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zoom RSS 聖書の内容はどこまで史実なのか。考古学から見る「聖書考古学」

<<   作成日時 : 2017/09/06 00:10   >>

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ヨーロッパで一定の人気を持つジャンルに「アッシリア学」というのがある。
古代オリエント史の中でも楔形文字の解読に重点を置いたジャンルであり、人気の理由のひとつがメソポタミアの古伝承の中に大洪水神話など旧約聖書と繋がる部分があるからだという。今のところ、聖書に記された物語の中で考古学的な証拠のある部分は非常に少なく、「歴史」と認められるのはイスラエルが南北の王朝に分裂する前9世紀以降だが、未解読の楔形文字の粘土板を解読していけば、いずれそれ以前の時代も証明できるかもしれない。そんな期待があるらしい。

…というのは余談として、「聖書考古学」という本の話である。
この言葉はあまり聞かないから、一般的な用語というよりも「考古学の中で聖書の内容に関わる部分」くらいに考えておくといいと思う。

聖書考古学 - 遺跡が語る史実 (中公新書)
中央公論新社
長谷川 修一

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聖書の舞台ということでイスラエルでの発掘がメイン。最近出た本で、新しい情報まで入っているところが良い。
そして何より著者の安定具合がよい。

聖書に書かれた内容の全てが史実ではないとか、神の奇蹟を科学的に証明出来ないとかいうのは、今更言わなくても当たり前のことである。しかし昔ながらの「聖書がぜんぶ正しいはず」と考えている人の中には、それを「冒涜的」と感じる人もいる。それに対するスタンスが、

 「真の信仰は必ずしも科学による証明を必要としない。」

という前書きの一言でよく表されている。

何をどう書いても反対する人はいるし、今の世の中、何かにつけて「不愉快だ」と言い出す人はいる。しかし、"私はこう思っている"とはっきり述べた上で、あなたが気に入らないならば本を閉じてくれて構わない。と書くのは正しい。正しいというか、そうでなければケンカになる。世の中の全ての人とわかりあうことは難しい。不可能であるならば距離を置くという選択肢しかないのが現実である。

本の最後にも述べられていたとおり、聖書にまつわる史実の追及は、聖書内の記述の歴史的信憑性について「全て真」か「全て偽」か、という両極端にブレやすい。しかし、全てか無かというのはあまりに極端すぎる。古い時代の記述については口伝から書き起こされているのだろうから、ある程度もとになる史実がありつつ編纂され、作り上げられた文字記録としての伝承、と認識するのが妥当だろう。

それは何も聖書に特有の話しではない。どこの国の神話も同じようなプロセスを辿って作られているわけで、神話というものに接する上での共通的な考え方であるはずだが、…こと旧約聖書の中身に関しては、どこまで史実と見なすかで泥沼の議論になりやすいイメージがある。というか日本にいてもわりと不毛な議論を見る。

著者が想定している"両極端"の例は、今ならインターネット上でもすぐに探し出せると思う。
見れば、本の中のそこかしこに張られた上手な予防線の意味がわかると思う…。



この本の内容については特に真新しいものではなかったが、うまく予防線を張りつつ、聖書の史実性を全面的に認める派の人にも、全部嘘だと切り捨てる派の人にも配慮した、可能な限り中立に近い記述になっていたのが好印象だった。入門書としても、まとまった情報として軽く欲しい人にもオススメの一冊。

なお余談だが、「あとがき」で日本の旧石器捏造事件に触れられていたのにはちょっとびっくりした。本職の学者さんの書いた最近の本で、この事件を改めて反省に使っているのを見たのは初めてかもしれない。捏造は何処のジャンルでも起こりうる、という戒めを持っていてくれる人がいると安心できる。肝心の日本の考古学者さんたちが忘れてそうなのが心配なのだが…。

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