現在位置を確認します。

アクセスカウンタ

zoom RSS 自伝の読み方 〜"自伝"とは当人の見せたい自分であり事実ではない

<<   作成日時 : 2016/08/24 00:10   >>

トラックバック 0 / コメント 0

私は自伝というジャンルが昔はあまり好きではなかった。何しろほぼ例外なく「自分語り」である。存在する意味が分からんし何が面白いのか分からんと思っていた。

むちゃくちゃすごい人や自分の敬愛する人がいたとして、その人が自伝を書いてたとしても、だからってその人の一生の話なんか読んで楽しいとか何か学べるとかは思わない。やった仕事の内容に興味はあっても、その人そのものについては別にどーでもいいのだ。

子供のころにあった出来事や好きだったものが、生涯に渡って影響を及ぼすなんていうのは、大半が後付けの嘘ストーリーだと思っている。
私だって、別に子供のころはエジプト好きじゃなかったし遺跡なんてどーでもよかったからである。

エジプトにハマったのは高校からだし、それも大学に入るころには一度飽きて北欧神話とか西洋文学とか別ジャンルに手を出してたからね。そして今はシステム屋ですけど何か? 子供のときからずっと一つのことだけ追い続けないといけない理由でもあんの? ていうか皆そんなに子供のころ好きだったもんのこと覚えてるの、本当は忘れてて後から好きだったことにしてるんでしょ?みたいな。



だが、ある時ふと、読み方を変えれば面白いことに気がついてしまった。



  自伝とは、自らの作り上げた自己像を他人に承認させるためのものである



これは、WebサイトやらブロクやらSNSやらで、やたらと自分語りをしている人がいるなぁと思いつつ、その人がどういう理由で自分語りをしているのか考えてみたときに思い当たった。
自分語りをする人には、必ず語りたい内容、すなわち「見せたい自分」がある。
それが「現在他人から見られている自分」と異なるか、他人に知られていないと感じるときに、自己語りの欲求が生じる。欲求があるから行動する。自伝とは自分語りの形式の一種である。SNSに羅列するのと、自伝という一つの作品に仕上げるのとは、完成度と手間の違いに過ぎない。


単なる自己満足乙ww 自意識過剰ww と揶揄するのは簡単だが、何か一つの作品を仕上げた経験があるならば、それにかかる労力が大きなものであることは分かるだろう。

自伝を書いた人は、他人から見られる自分の姿に何がしかの不満があったはずだ。そして、多大な労力をかけても、その認識を自らにとって好ましい方向に是正したい、と(無意識にかもしれないが)思っていたのだ。





…そう、自伝を読めば、 

  その人が抱えている負い目やトラウマが、ある程度見えてしまうんである。




たとえば、公式の記録では離婚経験があり、子供の養育費も払わずにトンズラこいているにもかかわらず、自伝では一言もそんなことは書かず、二度目の結婚での甘い生活や二人目の妻の話ばかり書いていたり。

素行不良で高校中退したのに、家庭の生活苦が原因で中退せざるを得なかったと書き、その後苦労して大学に入ったと何故か自慢話になっていたり。

子供のころから伝説は真実だと信じていて、いつか証拠の遺跡を見つけてやると誓ったことになっているが、本当は人生の後半になるまで伝説なんて信じていなかったし、元々その遺跡にはぜんぜん興味なかったことが自伝を書く前の著作にはこそっと書かれていたり。




ぶっちゃけ、コレはむちゃくちゃ嫌らしい読み方だと思う。正直あまりオススメは出来ない(笑) でも自伝というジャンルを面白く読もうとしてたら、自分にはこれしかない。

本人が書いたものだとしても、自伝は真実ではない。むしろ他人が書いたものより遥かに強く主観バイアスがかかっており、記録としては使えない。自伝の中に描かれるその人は、本人の見せたい自分にしかならない。

自伝を読めば、その人が「一人の人間」として、何を考え、何に悩み、何を欲していたかが分かる。しかしその内容は書かれている内容そのものではなく、行間に隠れているのだ。




まああと、自著の後書きとか前書きとかでやたら自分の人生について語ってるのも自伝の一種みたいなもんなんで、過去語り多い著者とか行間が面白いっすよ。本人は邪推だとか勝手な想像すんなとか怒りそうですけどね。


人間、どーでもいいことは腹も立たないので、腹をたてる人がいたら何か痛いところに刺さったってことですね(

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

自伝の読み方 〜"自伝"とは当人の見せたい自分であり事実ではない 現在位置を確認します。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる