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zoom RSS 最近出た本なのに再編モノだから内容が古い…「縄文時代史」

<<   作成日時 : 2017/08/17 00:10   >>

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縄文時代の本については、学術書を装ったファンタジーものが多い。

最初から単刀直入にブっこんで言うと、「縄文時代に農耕はなかった」「階級社会ではなかった」「戦争はなかった」、この三つをやたら強調してくる本があったら、その本はほぼ間違いなく業界の重鎮か何かで昔から思考が止まってる人の書いたものと判断している。ロジカルな思考で根拠を出してるのではなく宗教にも似た絶対の回答に対し解釈を合わせているだけなのであちこち理論が破綻しているのが特徴だ。かつてゴッドハンド事件で石器の捏造を見抜けなかった人たちでもあるので、そもそも専門知識も怪しい。

出た年代が新しいからいけるかなーと思って手にとってみたものの、どうも昔出た本の復刻版みたいなものらしく、残念ながら内容は上記の「あかんやつ」のテンプレのまんまだった…。

縄文時代史
新泉社
勅使河原 彰

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というわけで、この本をネタに、どういう書きかたがダメなのかを書いておく。


■縄文時代に農耕はあったか

ここ最近の研究で「植物栽培はあった」ことが"確定"している。これはもう動かない。品目としてはゴマ、ダイズ、アズキ、ヒョウタン、アサなど多岐に渡り、種類は年々増え続けている。またクリやウルシといった樹木を人工的に植えつけて計画的に栽培していたことも判っている。
にも関わらず「それは農耕ではない」と言っているのが古参の一部の頭の固い学者さんたちなのある。


縄文時代には農耕はなく、弥生時代に入ってイネが伝来して農耕が始まったとされてきた。その概念をどーしても踏襲したいから、植物の栽培はあったが穀物じゃないから農耕じゃない、とか、歴史的な意味を考えなくてはならないとか、主食ではなく副食なのだから農耕じゃないとか、全く根拠になってない理屈を捏ね回すことになる(笑)

か、植物を人工的に栽培していれば当然それは農耕である。
コメやムギではないから農耕ではない、などという理屈は通らないし、副食だからダメなんて定義もない。「縄文時代には農耕があってはいけない」という固定概念が先にあり、それに合わせようとあとから理屈をつけるから、農耕ではなく植物利用なんだ、というような玉虫色の結論になってしまう。ぶっちゃけ議論進まなくしてるだけの古参の学者さん邪魔だと思う。つーか「農耕」をまず辞書で引いてくるといい…。


とツッコミみたいところなのだが、本当に辞書引いて書き直してるところがあるからこの本マジ笑えない。
縄文時代に交易があったかどうかの箇所で、以前の版では「交易はなかった」と書いていたらしいのだが、実際は地元で産出しない品を他の地域と物々交換する交易は縄文時代に頻繁に行われていた。たとえば、特定の地域でしか産出されない黒曜石など。それに読者からツッコみを受けたので辞書を引いて、「確かに交易に当て嵌まるようなので"商人を介在しない交易"に書き改めました」などと書いている。

…いや、そういう問題じゃ…(ry

単なる辞書上の言葉の定義の問題じゃなく、物々交換を商売の一種と認識出来てないのが問題だと思うんだ。貨幣も商人もいなくても商売は成立する。古代エジプトなんて王朝時代ずっと通して貨幣が全く存在しない状態で文明を維持してたわけだが。商人はいなくても「朝貢」という形式の遠距離交易も出来てたわけなんだが…。

長年縄文時代について研究しててこれってまずくないっすか? この業界大丈夫? ってなる。(たぶん大丈夫じゃない)


と言うわけで、植物栽培は一般的だったことが確定しているので、縄文時代に農耕は「あった」が正解である。
植物を栽培する概念も技術も既に存在したからこそ、そこにイネという伝来植物が加わったときにスムーズに受け入れることが出来、一気に広まることになった。これが現在最も妥当と思われる結論となる。


■縄文時代階級は無かったか

これも同様に、身分差をはっきりと示す証拠があるにも関わらず、過去の固定概念を踏襲しようとしてああだこうだ言い訳されている。自然界における不平等がどうたらとかライオンの話を持ち出すあたりは、なんじゃこりゃってなる。全く根拠になってないし、むしろそれ、逆に身分格差が自然発生することのほうの根拠になってるんじゃ…。

この本での言い訳は「階層社会ではあったが階級社会ではない」というもの。つまり、個人個人の財産に差はあったがそれは身分の差を表すわけではない。という話なのだが、じゃあその財産の差はどこから出てきているのかという話。

墓地の中で、明らかに大きくて、副葬品も豪華な墓がある。それは世界の考古学の常識では階級社会の芽栄えと捉えられる。大きな墓を作るには人手がかかる。権力か、食べ物などの見返りか、あるいは別の何かを使って他人を使役したことになる。それは、実体が首長であれ、村長や族長のようなものであれ、階級の誕生を意味している。

よって、のちのクニのような高度な纏まりではないにしろ、ムラ社会の中で権力者は存在したと見なすのが妥当だろう。ちなみにオラウータンなど類人猿の社会でも身分や階級は普通に存在する。日本の縄文時代だけそれが存在しないと考えるに足りる理由はない。


■縄文時代に戦争はなかったか

戦争という言葉の定義うんぬんを持ち出すともうダメ。この本では「チンパンジーは武器を使わないから、縄張り争いはしても戦争ではない」などと、これまたポカーンとなるような言い訳を持ち出していて、しかもチンパンジー研究してる学者さんに怒られそうなことまで書いている。ぜんぜん理解が足りない…。

一定数以上の動物が存在すれば、闘争は必ず発生する。その闘争を戦争と呼ぶか否かという話なら、集団で行われるものはすべて戦争と呼んでいい。縄文時代は人口密度がそれほど高くない。従って、発生する闘争の規模は小さく、頻度も少なかったのは確かだろう。しかしだからといって「戦争はなかった」などと断ずるのはバカげている。普段は隣村まで三日かかる距離だから戦争が起きないだけである。旱魃が起きて付近の食料が少なくなり、飢えた集団が移動している最中に隣村の連中と出あったら、当然、戦いが起きる。それは戦争である。階級の有無や社会の複雑さは、戦争の有無と関係しない。戦争の規模や種類を変えるだけだ。

縄文時代の戦争は、小規模な闘争という意味では必ずあったはずだ。具体的には、深刻な飢餓が発生するか、狭い地域での人口密度が高まりすぎた際には発生せざるを得ない。村が焼かれるとか、大量に人が殺されるといったことは起きなくても、実際に闘争の痕跡は多数見つかっている。

戦争がなかった、という人は、この本もそうだが、単に「戦争」という言葉の定義をこねくりまわして、「戦争というのはこういうものだから縄文時代の争いは戦争ではない」というふうに逃げているだけである。
よってこれも、「縄文時代にも戦争はあった」と考えるのが妥当だろう。



というわけで、めっちゃざっくりツッコみまくってきたが、何が言いたいかというと


 いつまで化石みたいな定説にかじりついてんだよ

 つまんない言い訳してないで前に進めや



って話である。

まぁ無駄な努力だと思う。言い訳こねくり回しても人間年とりゃいつかは死ぬので。
世代交代は必ず起こる。定説も書き変わる。それが早いか遅いかってだけの話なんだけど時間を無駄にしてもらいたくないので、足引っ張るだけの古参だか重鎮だかの学者さんはそこ退いてくんねぇかなぁって感じ。知らないことを知りたくて本を手に取るのに、内容が言い訳三昧だとげんなりするんで、もっとまともに筋の通った本を出してほしい。

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