現在位置を確認します。

アクセスカウンタ

zoom RSS 語学の本と見せかけて、文字の誕生にまつわるヨーロッパの歴史本。「キリール文字の誕生」

<<   作成日時 : 2016/07/14 00:10   >>

トラックバック 0 / コメント 0

珍しく(?)本の紹介文と内容が一致していた本だった。タイトルだけ見ると言語学の本っぽく見えるのだが、中身は歴史の概要書である。ロシア語を書くときに使う「キリル文字」の誕生に纏わる歴史。言語学に関する内容も後半に出てくるのだが、主眼はキリル文字を作ったとされる「キリルとメトディオス」兄弟と、彼らの生きた時代背景。

キリール文字の誕生―スラヴ文化の礎を作った人たち―
ぎょうせい
原 求作

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by キリール文字の誕生―スラヴ文化の礎を作った人たち― の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


キュリロスとメトディオスの話は、以前プラハを訪ねるときに少し勉強していたので、歴史の概要は知っていた。

聖キリルとメトディオス教会
http://55096962.at.webry.info/201105/article_29.html


…知ってはいたが、偉大なるモラヴィアはチェコの前身なり、と述べているチェコの歴史本と、ロシア語教師の書いたこちらの本では、同じ出来事を書くにも全然トーンが違うから面白い。(笑) ていうか、キュリロスたちの伝道はモラヴィアよりブルガリアとかパンノニアのほうが重要だったんじゃ…いやいや。こういう視点の違いによってストーリーが変わってくるところが歴史の面白さなのだ。

物語は、著者が兄弟の生まれ故郷であるテッサロニキ(サロニカ)を訪れるところから始まっている。
しかし兄弟が活躍するのは故郷を離れてビザンツの首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)を訪れるところからだから、故郷にはほとんど痕跡は残されていない。町でも不人気な聖人扱いだという。

キュリロスとメトディオスが有名になっていくのは、アラブやハザール、そしてモラヴィアなどスラブ諸国への、困難なキリスト教の伝道を行い、一定の成功をおさめたからだ。9世紀は"伝道の世紀"。ちなみに、この本には出てこないが、11世紀からは"十字軍の世紀"となる。異なる価値観、宗教、言葉を持った勢力が出会い、互いの様子を伺いつつ、いかに与させるかを探っていたのが9世紀、と言うこともできるかもしれない。

当時スラブ民族は、自分たちの言葉をあらわす文字を持っていなかった。
ラテン語やギリシャ語で書かれた聖書や典礼書を持ち込んでそれを使わせるというのも選択肢の一つだったが、それでは伝道がうまくいかない可能性がある。そこでキュリロスたちは、スラブ語を書き記せる文字を作ろうと考えた。現在キリール文字(キュリロスの名に由来する)と呼ばれている文字の原型である。

この文字は、のちに弟子たちの手を経てスラブ諸語全体に適用できる文字となった。伝道者たちは、ただ宗教を運んだのみならず、彼らの文化を形として残すことのできる道具を与えたのだ。キリスト教の布教には、土着の文化や信仰を破壊するマイナス面もあったれど、これはプラス面と言える業績のひとつだろう。

この「文字を開発する」という語学的な話は最後のほうに少し出てくるが、あまり長くはないし難しくもないので、言語学がニガテな人でも安心して手にとって大丈夫。



面白いのは宗教を巡る政治の部分。キュリロスたち兄弟が翻弄された時代の波。コンスタンティノープルの主教座とローマの主教座、双方の争いとか、ローマの後ろ盾となるフランク王国と、ローマ帝国の正当なる後継者を自負するビザンツの同盟国獲得争いとか。
"宗教は政治の言い訳に過ぎなかった"などというザックリした語り口には笑ってしまうが、まさにそれだ。カトリック教会(ローマ側)の聖職者を置くか、正教会(ビザンツ側)の聖職者を置くか。典礼をどの言語で行うか。

東西教会の分裂を決定的にする「大シスマ」はまだおきていないが、その前段となる亀裂があちこちで大きくなりつつあるのが良く分かる。


その後の政治的動乱、モラヴィアの滅亡や弟子たちの離散によって、キリル文字が作られた直後の9-10世紀頃の文書は、何も残されていないのだという。それゆえ、文字の開発者たちの活動の生の記録も、最初に考案された文字がどのようなものであったのかということも、何もわかっていない。残っているのは死後に編まれた伝記など、ほんの僅かな手がかりだけだ。

しかしキュリロスたちの生み出した文字の子孫は今も生き続け、ロシア語をはじめとする、スラブ諸語を書き表すために現役で使われているのである。



****
ところで一つ「ん?」と思ったのは、兄のほうのメトディオスの俗名がわからない、と言っているところだ。

キュリロスのほうは、それが洗礼名で俗名はコンスタンティノスとわかっている。
兄のほうは、メトディオスが洗礼名で本名はミカエルであった、と「ギリシャ正教 東方の智」には書かれていた。この名前は他の場所でも見たような覚えがある。
どっちが正しいのか判断できる材料がないが、まぁちょっと細かい話。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

語学の本と見せかけて、文字の誕生にまつわるヨーロッパの歴史本。「キリール文字の誕生」 現在位置を確認します。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる