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zoom RSS ヒッタイト=鉄の帝国 というイメージの変更/鉄の伝播はヒッタイト帝国崩壊が切っ掛けではない

<<   作成日時 : 2017/06/22 00:10   >>

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これからは「鉄の帝国アッシリア」の時代だ(ドヤ

というのは半分冗談だけど半分はわりとマジメな話で、「史上初めて製鉄を行い、鉄の力でのし上がってきた帝国ヒッタイト」というイメージが、ここ十年くらいの間で大きく書き変わってきている。

ヒッタイト帝国が製鉄技術を有していたのは間違いないし、国として鉄にコダワリをもっていたのも確かだった。だが、その技術は「ヒッタイト・オリジナル」では無く、また製造されていた鉄の量もかつて考えられていたほどではなく、もはや「鉄の力によってのし上がってきた帝国」とは言えなくなってきている。というお話。

そして、ヒッタイト帝国の崩壊により製鉄技術が広まった、という説も、今ではほぼ支持されなくなってきている。


<旧来説>

・製鉄技術を編み出したのはヒッタイトで、技術を秘匿することによって広大な帝国を作り上げた
・ヒッタイトが「海の民」によって滅ぼされたことにより、製鉄技術が世界に広まった


<その後の研究で判明したこと>

・調査してみたら鉄製品を作ってた証拠がそれほど出てこない

・ヒッタイト人がアナトリアに移住してくる以前の地層から製鉄の証拠が発見される
 →製鉄技術を開発したのはヒッタイトに征服された先住民だった可能性が高い

・長らく「ヒッタイトからエジプトに輸出された鉄剣」と言われてたツタンカーメンの副葬品の剣を調査しなおしてみたら人工鉄ではなく隕鉄製だった
 → ヒッタイトとエジプトの間で鉄製品を交易してた証拠が消えた

・製鉄技術の広まり方は従来言われてたようにヒッタイトから年代順にはなってない
 →エジプトなどはギリシャ人が来るまで青銅器メイン

・ヒッタイトの都市の崩壊時に大規模な戦闘の痕跡がない


<現在>

・製鉄技術はヒッタイト帝国が築かれる以前の時代から既にアナトリアに存在した可能性が示唆されている

・ヒッタイト滅亡の原因となったのが「海の民」という証拠がなく、おそらく複合要因

・ヒッタイトは製鉄技術を秘匿していたわけではなく、その広まりもヒッタイト滅亡とあまり関係なさそう


実はヒッタイトについては、日本の考古学者がだいぶ昔から現地で研究している。著書もある。
ヒッタイトについての基礎知識やヒッタイトの製鉄については、とりあえずここを入門書にするといいと思う。



…が、この本が出てから10年以上が経過し、新たな発見によって内容に修正が必要になってきている、ということ。
最近報道されたニュースに、以下のようなものがある。


ヒッタイト「鉄の謎」に挑む 通説揺らぐ発見も
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201008070110.html

"従来、鉄の使用はヒッタイトから始まるとされてきた。今、その通説は揺らいでいる。より古い鉄の遺物が見つかり始めているのだ。

 近年カマン・カレホユック遺跡でも鉄器が見つかった。紀元前21世紀前後、ヒッタイトが栄える前の前期青銅器時代のものの可能性がある。ならば、鉄を初めて使ったのはヒッタイトより前にいた民族なのか。それともヒッタイトに連なる民族なのか。同研究所は、よりはっきりとした製鉄関連遺構を探す意向だ。 "



このニュースが流れた頃に書いた記事がこちら。

世界最古の鉄器発見でヒッタイト起源説否定。のニュースに食いついてみる
http://55096962.at.webry.info/200903/article_28.html

ヒッタイト続編 〜カマン・カレホユックと鉄の話
http://55096962.at.webry.info/200904/article_4.html


時間が経ちすぎて記事内からのリンクが軒並みリンクきれになっているが、トルコで発掘をしている「アナトリア考古学研究書」のページはこちら。
http://www.jiaa-kaman.org/jp/index.html

カマン・カレホユック遺跡の発掘報告はこちら。
http://www.jiaa-kaman.org/jp/excavation_kl_31.html

現在もまだ調査は続いているのだが、ニュース記事でも流れたとおり、近年の遺跡の発掘によって紀元前2100年頃には既に製鉄が開始されていたことが判明した。以下に参考年表を置いたが、紀元前2,000年というとかつては青銅器時代とされていた時代で、アッシリア人商人が居住するよりも前の時代になる。つまり製鉄技術自体は、ヒッタイト建国のはるか以前から存在したことになる。



画像





今のところ製鉄を開始していた最初の住人が何者だったのかははっきりしていない。だが、ヒッタイトという国が作られる以前から製鉄技術があったのは間違いないので、もはや「ヒッタイトは製鉄技術を手にしたから帝国を築けた」という説も、ヒッタイトが管理していたから製鉄技術が広まらなかったという説も成り立たなくなってしまう。

・製鉄技術を生み出した先住民はとくに大帝国を築けたわけでもない
・その後、アッシリア商人が住み着いて交易拠点になっていたのに製鉄技術は広まっていない

 →初期の製鉄技術には商品価値はなく、その技術自体は古代世界に大革命を起こすようなものではなかった

製鉄技術の発展や効率化は、もしかしたらヒッタイト帝国の治世下で行われたかもしれない。それが後の鉄器時代への移行をスムーズにした可能性はある。が、鉄の利用が時代を劇的に変化させたわけではない。



初期の鉄には商品価値がないのでは? という話で、ひとつ重要なことを指摘しておきたい。

既に何度かこのブログでも書いてきたとおり、「鉄は銅より強い」という概念は、実は正しくない。ゲームとかでは良く使われている設定だけれど…初期の鉄器は錆びやすいし脆くて、強度としてはむしろ青銅より下になる。

もし鉄が青銅よりはるかに強かったんなら、ヒッタイト以前に住んでた人たちはヒッタイトに制服されてないだろうし、ヒッタイトとエジプトが戦争をしたときも、引き分けになんてならずヒッタイト軍の圧勝でなければならなかった。鉄器の存在はさほど戦局を左右しなかったか、或いはエジプト軍の青銅器と互角にしかならなかったということだろう。「ヒッタイトの鉄」は今まで過剰評価されすぎてきたのだ。

「鉄」の技術は、最初は農具など消耗品に多く使われる。
簡単に大量生産できたこと、材料が手に入りやすかったこと、それが鉄が青銅より優れていた点なのだ。


なお、何故か考古学関係の本によく書かれている「鉄のほうが融点が高いから銅より高い技術を必要とする」というのも、科学的な視点からすると誤りである。ぶっちゃけ鉄は、銅よりも低い温度で精製できる。熱すれば柔らかくなるからである。刀剣づくりのシーンなどを思い出してほしい。鉄の剣を作るのに鉄を溶かしたりはしていない。赤く熱した鉄は、固体のままでアメ細工のように精製できる。温度が低いと不純物が完全に燃焼されない、というだけのこと。鉄の加工に融解させる必要はなく、人類が鉄を融解させられる技術を手に入れたのは近代である。

青銅については、日本でも青銅製の銅鐸や銅剣の再現実験が幾つも行われているので、是非それを確認してもらいたい。
銅鐸などを作る際に必要な温度は銅の融点をはるかに超える1,200度。それ以下だと成形が困難になる。青銅器を作れる文明は、製鉄も容易に行える。脆く錆びやすい鉄を実用レベルに製鉄する(武器に使う場合は柔軟性を持たせる)ことが難しいだけなのだ。

そしてもう一つ、昨今の刀剣ブームでよく知られるようになったはずだが、鉄は鉄単体では武器としての強度が低い。鋼とあわせて使うことで、武器としての使用に耐えられる強度になる。鉄を武器にするには鋼が必要。
おそらくヒッタイト帝国以前の先住民は鉄は作れたが、鋼を量産して"武器"を作ることが出来ていなかったということだ。真の技術革命は、「鉄」の誕生ではなく、「鋼」の誕生のほうだったかもしれない。ヒッタイトは、鋼を手に入れたことで鉄器武器の実用化に成功した、というべきかもしれない。


なお、このへんについては日本語論文も存在する。

『西アジア考古学 Vol. 5, March 2004』
http://jswaa.org/publications_all/jwaa/jwaa05/

全部興味深くて面白いけど、とりあえずヒッタイト絡みの製鉄の話が出てくるのは上から二番目の「古代西アジアの鉄製品 −銅から鉄へ−」。


最後に、ヒッタイト崩壊後の製鉄技術の伝播についても書いておく。
製鉄技術はヒッタイト以前からあった、なのになぜヒッタイト崩壊後に広まったかのように見えるのか。理由は、「ヒッタイトの時代に鉄器が武器として耐えうる強度に達したから」と、「ヒッタイト崩壊後の動乱の時代が大量の武器を必要としたから」ではないかと推測する。そして西アジアに限定して見ると、青銅器時代から鉄器時代への移行を促した最大の要因は、青銅器が作れない地域が多かったということではないかと思う。

青銅の生産には銅と錫が必要なのだが、その鉱脈は非常に限られている。両方にアクセスできる勢力はそう多くない。鉱脈を支配下に置いていて十分な青銅が生産できたエジプトなどは、製鉄技術に手を出すのはギリシャ人入植者がやってくるようになってからだ。

現在のところ、真の意味で「鉄の帝国」を名乗れる確実な存在は、新アッシリア(紀元前978年頃〜)だろう。
ヒッタイトとは引き分けたエジプトでさえ新アッシリアに負けて一時期支配下に入ったりしてるんで、ガチで製鉄技術+戦車で大帝国築いたと言える。


[>参考の年表とか

メソポタミア=シュメール ではない。シュメール、アッカド、アッシリア、バビロニア、違いをまとめた。
http://55096962.at.webry.info/201506/article_12.html

メソポタミア史でしょっちゅう忘れられている不遇の王朝を掘り出して年表にしてみたら
http://55096962.at.webry.info/201703/article_10.html


*****

…アッシリア地域はシリアとかイラク北部とか、現在どっかんどっかん大騒ぎしている地域なので、向こう数十年は発掘調査は困難。おまけに盗掘されたり爆破されたりで知られてる遺跡はほぼ崩壊してるという状況なので、アッシアに興味を持った人は今ある資料でガマンしながら枕を涙で濡らしてください…

アッシリアの辺境地域(クルディスタンとか)は今も調査してるみたいですが。

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