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zoom RSS クレオパトラってエジプト女王だけど外国人なんだよね? ←何で外国人がファラオになったのか説明する

<<   作成日時 : 2016/07/31 00:10   >>

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エジプト最後の女王、クレオパトラ。

最後の女王とは言いつつ彼女はエジプト人ではない。…いや、エジプトで生まれ育ったという意味では「エジプト人」なのだが、元々はギリシャ系(正確には祖先はマケドニア人)で、クレオパトラの時代のエジプトは、実はもうエジプト人がファラオをやってなかったのだ。

というわけで、なんで外国人がファラオやるようになったん? という話を、すこし遡った時代からしてみようと思う。



●「万世一系」のファラオから、「神がいいよって言ったらなれるファラオ」へ

古代エジプトの中でも古代、つまりピラミッドとか作ってた時代のファラオは、神の化身であり不可侵の存在として扱われており、とてもえらかった。
神の子孫であったころのファラオには、戦前の天皇家に対する信仰と同じような「万世一系」という概念があった。血統至上主義である。神の子孫という扱いだったのだから当然だろう。

しかし、時代が進むにつれて、ファラオは神のしもべとなり、さらに神の直接のしもべの役割が神官に委譲されるにつれて、神聖さという意味の価値は下がってゆく。ターニングポイントとなるのは第18王朝、アクエンアテン王のあたり。その息子と考えられているツタンカーメンを最後に、王家の血筋はバッサリ途絶えてしまう。

王家の血筋は途絶え、かわりに王家に縁もゆかりもない一般人が王朝を起こすのが次の第19王朝。このへんから、「王に血筋とか関係ないよね、主神がオッケーって言ったらええんちゃう」という風潮が生まれてくる。



●「エジプト王に、俺はなる!」と神官までもが言い出す時代へ

でもって「神がオッケーって言ったら王になれるんだったら、じゃあ神とマブダチな俺らが王になればいいんじゃね!!
と、神官たちは考えた。そして第19王朝滅亡とともに、第20王朝(主都タニス)、第21王朝(首都テーベ)が並列で成立。ナイル下流のタニスは元将軍、ナイル上流のテーベは大神官が作った国だった。

ここから王朝の系譜がぐちゃぐちゃになります。



●王朝乱立、戦乱の時代へ突入

王家の血統はもはやどこいったかわからない。ていうか高貴な血筋じゃなくても王になれる。
そうと決まったら戦国時代だぜヒャッハー! と、第三中間期がスタート。最初にエジプト全土を制定した奴が摂政関白、いやファラオ様だ。途中、「戦乱の時代で伝統が失われているのは嘆かわしい。俺らが制定して伝統を取り戻す!」と、元植民地だったヌビアの王まで参戦するも、意外とヌビアの統治時代は古き伝統が守られていたりして安定していた。

しかしそんな内乱の時代も外敵によって終わりを告げる…。
やつらが やってくるのだ



●猫バリヤーの悪名を流した男、カンビュセス登場

第27王朝、通称「第一次ペルシャ支配」。
ペルシャ王カンビュセスがエジプトまで攻め入ってきたのである。内乱状態のエジプトに抵抗するすべはなく、なすすべなく支配下に組み込まれてしまう。
なお、このときカンビュセスがエジプトの伝統をないかしろにしたというので猫バリヤーを使った、なんて卑怯なッ! という伝説を作られたが、おそらく史実というよりはフルボッコにされた古代エジプト人の言い訳である。(笑)

ただしペルシャ支配もそう長くは続かず、ペルシャ人も本国での内乱が原因でいったんは退くことになる。



●最後のエジプト人ファラオはネクタネボ2世(紀元前343年ごろ)

そんなこんなで覇者の出ないまま迎えた第30王朝、ここが最後のエジプト人のファラオの即位した王朝である。
つかの間の栄華の夢のあと、戻ってきたペルシャが再びエジプトを支配。第二次ペルシャ支配の開始、この時点でエジプトにはもはや自力で支配を脱する力はない。

――そこに登場するのが、マケドニア王家 アレクサンドロス(アレキサンダー) だったのである。



●ペルシャ<<<ギリシャ だったエジプト人、進んでアレキサンダーを受け入れる

エジプトにとってギリシャは、古くからお付き合いのある文化圏だった。当時ギリシャ人入植地は既にあったし、出稼ぎギリシャ人なども多く暮らしていた。異文化かつ宗教の理解もないペルシャの支配はまっぴらだったが、なじみのあるギリシャ人でしかもエジプト古来の文化と宗教を尊重してくれる支配者なら喜んで受け入れる素地は出来ていた。

というわけで、ペルシャ支配からの解放者アレキサンダーは、万歳三唱をもってエジプトのファラオとして正式に迎えられた。

彼が実際にエジプトに滞在した時間はそう長くないはずだが、その後も「ファラオ」アレキサンダーの治世年はカウントされ続けていくことになる。そして、滞在中に建造を命じた、王自身の名を冠した都・アレクサンドリアが、アレキサンダー没後、その後継者の一人であるプトレマイオスが新たにエジプトの首都と定めた都になるのである。

プトレマイオス王朝は、こうして開始された。
それは、最後の女王クレオパトラ7世の誕生よりおよそ250年ほど前のことである。


*****************

ギリシャ系の王家が誕生するようになるまでの流れは、こんなカンジでございます。
ただまぁ、歴史なんてのは見方・解釈次第なとこもあるので、「違うそうじゃない」って人もいると思う。その場合はテメーで別の説明をつけやがってください。正解は一つじゃないのです。

ちなみに第18王朝の終焉が紀元前1292年ごろ、プトレマイオス朝の開始が紀元前332年。この間、約1000年弱。エジプト国内の意識が大きくかわり、外国人ファラオでも受け入れられるようになる意識変化には、十分な時間だと思う。

詳細なファラオの即位順などは年表を参照。いやあ、歴史ってのは面白いもんですね。

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