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zoom RSS ケルト人はほんとにケルト語を話していたのか…「ケルト語」の名前の由来を見たらそうじゃなかった件

<<   作成日時 : 2017/12/18 00:10   >>

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前々から気になっている、「ケルト人はほんとに、現代でいうところの”ケルト語”を話していたのか」という話のつづき。


[>前段

「島のケルト」は「大陸のケルト」とは別モノだった。というかケルトじゃなかったという話
http://55096962.at.webry.info/201705/article_21.html

現代一般人が持っている「ケルト」のイメージって、アイルランドとかスコットランドとか、コーンウォールとかウェールズとか、あとフランスでブルターニュとか ”ヨーロッパの端っこに追いやられた人々” のイメージだと思う。アイルランドやブリテン島の端っこの人々と、海を隔てたブルターニュの人々との言語は類似している。これはローマに追いやられた人々が大陸から島に渡っていく過程で昔の言語が残された場所だ…という感じでイメージされている。


が、そもそも現在「ケルト語系」と言われているものがケルト人の言語だった根拠がよくわからん のである。


そして調べてみた結果見えてきたのは、「実は根拠なんてなかった」という事実だった…。


 ・最初にブルターニュをケルト人の末裔と定義した
 ・ブルターニュ語をケルト語と関連づけた
 ・そこからブリトン語など島の言語もケルト語系と見なした


以下は「ケルト」という用語の現代的な用法に関する記述の部分。

”この現代の用法はフランス語から始まり、古代ガリア人の末裔と思われているブルターニュの言語や民族を指すものであったが、言語上の類縁関係が認識されて、コーンウォール人とウェールズ人に、そしてまたアイルランド人、マン島人、スコットランドのゲール人に拡大された。こうして<ケルト語>はアーリア語族のひとつの大きな語派を指す名称になり、ケルトという名称は、いずれかのケルト系言語を話す者(あるいはかつて話していた者の子孫)に対して用いられるようになった。

「ケルト復興」中央大学出版会


まず最初の時点で根拠ないまま、結論にあわせて現状を整理してしまっているので、まあそりゃ後々の話がおかしくなりますよね、って感じで。。

最初に「ケルト語」の名前が使われたのがブルターニュ語に対してだった、ということを知ると、いろいろと謎が解けた。ケルト人がブリテン島に移住したという説はどこから出てきたのかということ。
ブルターニュの言語がブリトン語、つまりブリテン島の古い言語と似ているのは、ブリテン島からのまとまった移住者があったから、である。なので前提を説明するために、まず「ケルト人が島に渡った」という説を作る必要があった。ブルターニュ語がケルト語の子孫であるために、ケルト人がフランス→イギリス→フランス(ブルターニュ地方)と往復したことにしなければならなかったのである。

つまりこれ、事実に即して作られた仮説ではなく、最初に結論を決めた上で結論を説明するためにこじつけられた説だったのだ。あかんやつだ。


しかし実際のところ、ケルト人がブリテン島にまとまって移住したという証拠は出てこなかった。

かつては移住があったと信じられていたのだが、現在では、「少数の移住や文化の伝播はあったが、まとまった人数の移住はなかった」と結論づけられている。(※その根拠に関しては前段の記事を参照。大きな根拠の一つがDNAの解析である)

ブリテン島の言語はケルト関係ないブリテン島独自の土着言語なので、それを受け継いだブルターニュの言語もケルト関係ないだろう。もっとも、インド=ヨーロッパ語族の中に入ること自体は問題なさそうなので、その一番大きな括りであれば関係することにはなるはずだが…。


というわけでなので、今言われてる「ケルト語族」と、歴史上実在した「ケルト人」の間はほぼ無関係ジャン、と言う話になってしまった。考古学はまだいいとして、言語学・神話学・民俗学あたりはいちど「ケルト」と「ケルト的なもの」、言い換えれば「歴史上実在したもの」と「後世に信じられるようになったもの」の整理をしなおしたほうがいいかもしれない。

結論として: 近代に名乗られ始めた「復興ケルト」は、ケルト語という意味でも古来の(本来の)ケルトとは内容が違う。

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