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zoom RSS 物凄い勢いでツッコミしか入らない…「兵馬俑の像はギリシャの影響?!」説の根拠

<<   作成日時 : 2016/11/06 00:10   >>

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最初に出たのはBBCの報道のコレ。

紀元前の中国にギリシャ人陶工? 兵馬俑の調査で新たな見解
http://www.bbc.com/japanese/37628254

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「兵馬俑の像のリアル追求はギリシャ像の影響かもしれない」。
は? なんでギリシャなの? と、なーんかずっと引っ掛かってたんですが、ナショジオで特番やってたので見てみました。

始皇帝陵の暴かれた真実
http://www.ngcjapan.com/tv/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/2078

"アルバート・リンとナショジオが中国、始皇帝陵の新たな秘密を暴く。
立ち並ぶ兵馬俑たちは、始皇帝陵がマンハッタンとほぼ同じ大きさだという事を考慮すれば氷山の一角にしか過ぎないのは明白だろう。まだ多くのことが解明されていないこの陵墓の謎の核心に迫った時、歴史だと我々が思い込んでいた事実とは違った真実が見えてきた。 "


結論から言うと、何じゃこりゃな根拠で、「いや…ちょっと…それは無理がありすぎじゃね?」みたいな内容だったんですが、とりあえずそれは後回し。




本題とはそれますが、まずは最初のBBS記事の日本語訳をした人に超ダメだしをしたい。この日本語記事には、かなり致命的な誤訳(というか捏造に近い)があります。

"このほか研究者らは、始皇帝の陵墓の規模が当初考えられていたよりも巨大で、エジプトの「王家の谷」にあるピラミッドの200倍以上ある可能性を示す新たな証拠を発見している。"


王家の谷のピラミッドって何

まさか墓の上にちょこんと載ってる1mくらいのミニ・ピラミッドのことを指してるの? w 違うよね?
王家の谷ってのは大規模なピラミッドが作られなくなった時代に、盗掘を避けるためヒッソリ墓をつくるようになった時代に王族の墓が集中して作られた谷間のことだけど、訳した人判ってないよね。原文にもピラミッドなんて単語は一切出てこないのに、「エジプトの墓だからピラミッドだろ」って勝手に脳内変換して付け足したよね??


ちなみに原文では、こうなってます。

"Other discoveries include new evidence that the First Emperor's tomb complex is much bigger than first thought and 200 times bigger than Egypt's Valley of the Kings."

で、どこがピラミッドなんですか…。







えー、というわけで、話をナショジオの番組のほうに戻します!
根拠は、

 ・始皇帝の時代まで、中国には25cmくらいのちっちゃい像しかない。
 ・とつぜんリアルで等身大な像が出現。
 ・なのでよそからの影響のはず
 ・同時期のアフガニスタンからリアルなギリシャ像が出ているから、きっとその影響!

…という、完全に推測でしかないというアレなやつでした。いやそれ思いつきレベルじゃねぇかよ(笑)
「なんとなく似てるから…」って全然根拠にならないですよ。「オルメカの巨大な頭の石像がアフリカ人に似てるから、古代エジプト人がアメリカ大陸に渡って文明を築いたはずだ!」ってのと何ひとつ変わらないですよ。何いってんの…って思いながらポカーンで見てましたが、マジでそんなもんでした。


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そしてこれ、問題の比較されてる「アフガニスタンとウズベキスタンの国境」「同時代の像」「アレキサンダー」って・・・・

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アレキサンダーが東征中に作らせた町「アイ・ハヌム」のことだよね・・・?

※詳しくは、アフガニスタン展関連で書いた記事を参照だ!!
http://55096962.at.webry.info/201605/article_7.html

ここからの影響を論じるなら、現代のアフガニスタン付近に作られたギリシャ系の王国、「グレコ・バクトリア王国」と当時の「秦」との交易あるいは交流ルートを想定しないといけないんだけど、可能なの? 「像が似てる」とか以前にまずそこでしょ。

そもそもグレコ・バクトリア王国は一時的なもので、その後、東から押し寄せてきた大月氏に滅ぼされてそのまま消えちゃうんですけど。インドにギリシャ様式の影響を受けたガンダーラ美術が成立するのが紀元「後」2世紀。交易ルートとして「アジアの十字路」が確立されるのもそのあたり。始皇帝は紀元「前」3世紀。

そもそも始皇帝の時代に何で万里の長城なんか作られてたかっつーと、秦の領土のすぐ側に匈奴やら月氏やらの異民族(騎馬民族)がヒャッハーしていたからなんですよ。つまり、人の往来はあれど交易ルートに使うのが難しい。シルクロードの成立までにはまだ時間がかかり、中央アジアはとても安全に突破できるルートではないと思われる。使うならまだ海路のほうがワンチャンある。アレクサンドロスの後継者たちによってインドまではとりあえず道が繋がっているので、そこからアジア経由で中国は、もしかしたら行けたかもしれない。

というわけで、アイ・ハヌムの像と、同時代の秦の像が似てたからといって、両者が繋がってるとは言いがたい。



さらにひどいなと思ったのがコレ

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何言ってんだこの人…。
地図見てないよね。

秦って

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こうだよね?


たぶん、この人の頭ん中では、飛び地の入植地に過ぎない、しかも短い命だったアイ・ハヌムの町が、大ギリシア帝国圏に属する何かになってるんだと思う…。でもって、グレコ・バクトリア王国=アフガニスタン全土 くらいのイメージじゃないと、こんな変な発言にはならない。

現代の中華人民共和国と、現代のアフガニスタンは、確かに隣同士ではある。
でも、番組の中で言ってるのは紀元前3世紀以前のお話。現代の国境なんて関係ない。というか当時は、中華人民共和国もアフガニスタンも影も形もないから、何の根拠にもなってない。

実際はこんだけ離れてます。

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そして先にも述べたように、グレコ・バクトリア王国は短命で、一過性の入植地なので、当地にそれほど強い影響は残さず消えちゃいます。次にその地方に文化を築くのが、グレコ・バクトリアを滅ぼしたと思われる騎馬民族ってあたりでお察し下さい。




というわけで、ツッコミどころしかない説でした(´・ω・`)

これってたぶん、「ギリシャは西洋文明の祖!」だと思ってるヨーロッパ人が、無意識に中国文明もギリシャの系譜に繋げてしまおうとして作り上げた現代ファンタジーの一つじゃないかと思うんだ。
アジアの文化は、確かにギリシャに繋がってるところはある。ガンダーラ美術とか。
でも全てが繋がるわけじゃないし、影響は距離とともに小さくなっていくので、秦まで辿り着いたモノがあったとしても、それほど強い力は持たなかったんじゃないか。たとえ外国人が秦に来ていたとしても、その数人で歴史を変えられたとは限らないしね。

まあ、この説を補強する証拠出すのは… なかなか難しいだろうなぁ…。





で、ナショジオのこの記事もついでに。

兵馬俑の職人、ギリシャ人芸術家が訓練か
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/101400388/?P=1

ここの下の方にある写真見ると、ギリシャ彫刻じゃなくてシュメルの祈願者像だよね(笑
「似てる」ってだけを根拠にするなら、そっちの方が面白そうなんじゃね? って思うんですが。

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兵馬俑実はデカイよってこの記事は言ってますが、墓本体だけじゃなく周囲の関連施設や殉死の墓まで入れてるので、その基準だったらエジプトのピラミッドは河岸神殿から周辺の貴族墓まで入るから、面積的にはトントンな気がする…。


****
というわけで結論は、最初にも書いたとおり

 「思いつきレベルなので今は箸にも棒にもかからない」

ってカンジです。
いやあ、こんな思いつきレベルで世界に発信できちゃうもんなんだなぁーってシミジミ。中国史とか大してわかんない自分でもツッコむしかない番組でございましたことよ。

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