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zoom RSS 「実在」したケルトと「幻」だったケルトの間:幻想のケルトには元々定義が無かった

<<   作成日時 : 2017/06/29 00:10   >>

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*前段*

「島のケルト」は「大陸のケルト」とは別モノだった。というかケルトじゃなかったという話
http://55096962.at.webry.info/201705/article_21.html

「島のケルトは実はケルトじゃなかった」から派生する諸問題〜"ケルト神話"がケルト神話じゃなくなります
http://55096962.at.webry.info/201705/article_23.html

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というわけで、今までも既に議論はあったし、何年も前から「島のケルトをもはやケルトと呼ぶのは無理」とまで書かれていた話に周回遅れで参入したら意外と知らない人が多かったぞ、っていう話の続き。

今まで専門家は慎重な感じで、相当オブラートに来るんでお茶を濁す感じで言及してきた。そこを素人らしくど真ん中ザクっとやったらようやく一般人にも伝わりました、って感じですかね。あ、すいませんあとの細かいとこの補整は専門の人にお任せします(ブン投げ)



さて、この件でもう一つ書いておかなければならないことがある。
それは、「島のケルトがケルトじゃないとかいう前に、ケルトという用語の定義を話し合わなければならない」という意見の存在である。なんだか物知りっぽく聞こえる意見かもしれない…のだが、


 いまさら定義を考えないといけないのは

 今まで定義を考えずに何となく「ケルト」って用語を使ってた業界だけです。



「実在」した歴史上のケルトのほうは今更定義をどうこうする必要はないし、何も変わらないんである。
しつこいようだが、もういちど出発点から書く。


■前提条件■

【A】 古代ケルト/歴史ケルト【本来のケルト】

確実な「ケルト人」の存在、自称は紀元前5世紀〜紀元後1世紀
文献資料あり、考古学資料あり。代表文化はラ・テーヌ文化。
定義がはっきりしており実在する。

【B】中世ケルト/復興ケルト【自称ケルト】

16世紀〜(※盛んに拡大解釈されだすのは18世紀以降)
定義が存在しない"自称"、勝手に名乗ってた。 



本来の歴史的な「ケルト」のほうは、そもそも定義は揺るがないし実在も疑われていない。議論があったとしても、ケルトとガリアが同一なのかとか、ケルト人の居住地にどこまで含めるのかとか、同じ「ケルト」民族の中での差異がどのくらいだったのかといった中身の部分。

定義の理解が必要なのは、元々、「本来のケルトと繋がってるのかどうかも分からない」「そもそもケルトって名乗る資格あるんだっけ」と散々批判され続けてきた「復興ケルト」のほう。というか、その中でも主に、本来のケルトとの繋がりが怪しいと言われ続けてきた近代産の「ケルト」商品たちだ。

【B】の中には、全く記録の残っていないドルイドの儀式を再現したと称するような、ニューエイジ的なものも含まれる。それらは、今までよく判ってないのをいいことに【A】の歴史的な「ケルト」とつながっているかのように振舞ってきたのだが、学術的な意味でいえば、そもそも最初から「ケルトとは呼べない」シロモノである。


EUでは、ケルトという用語は実に色んな方面で使われてきた。
西ヨーロッパでは「ローマに先立つ優れた古代」という意味だったり、イギリスでは「アングロ・サクソン(ゲルマン系民族)に対する土着文化」という意味合いだったり、先キリスト教時代の文化という意味だったり、現代に対する古きよき古代のスピリチュアルな概念だったり。

しかしそれらは、実在した"ケルト人"や"ケルト文化"との繋がりが考慮されないまま使われてきた用語だ。

ケルト音楽やケルト風衣装などもそうだが、商品化されてきた近代のケルトについては、残念ながら歴史的な意味でのケルトとの繋がりは皆無である。それでも「商品」として「イメージ戦略」として「ケルト」という言葉だは使いたい。だから本家をガリアって呼んで復興ケルトをケルトのままにしよう、みたいなわけのわからない話が出てくることになる。まぁ…それは無いでしょう。
ていうか本家との繋がりを偽装して名前にハクをつけてたのに、本家のほうを改名させたら、それ、本末転倒だよね。(笑)



で、今回の「島のケルトがケルトじゃなかった」という話は、【B】の復興ケルトの中でも、もしかしたら歴史的なケルトと繋がっているかもしれない、という可能性の残っていた部分について、「やっぱほぼ無関係でした!!」という研究結果になりましたよ、という話。

なので【B】は全滅となり、なんだかよく分からないことになっていたケルト本の記述も、ケルトの歴史の中に挟まっていた不可解な空白も一気に消える。残るのは確実な「歴史」の部分なので、色んな本や資料や概念が、むっちゃくちゃスッキリ整理されることになる。

たとえば以下のエントリに書いたとおり、美術史などは、ケルトという概念をなくしたとたん、今まで「??」だった部分が物凄い勢いで整理されて、一気に理解可能になった。むしろ何で今まで無理やり大陸のケルトの歴史とつなげようとしてたんだよ…。


ケルト美術って言われてたものもケルトじゃない→ヴァイキング美術「貴方と…ひとつに…なりたい…」
http://55096962.at.webry.info/201706/article_16.html

アイルランドの青銅器時代〜鉄器時代の年表を作っておいたぞ! & アイルランドの黄金美術
http://55096962.at.webry.info/201706/article_17.html


今まで説明に無理のあった部分、スッキリしなかった情報の流れがめちゃくちゃわかりやすく整理されることになるので、歴史的タームとしてもはやケルトは不要である、という意見が出るのも当然と言える。
まあ、これでまだ旧来の"ケルト"の名称にこだわろうとする学者さんがいたら、それはそれで面白いと思う。


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【まとめ】

元々の"ケルト人"や"ケルト文化"は、幻の民でも何でもなく実在する。
ローマにケルタエ/ケルトイと呼ばれた、またケルトと自称した連中は本当にいた。記録もあるし考古学資料もある。

幻だったのは、近代に名乗られ始めたケルト人の「末裔」という自称と、伝統文化がケルトの伝統を汲むという説明のみ。「ケルト」の看板を外せば本来の個々の地域の伝統文化・伝承として理解可能。よって今後はその方向で理解が進むと考えられる。

何がケルトなのかとか今さら言い出しているのは今まで定義を考えずにブランドだけで「ケルト」と名乗っていたジャンルで、ざっくり言ってしまえば、それらはすべて元々"ケルト"とはほぼ関係ない。

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【おまけ】

今までのケルト本から「島のケルト」部分が消えると、こうなります。(「図説ケルトの歴史」より)
半分消えるね!

画像


ただ、この構成ならむちゃくちゃスッキリするんですよ。「ああ、ケルト人って要するにフェニキア人とかエトルリア人とかと同じなんだな…」って。歴史上実在していたけれど、ローマと戦ったり、ローマに吸収されたりして消えていった諸民族のうちの一つ。彼らの子孫は今も生きてはいるだろうし、文化の一部はローマの中に引き継がれた。けれどそれは、現代まで独自性を保ったまま受け継がれているものではない。

ていうかそもそも、今まで無理やり現代の自称ケルトとつなげようとしてたのがおかしかったんだよな、って。年表は空白しかないし解釈はこじ付けだし証拠はほぼ無いし、そもそも全然違うやんけっていうね。ていうか今までケルト人に追い出されてどこかへ消えたことになってた巨石文明人が実は今もそこに住んでましたとか、そっちのほうがロマンやん。

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