。

ただし、歴史の世界は広大で、道は一つとは限らない。
霧の中の袋小路で行き詰るのも、霧の向こうにある行く先の見えない道を辿るのも自由だ。
私は自分で調べてみた内容から自分の考える道を決めたが、これを読む人がどうするかは、あなた次第である。

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