現在位置を確認します。

アクセスカウンタ

zoom RSS インカ帝国の元になった二つの文化圏/古代アンデス文明展・監修者講演会に行ってみた。

<<   作成日時 : 2017/10/24 00:10   >>

トラックバック 0 / コメント 0

インカ帝国が築かれる基礎となった二つの文化圏、ワリとティワナクについての講演会があったので、行ってみた。

講演タイトル「インカ帝国の国づくりの秘密:インカに手本を示したふたつの先行文化」
https://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2017/andes/event.html
アンデス文明の第一人者であり、シカン文化の名付け親でもある先生が講演者。滅多に日本に帰ってこないので貴重な回。

講演者の先生、アメリカ生活が長いせいか最初はなっかなか日本語が出てこなくて苦労してたけど、話してるうちにだんだん言葉が出てくるようになっていくのが面白かった。でも最後まで、自分で作ったパワポの漢字を読むのには苦労していた。(そして文化圏を「文化園」とひたすら誤字していた…w)
所々に出てくる英語の部分は流暢だったので、たぶん英語で講演してたらもっと上手な喋りだったんだと思う。


で講演会の内容だが、展示に即したものなっていて、インカの「元」になった二つの文化圏についての話だった。
のちにインカの首都となるクスコを中心とすると、その北側(現在のペルー側)に栄えたのが「ワリ」。南側(現在のボリビア側)が「ティワナク」。

年表でいうとココ(赤枠の部分)
画像


地図だとこう
画像


※いずれの図も、今回の「古代アンデス文明展」の公式図録に載っているもの

この二つはほぼ同時代に栄え、かつ内容も似ている部分が多いので、かつては同一文化とみなされていたという。
神の図像などは確かに良く似ていて区別がつきにくい。

画像


しかし数十年前には別ものということが認められ、異なるものとして扱われるようになっている。
ワリとティワナクはともに紀元後1000年くらいには衰退してしまう。その後、数百年の空白期間を経て、かつての二つの文化圏の交わっていたティティカカ湖周辺から登場するのが「インカ」なのだ。

例として、ワリやティワナクの時代からすでにあった酒を飲み交わすことで関係を結ぶ習慣や、戦争の仕方、神殿などが挙げられていた。また、のちのインカ帝国の領土は、ワリとティワナクの両文化圏の広がっていた範囲とほぼ重なっている。インカは急速に発達した帝国だったが、それは何もないところに築かれたものではない。先行文化の作り上げた土壌の上に成り立っていた、ということだ。

インカを築いた人々が元はどこ出身だったのかについては、近年、DNA解析など様々な手法が組み合わされ、伝承にあるとおりティティカカ湖周辺が起源地だろうというのがほぼ定説になってきている。今回の講演ではさらに具体的に、インカの王族たちが使っていた独特の言語は現在もティティカカ湖に暮らす人々が使っている「プキーナ語」ではないか、という話が出ていた。インカというとケチュア語やアイマラ語などが公用語だったという話が有名だが、インカの王族自身は実は出身母体である少数民族の言葉をずっと使ってたかもしれないのだ。インカは文字のない文化なので、完全に証明するのは難しそうだが、面白い説だと思った。


****

1時間半の講演会でメインに取り上げられたのは、アンデス文明の最終形である「インカ」に直接結びつく、二つの文化圏だけだった。が、年表を見てわかるとおり、インカ以前の「プレ・インカ」と呼ばれる時代のアンデスの文化圏は、数多く存在する。(有名な「ナスカ」も、その一つに過ぎない)

日本ではあまり知名度のない文化圏も多く、違いが判りづらいものも多いが、それぞれに特徴や"味"のある文化だと思う。

…そもそも知名度が低いのは、日本での情報発信が少ないからだと思うんですよ…。
…このジャンルの研究者の人さ…

…もうちょっと… どうにか…なりません…かね… ? (´・ω・`)



テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

インカ帝国の元になった二つの文化圏/古代アンデス文明展・監修者講演会に行ってみた。 現在位置を確認します。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる