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zoom RSS 西方世界〜中国への道/東西通路の証拠がまた一つ明らかに

<<   作成日時 : 2017/07/26 00:10   >>

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約1500年前の東ローマ(ビザンツ)とペルシアのコインが中国の墳墓から出てきたという記事があって、ほほうと思いながら見ていた。
いや、西から東に道が繋がってんの自体は珍しくもなんともないんだけどさ、その道を西から東まで通過するのが思ってたより楽だった可能性があるというのが面白いなと。

Eastern Roman gold coins found in 1,500-year-old Chinese tomb
Read more at https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2017/07/eastern-roman-gold-coins-found-in-1500.html

(どうでもいいんだけど中国史とか人物名、英語記事だと漢字表記がわからないのがめんどくさいよね…)

上記の記事で被葬者の死亡年代が548年と538年の二種類書かれていて「??」となっていたのだが、別のソースだと548年になっているので、たぶんそっちが正しいのだろう。

中国社会科学院のブログ
http://www.kaogu.cn/en/News/New_discoveries/2017/0714/58890.html


墓から出てきたコインの年代は以下のとおり。
古さ的に B@Aの順番。

画像


@金のコイン ビザンツのアナスタシウス1世の治世下(491〜518年)のもの。

A金のコイン レアもので、アナスタシウス1世とユスティニアヌス1世(527〜565年)の統治していた時代のものに似ているとのことだが、時代がはっきりしない。

B銀のコイン サーサーン朝ペルシャのペーローズ1世(在位459〜484年)のもの。

墓は西魏(535-557)の時代のもので、墓の主、Lu Chouは548年に死亡。

硬貨というのは単なる美術品と違い使われるのが前提なわけで、人の手から手に渡っていくものだ。なので作られてからの年月が経つにつれて表面は磨り減っていく。金と銀という材質を別にすれば、@よりAのほうがクッキリ人物図が残っているのはそういうことなんだろう。

で、もしAのコインが527年に近い年代で鋳造されているとすると、中国到達までけっこう早いスピードで到達していることになる。場合によっては数年とか。これはなかなか面白い。コインが移動するなら物品も、それに付随する情報も移動できるわけで。5-6世紀、ヨーロッパが藻民族移動や帝国崩壊後の低迷期あったこの時代、東西のパイプは案外太いものだったのかもしれない。

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