現在位置を確認します。

アクセスカウンタ

zoom RSS アイン・ジャールートの戦いとエジプトのモンゴル人移民について

<<   作成日時 : 2017/09/13 00:10   >>

トラックバック 0 / コメント 0

現在、ヨーロッパには異なる文化・宗教をもつ多数の移民が押し寄せてえらいことになっている。
イタリアなんかだと郊外に当たり前のように家のない人たちのキャンプがあったり、イギリスは入国審査が異様に厳しくなっており、フランスは町がなんだかこ汚い。そんな些細な変化もいつかは馴染んで特別なこととは認識されなくなっていくのだろう。

…という前置きはともかく、「異なる民族の移民がわらわら押し寄せてくる」という現象の中で、同化政策がそれなりに巧くいっていたエジプトさんのケースを思い出したので、ちょっと調べなおしてみた。

時代は13世紀、マムルーク朝時代。アイン・ジャールートの戦いのあと、数万人のモンゴル系アジア人がエジプトに押し寄せた出来事である。

"仮に文永の役と弘安の役後の日本に、数千の規模でモンゴル人が移住を求めてきたとしたら、鎌倉政府はどう対処しただろうか。アイン・ジャールートの戦い後のエジプトでは、実際にこのようなことが起こったのである。1262年、200人のモンゴル騎兵がその家族をともなってマムルーク朝治下のカイロへやってきた。これがワーフィディーヤ(派遣された者)、あるいはムスターミヌーン(安全を求める者)と呼ばれるモンゴル人移住者の第一陣である。

世界の歴史8/イスラーム世界の隆盛"



画像


遠路はるばる遠征してきたモンゴル帝国の皆様ですが、えー、…死海近くのアイン・ジャールートでエジプト(マムルーク朝)軍にボコボコにされて降伏、その際にエジプトに移住したわけですね。

画像


この時は兵力増強になるならいっかーと受け入れたエジプトさん。が、その後、モンゴル帝国内で内紛が発生して第二陣・第三陣と数万規模で亡命者が押し寄せてきたときには困ったらしく、国内に入れるわけにもいかないのでシリアに留めておいたとか。第二陣以降の亡命者が押し寄せてきた理由は、最初に降伏した兵を好意的に扱って亡命を受け入れたから、ってあたりも現代のヨーロッパの移民事情と似てるのかなぁと。

画像


で、この時のモンゴル移民はわりと好意的にエジプトに受け入れられており、モンゴル文化がマムルーク兵の間で一時的にブームになったりと文化的にもあまり衝突した形跡がないのだが、調べててその理由分かった。

 亡命条件がイスラム教への改宗だった。

考えてみれば、あぁまあそうだよね…という感じ。マムルーク朝エジプトにモンゴルの宗教が持ち込まれるわけもなく。宗教変えて俺らに従うならエジプトに受け入れて保護するよ? っていう話なんだ。そりゃ人数が多かろうが文化が違おうが、同化政策は巧くいく。

今のヨーロッパの移民がうまく馴染んでないのは、人数が多いのもあるけれど、まず宗教の違いが大きいんだと思う。移住するかわりキリスト教に改宗します、移住先のしきたりに従います、という態度なら、今よりはるかに上手くいってるはずだ。だが、現代の社会は何故かそれを認めない。信教の自由と人権という縛りが軋轢を生み、争いの元となるのなら、それは果たして守られる"べき"縛りなのだろうか。



…というわけで、このケースからは現代の問題を解決する有効な方法を得ることは出来なかった。

異なる宗教・文化をもつ大量の移民をそのまま受け入れて巧くやっていけた前例は他にどこかにあるだろうか。もしかしたらそれは、歴史上、今までどこも成し遂げられなかったことなんじゃないだろうか…。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

アイン・ジャールートの戦いとエジプトのモンゴル人移民について 現在位置を確認します。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる