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zoom RSS ケルト人がブリテン島に渡った(もしくは地元民がケルト化した)のは紀元前500年頃。ド新参ですよ…

<<   作成日時 : 2016/12/07 00:10   >>

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前にも書いた気がするけどもう一回。
何が言いたいかというと、イギリスとかアイルランドとかでは ケルト人って新参の余所者だよ? 昔からケルトがそこにいたわけじゃないよ? っていうお話である。

確実な年代を挙げるとたかだか紀元前500年くらいで、紀元前1世紀頃からはローマ人に支配されてて、そのうち同化して消えて行くのがケルト文化。なのでウェールズとかアイルランドとかスコットランドとかに大昔から住んでた先住民ってわけではないし、ブリテンやアイルランド=ケルトってわけでもない。えっじゃそれ以前にイギリスとかアイルランドにいた本当の先住民って何なの? ってことですが、民族名とか判りません。氷河期の終わりくらいには人が住んでた形跡があるので、誰かは居たみたい…っていうレベル。ただ、その「誰か」がストーンヘンジなど巨石群を作ってたことは間違いないです。

ちなみに現代ケルトは大半が18世紀にリバイバルされた「多分ケルト人ってこんなんだった」というイメージに沿ったものなので、ぶっちゃけ合ってるのかどうか分からない。古代のケルトとは別物と考えたほうが良いシロモノでございます。現代ケルトのイメージは近代に再生されたもので、かつケルト=先住民みたいなイメージも「作られたもの」。


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まずケルト文化についておさらい。

ケルト人の文化とされるハルシュタット文化が中央ヨーロッパからブリテン島に到達するのは、紀元前800-500年くらい。これは証拠のブツが残ってる時代で特定できる。ただしケルト語を話していた地域の全てがこの文化に属してはいないし、ハルシュタット文化のものが出てくる地域でもケルト語を話していないケースもある。
確実と思われる年代として、紀元前500年ごろにはブリテン島にケルト語が入っていた。

ただ、これは「ケルト人が移住してきたから」なのか、「ケルトの文化が入って来たことによる変化」なのかで説が分かれている。近代のDNA鑑定では、時代ごとに見た住人のDNAに大幅な変化はなく連続しているという結果も出ており、後者の「言葉だけケルト化された」、もしくは「移住者の数はそれほど多くなかった」という説が有力視されてきている。

ケルト人は、よく知られているとおり紀元前500年ごろから各方面への大移動を開始する。ローマに攻め入ったり、アナトリアを越えてガラティア人になったり。しかしその離散の結果、どこにも長続きする自分たちの国を築くことは出来なかった。そして紀元前1世紀にはガリアはローマの支配下に入る。そしてローマ撤退後の4世紀以降は、ローマ軍の戦力なく国防を迫られる戦乱の、そして"アーサー王の"時代へと突入していくのである。


ケルト文化は基本的に青銅期以降の文化である、ということを覚えておくと理解が楽になる。
アイルランド、ブリテン、そしてフランスのブルターニュなとの巨石文明は、金属器の使用が始まる前に発達している。(逆に言うと金属が使用されはじめると巨石の遺跡は作られなくなる) 
ストーンヘンジを代表例とする巨石の遺跡群はいずれも石の道具のみ使って作られたものだ。

ちなみに説によっては青銅期文化もケルトのものとしているが、はっきり言えば根拠不足。今のところ確実にケルトのものと言える文化の広がりでは、500年頃までにブリテンが範囲に入ったとしか言えない。尚、もし仮に青銅期まで入れるとしても、巨石遺跡群の作られていた時代には届かない。

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…というわけで、ケルト人は新参だしストーンヘンジとかドルメンとかも作っていない。

え? ケルトの妖精とか女神とかってストーンヘンジや巨石と結び付けられてるって? …それはねー、ケルトの人たちにとってそれらを作った人とか意味とかが判らなくなってたから神秘的な方向で解釈するしかなかったんだねー多分! 大昔からそこにあって、何だかよく判んないけどすごいから自分たちの神話に取り入れちゃうぞぉってヤツ。

似たようなパターンにメキシコのテオティワカンの遺跡がある。都が放棄されたあとにアステカ人がやってきて「何これピラミッドとか建ってるスゴい、良くわかんないけどとりあえず俺らのものにして名前つけちゃおう」みたいな感じで再利用している。

もっとも、最初に書いたようにブリテンのケルト人の正体については議論がある。もし彼らが完全な新参者ではなく、土着民がケルト化しただけだった場合は、実は自分たちの祖先が作ったものだったのに千年後に作った理由をスッカリ忘れちゃって別の神話にくっつけちゃいましたぁ★ という、エジプトと同じパターンになるかもしれない。



ブリテン島やアイルランドに、ケルト人の次にやってくるのがゲルマン系の諸民族である。
今日のイギリスを構成する主要民族である。現代のイギリスの主要言語はケルト語ではなく英語だが、元々は北からやって来たアングロ・サクソン人の言葉だ。しかし、ゲルマン人はそもそもローマが撤退した後から傭兵として一定数がブリテン島で雇われていたし、紀元後8世紀にはヴァイキング時代が始まって沿岸部分に居座るようになっていくので、「余所者」と言ってもケルト人より1000年後に来たに過ぎない。

要するにブリテン島とは、時代を通じて断続的に色んな民族が波のようにやってきて重なって住み着いた場所なのだ。ケルト神話には「来寇の書」という、島に幾多の民族が訪れては敗退していくエピソードがあるが、あるいは、島嶼部への移住が複数の民族によって繰り返し行われたという古代からの状況がモデルになって作られたのかもしれない。

だからケルト人が土着でローマやゲルマン人が余所者、ってことはないのです。


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ケルトのイメージって、多分こういうやつだと思うんだけど、残念ながらこういうの作ったのは正体不明の「巨石文明人」でして…。

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ガリア戦記の半裸でヒャッハァーしてるイメージのほうが現実に近かったと思うんですよねー。
妖精さんより戦と死の女神が血なまぐさくにっこり微笑んでるほうがケルトっぽい。



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* おまけ

ストーンヘンジを作った人々、その目的
http://55096962.at.webry.info/200902/article_2.html


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