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zoom RSS 「カルデアとはメソポタミアの別名である」という誤解/それ旧約聖書の記述で史実とは異なります…

<<   作成日時 : 2017/03/06 00:10   >>

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メソポタミアの別名にカルデアという言葉はないんですが、この誤解わりとワールドワイドに広まってて、(古代史や歴史の本でさえ)色んなところに書かれてしまっているので、どういうことなのか簡単に説明しときます…

ざっくりと纏めると

「メソポタミアやシュメールを"カルデア"と呼んだ歴史は浅く、史実とも異なる。」

「楔形文字の解読がなされたのはつい最近で、それまでメソポタミアの歴史がよく判ってなかったうえに旧約聖書の内容が頭から信じられていたために発生した誤解。」

「カルデア人が主役になるのは新バビロニア(メソポタミア史のほぼ最後の部分)」

です。

画像


というわけで、以下にもうちょっと詳しい話をどうぞ。

*******************************************************

■カルデアは地域名ではなく民族名として使われることが多い

辞書を引いて、"Caldeans"という項目はあっても"Chaldea"はあまり出てこない。というのも後にカルデア人と呼ばれるようになる人々は、元がメソポタミアに侵入してきた外来の民族(おそらく遊牧民)で、まともな国を作るのはバビロニア制圧してからだから。バビロニア制圧後は新バビロニアと呼ばれるのでカルデアという国名ではない。ちなみに地域名としてのバビロニアとは「シュメール」と「アッカド」を合わせた地域のこと。

なので、ウィキペディアで「カルデアはメソポタミア地域の別名」などと書かれているのは色んな意味で混乱していると思われます… 旧約聖書にはウルというメソポタミアの都市のひとつが「カルデア(人)のウル」として出てくるので、それを地域名だと思ってしまったのかもしれない。何十年か昔だと、メソポタミアとカルデアを混同して使っている本もあるけれど、最近の本で両者を一緒くたにしているのは流石に出てないと思う。


■史実のカルデア人の初出は紀元前9世紀のアッシリアの碑文

前878年のアッシリアの碑文で「カルデア人がバビロニアに侵入してきた」と書かれてるのが最初で、それ以前の記録は今のところ見つかっていない。ので、メソポタミア地域では超新参者。

 *「バビロニア」とか「アッシリア」とかの時代・地域の区分については以下の記事を参照
 http://55096962.at.webry.info/201506/article_12.html

ざっくり言うと、バグダッドより南の地域がバビロニアで、それより北がアッシリア。なので、アッシリアではなくバビロニアに侵入してきたということは、エラム人などと同じ南方からやってきた”蛮族”ということを意味します。カルデア人の中にも複数の部族があり、彼らは分散してバビロニア周辺に陣取りました。そして時代とともにバビロニア人と同化していき、のちにアッシリア帝国に反旗を翻して「新バビロニア」を建国します。

なので、 新バビロニア ≒カルデア人の王朝 になりますが、 バビロニア人=カルデア人ではないです。元々のバビロニア人もいるし、細かいことを言えばシュメール人もアッカド人も合流した多民族混成の集合体がバビロニア人なので。
古ビバロニア、中期バビロニアの時代にはそもそもカルデア人という言葉がそもそもないし、メソポタミアに侵入してきた記録もないです。


■メソポタミア南部をカルデアと呼んだのは旧約聖書

じゃあ後から来たニューカマー(新参者)なカルデア人がなんでメソポタミアに元々いた人たちと混同されるような事態になったのかというと、旧約聖書での扱いが 新バビロニア=カルデア人の国 だったからなんです。(≒ではなく=にされている)

楔形文字が解読されていなかった長い時代には旧約聖書がメイン資料として使われており、歴史が良く判ってなかったため、誤解が広く根深く広まってしまったようです…

新バビロニアの時代に、旧約聖書編纂者にとって重要事項であるバビロン捕囚が起きていますが、それはカルデア人によるもので、かつ新バビロニアと古バビロニアが区別されていないので、バビロニア自体が昔からカルデア人の王国だったように書かれてしまっています。(列王記とか)
このへんから誤解され、「シュメール地域を含むメソポタミア南部の覇者であるバビロニアがカルデア人の国だったんだから、それ以前のメソポタミアもカルデアでいいんじじゃね」と慣習的に「シュメール人」と「カルデア人」とか「メソポタミア地域」と「カルデア人の国」が同一視されるようになった…と推測されますが、両者が本来は全然別モノなのは既に説明したとおりです。誤解なので現在は修正されてます。

ちなみに旧約聖書の大筋の成立はバビロン捕囚以降の時代と見られていて、それ以前の時代のことはあまり正確ではないです。歴史書としては使えないんですね。まあ宗教上すべて真実と信じてる人もいるっちゃーいますが。


■近年まで誤解された名称が使われていた事実

なお、この件に関して、古い本は参考になりません。なぜなら誤解したまま書いているからです。
たとえばアラム語は古い本では「カルデア語」にされてしまっていますが、これは旧約聖書のダニエル書でそう書かれているからで、実際はアラム語はアラム人の言葉です。カルデア人はアラム文字を借用してただけ。なのでカルデア文字という言葉を使っている本は情報が古いまま更新されていません。
なお、アラム人とカルデア人が民族的に近いかとか、語族的に同じかというのは別の問題です。

その他、占星術や星座の本などで「星座を発見したのはカルデア人」という古い俗説が書かれている本もありますが、おそらくバビロニアの黄道12宮あたりのことを意味していて、「バビロニアはカルデア人の国のはず」と一緒くたにされていた時代から、情報が更新されていないのだと思われます。




というわけで、もういちどまとめ

 新バビロニア ≒カルデア人の王朝

 カルデア人は紀元前900年以降のバビロニアへの進入が記録の初出。

 メソポタミア(もしくはシュメール)の別名とするのは誤り



まああれです毎度言ってますが、ウィキペディアの古代史関連部分は相当酷くて、落とし穴しかないんで、あんまり参考にしないことをオススメします(´・ω・`)
ソースがあれば書けるのがあそこなので、何十年か前の古い本ソースにしても書けますし、ソース同士の整合性も問われないですけんね。

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