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zoom RSS ハトシェプストの娘・ネフェルウラーと、第18王朝の家系を継ぐ者たち

<<   作成日時 : 2018/01/19 00:10   >>

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まず最初に、ハトシェプストの所属する第18王朝のファラオ一覧をおさらいしておきたい。

イアフメス
アメンヘテプ1世
トトメス1世
トトメス2世
トトメス3世
ハトシェプスト
アメンヘテプ2世
トトメス4世
アメンヘテプ3世
アメンヘテプ4世/アクエンアテン
スメンクカーラー
(ネフェルネフェルウアテン)
ツタンカーメン
アイ
ホルエムヘブ →養子が第19王朝へ


ハトシェプスト女王はトトメス1世の娘で、トトメス2世の妻である。トトメス3世はトトメス2世と別の妻との間に生まれた息子。ハトシェプストとトトメス2世の間にはネフェルウラーという娘がいたが、彼女は子供を残さずに早世してしまう。ただし前夫と死に別れてからの死亡なので、結婚適齢は過ぎている。ネフェルウラーは死ぬ前にトトメス3世と再婚していたともされるが、本当に結婚関係があったかどうかについては諸説ある。

…というあたりを整理した家系図は、以下の通り。
名前の字がナナメになっているのが女性。

画像


もうちょっと判り易く補足を入れると、こうなる。
トトメス3世の妻は沢山いるが、その中で次世代の王アメンヘテプ2世を生むのは、フイの娘ハトシェプスト=メリエトラー(ハトシェプスト女王とは別人)だ。

画像


…つまり、ハトシェプストの直系は、娘メリエトラーの代で途切れてしまっているわけで、彼女の存在は歴史の中ではあまり大きくない。大きくないんだけど忘れちゃあダメだろう、と思うんだ。

ハトシェプスト女王推しの人は、何となく「女でありながら王となった」という部分で男女平等とかフェミニズムっぽい視点での"推し"方向が多い気がしているんだが、彼女はそんな単純な人生は歩んでいないと思う。彼女は王女であり、妻であり、政治家であり、母でもあった。早世してしまった娘にどんな思いを抱いていたのか。また娘のほうはどう思っていたのか。

というわけで今回は、存在を消されがちな「ハトシェプストの娘」についての資料をちょっと集めてきてみた。



彼女についての情報はほぼない。なぜならば、次期王位継承者であるトトメス3世と結婚していないからである。最初に結婚した人物は別にいて、死別してから、異母兄弟であるトトメス3世と結婚した。ただし、この結婚は碑文からしか知られておにず、形式だけであったという説もある。

(なお、"エジプトの王権は女系で受け継がれていた"という古い説をなぜか採用しつづけている本もあるが、であればハトシェプストの娘ネフェルウラーが次期王位継承者と結婚しないのがおかしいので、この部分からしても王権女系説が成立しないことはわかると思う。)

彼女は王家の女性として立派に教育を受けるため、ハトシェプストに養育係をつけられていた。最初の養育係はアハモセ・ペンネケベト、二人目がセネンムト、三人目がセニメンとなる。
母ハトシェプストが女王として即位するにあたり、彼女はアメンの神妻をはじめとする国の要職をこなすようになる。これは通常の王女の役割を越えて、王妃に等しいものだったと考えている学者もいる。だとすると、母が即位したとき、彼女はそれなりの年齢に達していたのだろう。ハトシェプストが即位したときトトメス3世はまだ子供なので、おそらくネフェルウラーのほうが年上である。

ネフェルウラーがトトメス3世と結婚していた場合、結婚はトトメス3世の治世20年以降という説がある。トトメス3世の治世は55年と長く、即位は6歳くらいと考えられているので、治世20年目でも26歳になる。ただしネフェルウラーのほうは最低でも10歳は年上という計算になるので、結婚していたとしても子供は出来なかったのではないかと思う。

なお、彼女はおそらくハトシェプストよりも先に死亡していて、子供を残したという確かな記録はない。ネフェルウラーの死で、彼女をもってハトシェプストの直系は途切れることになる。


…というわけで、判っていることはとても少なく、確かなのは

 ・ハトシェプストが彼女に英才教育を施した
 ・ファラオとして即位してからは娘が王妃・女王の役割を果たしていた
 ・彼女の子孫は次代の王になっていない

ということだけである。

娘に英才教育を施したハトシェプスト女王は、彼女に自分のようになって欲しかったのだろうか。それとも、単に自分のために利用しただけなのだろうか。私としては、ハトシェプストは古代の「教育ママ」であり、娘を溺愛していた女社長タイプだと想像している。


かつては暗殺説も囁かれたハトシェプスト女王だったが、行方不明だったミイラが発見されていて、年をとって当時としては高齢で亡くなったことが判っている。そもそも即位した時点でけっこうな年なうえ、20年以上も権力を握っているところからして年齢的に天寿を全うしていると見なしていいだろう。

彼女の死後、エジプトの版図は史上最大に達し、栄光の時代が訪れる。ハトシェプストとトトメス3世の共同統治の時代がエジプトにマイナスの影響を及ぼしていたならば、その後の勢力拡大はおそらくない。王朝の担い手は彼女の血を受け継いだ子供たちではなかったが、ある意味で、第18王朝の栄光こそが彼女の残した自慢の子供であったのかもしれない。



****

…そんな栄光の王朝を傾かせたアクエンアテンと、立て直したホルエムヘブの話をだな(ry

【歴史萌えポイント】古代エジプト第18→19王朝の移り変わりがドラマティックすぎた。
http://55096962.at.webry.info/201602/article_22.html

アクエンアテンは恐怖の独裁者だった? アマルナの都に隠された恐ろしい秘密が明らかに
http://55096962.at.webry.info/201706/article_14.html

即位してた頃のハトシェプスト女王ってけっこうイイ年なんやで。という話
http://55096962.at.webry.info/201509/article_17.html


あとエジプトの王家の一覧とかこの本が便利なのでオススメ。

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