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zoom RSS 古代エジプト第6王朝/イドゥ2世のミイラと復顔模型

<<   作成日時 : 2017/10/28 00:10   >>

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ドイツのヒルデスハイム博物館所蔵。第6王朝の貴人墓から発見されたミイラ、イドゥ2世。(ペピ2世統治の時代)
ミイラ…と言いつつほぼ骨である。顔の部分だけ、辛うじて皮とかが残ってる。
この時代、まだミイラ作りの技術は頂点には達していない。また時代も今から約4,000年前なので、比較的ミイラの沢山残っている新王国時代より500年ほど前になる。
ただ、骨はものすごくキッチリ残ってて、さすがエジプト乾燥してるなーって感じ。

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ご尊顔

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説明文がドイツ語だったので読めねーよアアア! ってあとで英語説明探そうと思ってて後回しになってたやつ。
あったよ。なんと複願は今年だったよ。顔がわかるようになったの最近だったんかよ。彼の墓は1914年にWilhelm Pelizaeusが発見 → だからヒルデスハイム博物館に棺と中身がある、という流れらしい。

http://www.look4ward.co.uk/archeology/4-000-year-old-egyptian-mummy-gets-new-face/



…で、なんでこれを貼るかというとですね。
ミイラというと新王国時代以降のものが有名だが、それ以前はミイラの作り方自体が違う可能性が高い ということを言いたかったから。

今知られていて出回っている「ミイラの作り方」は、ミイラづくりの手法が洗練され、技術的に頂点に達した時代よりあとのものなんだ。古王国時代にもカノポス壷(ミイラから抜いた内臓を入れる容器)はあったので、内臓を抜いてたのはおそらく間違いない。が、そのあと、残った本体をどう"処理"していたのかは、そもそも骨しか残っていないので良く分からない。その骨でさえ、残っている数が少ないのだから、推測のしようもない。

が、「残っていない」ということは逆に、「その後の時代に使われるような高度な手法がまだ無かった」ことの間接的な証明にもなるわけなので、「ミイラ作りの方法が違っていた」というのは言えると思うんだ。

これ違いの原因になってるのはなんなんだろうな。ナトロンを使ってなかったか、使ってたけど期間が短いとかで脱水が不十分だった? もしくは包帯を巻いた後に使う薬剤の差? 古王国時代から新王国時代にかけての、ミイラ作りの技術の変遷とか研究がどっかに転がってないだろうか。めっちゃ気になってる。


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