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zoom RSS 「古代エジプト人のミイラの遺伝情報調べたら近東人に近かった!」→ちょっと違います

<<   作成日時 : 2017/06/01 00:10   >>

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「古代エジプト人のミイラの遺伝情報調べたら近東人に近かった!」→「古代エジプトミイラのうち3体を調べたら、現代エジプト人よりも現代の近東人に近かった」

はい、というわけでいつものやつです。
PV目的のまとめサイトとかで「古代エジプト人はイスラエル人だった」あたりの捻りまくったタイトルが飛び交う予感がしたので、先手を打って速やかに潰しておきますよ(にこっ

この研究は、「古代エジプト人はやはりアフリカ人ではなかった」とか「黒人でも白人でもなく近東系だった」といったことを証明するものではない。いつも言ってるけど、ソースはちゃんと読もうね。分からないなりに何度か読んでたら何かは理解出来るから。

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「古代エジプト人のミイラの遺伝子調査を行ったら〜」という話の元論文は、つい先日ネイチャーに発表されたこれ。

Ancient Egyptian mummy genomes suggest an increase of Sub-Saharan African ancestry in post-Roman periods
https://www.nature.com/articles/ncomms15694#s1

日本語ネイチャーの要約はこれ

【遺伝】古代エジプト人のミイラのゲノム解析
http://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/11918

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英語で書かれた元論文のタイトル、および日本語の要約だけでもうオチはだいたい出揃ってますが。

 (1)今回の調査の目的は「古代」エジプト人の遺伝情報の調査ではなく、古代エジプト王朝末期の遺伝的傾向。

  →そもそも「古代」エジプトと呼べないローマ時代のミイラも入っている

 (2)調査された遺跡はエジプト中部のアブシール・エル・メレク遺跡一箇所のみ

  →地域差は考慮されていない

 (3)サンプルは時代の違う3体のミイラのみ(全体で151体を分析したが良い状態のヒトゲノムは3人分しか確保できていない)

  →サンプル数不足


古代エジプトの歴史は3000年で南北に長い国土を持ちますが、その全体をカバーする幅で大規模な調査を行ったわけではないです。対象はひとつの遺跡のみ。また、遺伝子解析の目的も人種などの話をするためではなく、古代エジプト王朝末期の人の流入による遺伝要素の変化を調べることです。

古代エジプトは紀元前30年、女王クレオパトラの死によってローマに併合されたときに終了します。その歴史のうち最後の1000年間は、度重なる異民族の侵入、異国による支配に悩まされていました。(ペルシア支配や、プトレマイオス朝支配によるギリシャ人の流入、リビア人の侵入など。)
いうことは、他国からの移住者が増えた影響によって住民も混血が進み、遺伝的な傾向に変化が起きていたのでは? というのが、今回の研究主旨となります。

[>参考:末期王朝〜の年表
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/index-matu.htm


その結果、王朝時代末期のエジプト中部のある遺跡のエジプト人には、現代エジプト人より多くの近東からの遺伝子の影響が認められた、というもの。

なので言っちゃなんですが、これ 当たり前の結果 だったりします。だってそのあとローマ支配受けてローマ人入り込んでくるし、さらにそのあとイスラム支配が始まるんでアラブ人ももりもり入って来ますもん。その前の段階で調べたら、そりゃー隣接してる近東からの遺伝的な影響のほうが大きいでしょー。



ではこの研究で何が重要かというと、

 ミイラの詳細な遺伝子調査が外国人にも解禁されたこと

ここじゃないかと思うんですよ。



10年ほど前に行われたツタンカーメンの遺伝子調査は主体がエジプトで、データの発表などはほぼエジプトに握られてました。また親子関係の精査に留まり、ハプログループの言及まではいたっていませんでした。これは研究対象がファラオのミイラであり、「古代エジプトは白人により支配されていた」或いは「古代エジプトは黒人の文明である」という両極端な偏見・差別的な思想を持つ人たちとの争点を避ける配慮だったと思われます。

古代エジプト文明を「偉大な祖先の文明」と国策で定義してしまった都合上、エジプトさんは今まで古代のミイラと人種を結びつける研究を嫌う傾向にありましたが、それがようやく緩んできたのかもしれません。

エジプトの地が、古くから多くの移住者を受け入れ続けてきた豊かな土地であることは間違いなく、時代・場所ごとに遺伝的傾向は大きく違うと予想されます。どの時代にどのくらいの流入があったのか今まではほぼ推測でしかありませんでしたが、時代ごとの遺伝情報を調査できればその規模がある程度わかるかもしれない。
つまりこの論文は、論文の中身に意味があるというよりも、この論文が世に出せたということ自体のほうに大きな意味があるわけです。



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【というわけでザックリとした内容まとめ。】


分析対象の遺跡から見つかったミイラは、時代の順番ごとに「プトレマイオス朝以前(新王国時代〜末期王朝)」、「プトレマイオス朝」、「ローマ支配時代」の3つに分けられている。全部で151体のミイラがあったが、ミトコンドリアDNAを抽出できたのは90体、ヒトゲノムを合格水準で抽出できたのは3体のみ。

ミトコンドリアDNAの分析結果は「Figure 3」の部分。ミトコンドリアDNAにもヒトゲノムでいうハプログループのような型があり、それぞれの型の数がグラフで描かれている。

画像


aのグラフの一番左が「プトレマイオス朝以前」、次が「プトレマイオス朝」、「ローマ支配時代」、「現代エジプト」、最後がサンプルの「現代エチオピア」。エジプトの構成比率はプトレマイオス朝以前から現代にかけて、なんとなく似たような構成になっているのに対し、アフリカ内陸のエチオピアはかなり異なる比率になっている。特徴的なのはL0〜L4のアフリカ特有の型の比率。これが現代エジプトで増えていることから、「エジプトのアフリカ要素は最近のものなのでは」という話に繋がっている。
ただし調査した場所が中エジプトの遺跡なので、おそらく上エジプト(アフリカ内陸部により近い)で調査すれば、アフリカ的な遺伝要素はもっと増えるはずだ。

画像


さらにミトコンドリアゲノムから、有効集団サイズというものを推定する試みも行われている。
遺伝子型の持ち主があまりに少ない場合は、時代とともに多いほうの集団に吸収されてしまう。あるミトコンドリアゲノム型が後世にも残るには、その型をもつ人がある程度の人数いなくてはならない。この特性を利用して、集団全体の人口を割り出すのが有効集団サイズeffective population size (Ne)のはず、である、たぶん。(自分の理解があっていれば)

それによると、今回の調査対象の所属していた集団の人口は48,000〜310,000となる。
ちなみに近くのファイユーム地方の人口調査の記録では、初期プトレマイオス朝の人口が85,000〜95,000だったという。もうちょっと精度上げていけば、長らく諸説乱立の状態にあった「そもそも古代エジプトの人口ってどのくらいよ?」という問題に新たな観点を加えられるのかもしれない。

次に来るのがヒトゲノムの部分の解析だが、これは3体分しかないので、ミトコンドリアDNA以上に古代エジプト人全体の傾向を示しているとは言いがたい。結果は「Figure 4」のとおりだが、レバントとリビアの間くらいのところに入っていて、まあ地理的にそうなるだろうなという感じ。

画像


現代エジプト人は、黄色で示された近東の遺伝子から少しはなれているため、この結果を見れば確かに「古代エジプト人のほうが近東の遺伝子に近い」とは言える。だが、エジプトはそれぞれの時代を通じて移住者を受け入れてきた土地なので、これも当然の結果と言える。結果が予想されるものになるということは調査方法が妥当な可能性が高い、ということなので、まあ、まあ、今回はサンプル数が少なかったけど今後に期待、という話が出来る。

いずれにしても、今回の研究はたった一箇所の遺跡の、限られたサンプルからの調査であり、"古代エジプト人"全体の話ではない。導き出された結果が妥当であるならば、同じ手法を用いて今後、他の遺跡のミイラも分析してデータを蓄積できるはずで、そのことがより重要な意味をもつ。

かつてツタンカーメンのミイラの遺伝子調査が行われたときには、グレーな情報が飛び交い、疑惑が付きまとっていた。しかし技術は着実に進歩している。今や古代人の遺伝子解析は珍しくもない技術となっている。

今後は、エジプトミイラの遺伝子解析もどんどん行われるようになるのかもしれない。



これからも同じような論文が発表されるかもしれないので要チェキですよ!!

※ 遺伝子調査の結果、国家アイデンティティを覆されてしまった可愛そうな国なんかもありましたが、今のところエジプトさんは…大丈夫…そう…です。

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