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zoom RSS 製鉄技術の伝播・北へ、東へ編 〜鉄と銅が同居していた時代の中央アジア

<<   作成日時 : 2018/01/14 00:10   >>

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超久し振りに古代オリエント博物館のナイト講座に行ってきた。講演タイトルは「黒海・カスピ海北岸地域における鉄器文化成立期の諸問題 ー銅柄鉄剣の問題にふれつつー」で、ここ↓の研究所がやってるプロジェクトの解説。

愛媛大学東アジア古代鉄文化研究センター
http://www.ccr.ehime-u.ac.jp/aic/index.html

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ここにあるパンフレットに載っている写真のとおり、今のところ鉄器生産の起源地とされているトルコのアナトリア地域から東へ、日本へと続く鉄器生産技術の伝播経路(アイロン・ロード)をいろんな国の研究者が研究している。西へいくヨーロッパの道はよく研究されているし、東へ続く道もけっこう研究されてるだが、北へ、コーカサス山脈を越えていくルートの研究は今まであまりなされていなかったらしい。その南北の伝播ルートが、講演の導入部分になっていた。


コーカサス山脈は標高が5,000m越えの山々が連なる山脈で、徒歩で越えることが難しい。が、人の行き来はあったと分かっているので、海岸沿いもしくは山の低いところを歩いて越えたのではないかと考えられている。で、紀元前4千年〜3千年あたりのマイコプ(マイコップ)文化のあたりだと、コーカサスの南と北で似たような埋葬がなされていて、同じような形の鉄器が出てくる。なのでおそらく文化が繋がってたと解釈されている。ただ完全に繋がっていたわけではなく、北側は部分的にしか南側と類似しないという。

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マイコプ文化のあとはヤムナ文化が広がるようになるが、マイコプ文化からヤムナ文化へは金属器の形などが異なるため文化の継承はほとんどなかったと考えられているという。

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ヤムナ文化はお墓が竪穴であるという。そこから派生するカタコーム文化というのもあるが、カタコームはカタコンベのことで、お墓が竪穴+横穴に変化する時代をさすという。この文化では、貴人と思われる人物の墓に鋳造につかう鋳型が一緒に収められるのが特徴的だという。この鋳型の埋葬は、コーカサスから東へ、中国、朝鮮半島まで広く見られる。にもかかわらず日本では"絶対に出てこない"と言っていたのが印象的だった。
なお、鋳型は青銅器を作るときに使うものなので、このあたりの文化はまだ青銅器時代だ。

ヤムナヤ文化で見られるクルガン、石積みの墓も広く中国まで広がっているのにどうも日本には入ってきていないようで、前12世紀以降、鉄器製造技術が文化とともに広がったとすると、海を渡って日本に入る時点でかなり要素が欠落したんだろうなと推測できる。

なお、ヤムナヤ文化からはシベリアのスルブナヤ文化などへも繋がっていったようだが、中央アジアはまだほとんど手をつけていないのでつながり方がよくわからなかった…ただ、金属器の文化がまず東へ、中国まで到達して、それを手に入れた騎馬民族が西進を開始する、という折り返しの構図だということはわかった。スキタイやサウロマタイなどが中央アジアから西へ進出してくるのが前9世紀〜8世紀頃、西アジアでいうと「鉄の帝国」新アッシリアが勢力を拡大し始める頃になる。ほかに先駆けて鉄器の大量生産を確立した民族が有利にコトを運べた、と見ることが出来る。


ここで一つポイントとなるのが、紀元前10世紀頃までは青銅器に対する鉄器の比率は必ずしも高くない、ということである。以下は西アジアのデータだが、鉄器が青銅器より多く生産されるようになるのは前10世紀からとなっている。

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それまで青銅と鉄は並行運用になっていて、「銅柄鉄剣(どうへいてっけん)」、つまり柄の部分が銅で、刃の部分が鉄、という使い方も一般的だった。講演会タイトルにもなっているこのアイテムも、ヤムナヤ文化の影響が東へ伝わっていったことの証拠になっている。銅柄鉄剣は実際に中国の成都などでも見つかっているという。

この剣に使われている鉄は黒く、まさに「くろがね」であって、刃の部分だけが研がれているという。黒い表面に金や銀で装飾したものが支配者階級の墓から出てきているようなので、銅柄鉄剣はステータスシンボルという扱いだろうか。スキタイやキンメリオイも使っていたというから、まさに中央アジア全般に銅+鉄を組み合わせて使う時代が広がっていたことになる。移動範囲の広い遊牧の民が、金属器の文化を広めていったのだろう。


で、この講演会で「鉄器文化成立期の諸問題」と言われていた部分が、人によっては結構インパクトの大きい話になってこると思う。

ザックリ言うと、「今まで鉄を生産してた炉だと思われていたものは、実は銅を作ってたものかもしれない」という話だ。
今までの考古学だと、炉から鉄滓(てっさい)が出てきたら「鉄を作ってた証拠」と見なしていたのだが、銅を製錬する際に融点を下げる目的で鉄鉱石をぶち込むことがあったことが判ってきたのだ。鉄は銅より融点が高いため銅の溶解温度では溶けることがなく、銅と交じり合うこともない。実際に実験してみたところ鉄鉱石を入れることによって銅の生産効率が向上することが判ってきたそうで、可能性が高いという。

ということは…

鉄滓が見つかったからといって製鉄が開始されていたとは言えない。
(銅生産の過程でも出来るから)

いままで言われていた、ヒッタイト以降の時代は鉄を生産していたはずなのに実際に見つかる鉄器が少ないという話、実はこういうことなのかもしれない。本当は銅を作ってた遺跡を、鉄器生産の遺跡だと誤解してたんだと。鉄器は、銅のついでにたまたま出来ることはあっても、まだ実用化はされてなかったんだと…。

近年見つかった、ヒッタイト帝国以前の時代の鉄生産の跡、と言われていたものも、実際は鉄ではなく銅を作るための炉があった可能性が高く、本当に鉄オンリーの鉄器が生産されはじめた時代が判らなくなってるのだという。

ただグラフのとおり、西アジアで前10世紀頃から鉄器が青銅器を上回るようになるのは確実なので、そのあたりが技術の確立する時代と見て良いようだ。
やはり「鉄の帝国」はヒッタイトではなくアッシリアさんであった。今後の研究次第で、鉄の起源に関する説は大きく書き変わると思う。

…えー、コーカサスも中央アジアもあんまり詳しく知らないので、…細かい部分は…あとで…しら べ (積み山


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一つだけ気になったのは、講演タイトルにもなっている「銅柄鉄剣」、つまり銅の柄と鉄の刃をもつ、権力者の象徴としての金属器の起源地がコーカサスではないかと言われていたことだった。が、こないだ調べていたウガリットの斧も銅柄鉄剣と同じ構造(形状は斧だが)だし、銅と鉄を組み合わせたバイメタルの金属器はイラン高原にもある。

ウガリットの「鉄+銅」斧
http://55096962.at.webry.info/201801/article_13.html

ウガリットの斧の古さと資源分布からするに、起源地はコーカサスではなくイラン高原のほうじゃないのかな…と思うんだがどうなんだろう。アナトリアにはバイメタル文化が広がらなかったようなのだが、イラン高原からならアナトリアは通らずにカスピ海沿岸沿いにコーカサスまで到達できるし、インド方面にも伝播可能だ。

まだ研究が始まったばかりのようなので、このへんは今後まだ書き変わる可能性もある。楽しみに待っていよう。



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