現在位置を確認します。

アクセスカウンタ

zoom RSS カール大帝(シャルルマーニュ)、まさかの嫡子ではない疑惑があった。/世界史リブレット版

<<   作成日時 : 2017/08/21 00:10   >>

トラックバック 0 / コメント 0

そういやシャルルマーニュの人生とかあんま知らないな、とか思ったので軽い気持ちで手にとったら、わりと壮絶な人生だった。
47年統治してるのにそのうち戦争してなかった年が2年しかない。西ローマ皇帝として戴冠し、聖職をも道具と出来た権力者でありながら、実は父王の嫡子かどうか微妙。72歳で亡くなってる大往生で豪華な葬儀がされたかというとそんなこともなく死後は速攻忘却され副葬品もほぼなし。

…いやー息子があんまり優秀じゃなかったって話までは知ってたんだけど、なんか息子にもないがしろにされてないかなこれ。
家庭生活どうなってたんだって心配になる人であった。

カール大帝―ヨーロッパの父 (世界史リブレット人)
山川出版社
佐藤 彰一

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by カール大帝―ヨーロッパの父 (世界史リブレット人) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



■出生の謎

公にはピピン三世と正妻ベルトラダの間に生まれたことになっているカールだが、両親の結婚が749年または748年と、740年代の後半であるにも関わらず、没年から逆算した誕生年は742年。両親の結婚のはるか以前となっている。ということは嫡子ではなかった可能性が出てくるのだが、同時代の歴史家も関係者も何も書き残さずお茶を濁してるので真実は霧の中。何があったんだ…

■死亡時の謎

死んだその日に埋葬されたことになっていて、盛大な葬儀が行われた形跡もない。西ローマ皇帝として戴冠し、広大な領地を長年治め続けた「大王」にも関わらず。しかも墓所は早々に忘れ去られ、約190年後に掘り出してみると副葬品は黄金の十字架一つであったという。カールの帝国が、葬儀や副葬品に金をかけられないほど国庫が逼迫してたならそれも判らなくはないが、息子の代ではまだ勢力を保っているのでどうもそういうわけではなさそうだ。というか葬式をあげてくれなかった息子、父のことはあまり好きではなかったんだろうか。


いかんせん8世紀から9世紀とかいう昔の話なんで記録が限られてるってのもあるんだが、それにしてもプライベートに謎が多いなぁという印章。しかも誕生年まで謎というのは意外というか、予想していなかった。出生に不明点があるなら何かブチ上げた派手な伝説でもくっつけて誤魔化せばいいのに、秀吉のように。出生や死のシチュエーションに纏わる派手な伝説を作られたのはカールではなく、カールの部下の一人に過ぎなかったローラン(オルランドゥ)のほうで、しかもそのローランは実際は大した身分じゃなかったっていうのがまた。…もしかしてローラン用にされた出生の謎伝説は、元はカール(シャルル)のものだったりするの…かな? まさかね。

またカールの時代に、カロリング・ルネッサンスと呼ばれる現象が起きていたのも初めて知った。
それまでラテン語から転用でわかりづらかった筆記体のアルファベットを読みやすくするための「カロリーナ小文字」なる規格を作って読みやすくして、文書の普及につとめたというのは素晴らしい発案。ていうか、このへんの時代から急に写本がめっちゃ読みやすくなるのは、そういうことだったのか。いや、単語の形がガチっとなって、単語と単語の間にスペース入るだけで全然違いますよ真面目に。文芸に勢いを与えるにはまず文字の統一から。

それと、カール大帝といえばやはり出てくる「ピレンヌ・テーゼ」。
「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」で知られるこの定理については、以下の記事に書いたのでここでは再度は触れないが、果たしてこの説が正しいのかについては、今回の本の中でも考察されていた。

アンリ・ピレンヌ「ヨーロッパ世界の誕生」
http://55096962.at.webry.info/201408/article_21.html

ヨーロッパ世界の誕生 (名著翻訳叢書)
創文社
佐々木 克巳

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ヨーロッパ世界の誕生 (名著翻訳叢書) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


ピレンヌの考えた定理とは逆に、イスラム世界の勃興によってヨーロッパはアジア(主に中国)と繋がることが出来た、とする説も出ていたが、私はそれはちょっと難しいかなあと思う。理由は、シャルルマーニュの時代以降、十字軍の時代に至るまで続く「イスラム圏への致命的なまでの無知」。本を書けるほどの知識人でさえ、イスラム教徒の信仰がどのようなものか、イスラム圏の文化にどんなものがあるのかを何も理解していない。これは、イスラム圏を通じてアジアに接触するどころか、そもそもイスラム圏にすら限られた一部のポイントでしか接触できていなかったことを示している。今のところは、ピレンヌ・テーゼを基本に少し付け加えるくらいが歴史理解には妥当と思われる。


というわけで、薄い中に色々詰まってて面白かった。
このあたりは、フィリオクエ問題や騎兵の導入、ヴァイキング来襲前夜、イスラム勃興、ハザール汗国とか歴史イベント目白押しで楽しい時代だと思う。

ピレンヌ・テーゼを抜きにしても、確かに「ヨーロッパにとっての、一つの歴史の転換期」だと思うのです。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

カール大帝(シャルルマーニュ)、まさかの嫡子ではない疑惑があった。/世界史リブレット版 現在位置を確認します。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる