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zoom RSS 「人はなぜ花を愛でるのか」→色がついてるからじゃね、山屋はそうだから

<<   作成日時 : 2016/11/12 00:10   >>

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こないだ読んだ「人はなぜ花を愛でるのか」という本は面白かったのだが、心理学畑からのアプローチが無かった。たぶん認知心理学や発達心理学の人からアプローチするならば、「人が花を意識しはじめたのは、人間という生物が視覚情報を重視するようになってからである」「重要なのは色」という結論を出すと思う。

そもそも、小さい子は花を美しいとは思わない。
何を美しいと感じるかなどは、属する社会によって決定される。視覚情報の処理は生後に段階的に発達していくものた。何が美味しくて何がマズいかなどは、生まれときから本能的に判断基準を持っているが、見て判断するのは後天的な能力の一つ。

においも異物としか感じられない。花の香りを「良い香り」と判断するのは、完全に後天的に獲得する文化的な判断基準だ。



というわけで、自分なりの「なぜ花を愛でるのか」という話をしたい。



現在町中で見かける大半の花、家の花壇にあったり、花屋で売られていたするものは、人間によって品種改良されて、人間が「美しい」と感じる姿に変えられたものだ。しかし野や山に行くと、人間の手の入っていない、野生のままの花が沢山ある。野生の花は、人間のために咲かない。花はハチやチョウを呼び寄せるために咲く。なのにそれを美しいと感じるのは、…ひとえに 色が鮮やか だからだと私は思っている。

登山やトレッキングをしている人たちは、程度の違いこそあれ、たいてい野山の草花が好きである。
なんで好きかというと、色がキレイだからだ。それがあると風景が鮮やかになる。香りとか形とかは、さほど気にしていない。まず視覚、色である。

だから、これと、

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これは、同一カテゴリの「愛でる」対象だったりする。

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色がキレイなら花でも木でもいいし、咲いてるものでも紅葉でも構わない。
なので新緑の季節だと花とかなくても緑の色鮮やかなの自体を「愛で」てたりする。
だから最初の頃の人類も、花の「色」にまず惹かれたんじゃないかなと思うのだ。

今でこそ人は色を簡単に自由に作りだせるが、そもそも大昔には、人が作り出せる色は限られており、しかも、とても手間がかかった。花は、その「色」を自ら作り出し、世界を染め替えることの出来る存在と認識されていたと思う。もしも花の色が、人の眼にも鮮やかに見えるものでなかったならば、おそらく人類は花を愛でるという概念を獲得しなかったと思う。



この推測からすると、世界が白黒にしか見えない動物、たとえばイヌなんかには、花を愛でるという概念は生まれないことになる。逆に、花の色を(人間とは違う見え方だが)認識できる虫や鳥には、愛でる概念が生まれるかもしれない。もっとも、「愛でる」という概念の定義をどうするかによるとも思うのだが…。


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山道を歩いていると、緑に飽きることがある。
こんな感じの道が二時間くらい延々つづいてると、確かに緑はきれいなんだけどいい加減飽きたなーってなってきて、

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そこに色鮮やかな花のトンネルとか出てくると「うおおおおぉ!」ってなんの。
色があると世界が変わる。花を愛でるようになったって、こういうことだと思うんだ。

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