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zoom RSS 「暗黒時代」に差し込む光。インダス文明衰退後もディルムンはインドと交易していたかもしれない

<<   作成日時 : 2017/02/06 00:10   >>

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デンマーク隊がクウェート沖のファイラカ島で宝石工房の跡を発見した、という記事が上がっていた。
工房からはインダス文明の代表的な交易品であるカーネリアンなど、インドやパキスタンと交易しないと手に入らない半貴石が出土しているという。

3,500 year old jewellery workshop found on Kuwaiti island
https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2017/01/3500-year-old-jewellery-workshop-found.html#4Tgf6POuwMLA4EPM.99


ここでちょっと説明すると、ディルムンという名前はメソポタミア側の記録に残っている名前で、海を越えた先にあるインダス文明圏とメソポタミア文明圏との交易を仲介した政体を指している。メソポタミアでは、オマーンあたりにあった政体のことも、バーレーンあたりにあった政体のことも同じディルムンという名前で呼んでいるので注意が必要。紀元前2000年以前の「ディルムン」はオマーンのこと、紀元前2000年以降だとバーレーン。で、そのバーレーンを中心とした「バールバール文化」の出先機関がファイラカ島になる。
バーレーンのほうのディルムンは、およそ紀元前2,100年-1,700年頃に栄えた「バールバール文化」の中心として知られている。

超ザックリと図にするとこんな感じ。
陸路でいうパルミラやサマルカンドのハブ的な役割を、海路で担っていた政体がディルムンという解釈でいいと思う。

画像



*このあたりの話は、以下の本に詳しい。また、年表の部分だけ切り出して記事を作ってある。
*「古代の海洋交易国家」「二つの文明をまたにかけた船乗りたち」というキーワードに心が動いたなら、きっと楽しめるだろう本。



http://55096962.at.webry.info/201602/article_16.html


ディルムンはインダス文明とメソポタミア文明の間を橋渡しして発展した交易国家なので、紀元前1900年から1800年くらいにインダス文明が衰退し、その少し後にメソポタミア南部もバビロニアが崩壊して衰退期に入ると、連動して衰退していく。

そして紀元前1,500年頃には、メソポタミア南部を支配したカッシートの傘下に組み込まれてしまう。

今回の発見は紀元前1700年から1600年くらいの間なので、ちょうどその間ということになる。カーネリアンなどの交易品の宝石が出てきたということは、インダス文明崩壊後、いったんは途絶えてしまっただろう交易ルートが再開されていた可能性を示している。
文化の衰退後の時代は「暗黒時代」と呼ばれているが、記録がないだけで、実は人々はあんがい以前と変わらない暮らしをしていたのかもしれない。



ちなみに紀元前1500年だとエジプトはちょうど第18王朝のノリノリなあたり、さらに数百年発ってアマルナ時代に突入すれば、バビロニアとエジプトの交換書簡とかが残っててメソとエジプトが繋がってたことが確実なのだが、インダス文明の衰退はエジプトにはどう伝わっていたのかなあ…。ラピスラズリがエジプトに入っているので、交易路がどこかで繋がっていたのは間違いないのだが。


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そういえば、バーレーンにはたくさんディルムン時代の古墳があるのにファイラカにはディルムン人の墓がない、っていうの、考古学者に前から大層不思議がられていたが、「海葬」というセンはないのだろうか。死んだ人は海に流す、っというやつ。船乗りで暮らしてた民族とかなら海葬でも受け入れそうなんだけどな…。

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