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zoom RSS 「ケルト復興」で復興されたものは何だったのか。/現在の「ケルト人」と過去にいた「ケルト人」の違い

<<   作成日時 : 2016/06/21 00:10   >>

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現在の「ケルト人」と過去にいた「ケルト人」は、同じものでは無い。
ざっくりまとめるとこうなる。

 @過去にケルト人と呼ばれていた人々=ローマの出会った "ケルタエ"

 A現在ケルト人と称する人々 =ケルト系言語を受け継ぐ地域の人々


大雑把に、@はいわゆる「大陸のケルト」、Aはいわゆる「島のケルト」だと思えば近い。(厳密には違うけど…)
@とAの間は、実は繋がっていない。長い断絶期間がある。そして、断絶と忘却の後、わずかに残っていたケルト語や"ケルト的なもの"をつなぎ合わせ、18世紀頃から始まるケルト復興によって空想で再現したものが現在のケルトとなる。

断絶期間が長く、しかもかつてケルト人が住んでいた地域と現在ケルト語を喋っている人が住んでいる地域は、イコールではない。現在ケルト人と名乗っている人々は、ケルト語系の言葉は喋っているものの、かつてケルトと呼ばれていた人々と同じだという証拠は実は無いのである。ちなみに言語は、多数の民族が入り混じる地域では容易に入れ替わる。トルコなんかがいい例で、トルコ語を喋っているけどクルド人だとか、喋っているのはアルメニア語だけどアラブ系の民族だとかいうことが起こりうる。


また、現在のケルトの伝統も、間違いなくここ数百年の間に(大した根拠も無く)リバイバルされたもので、過去に存在したケルトとは違う。

たとえば、ドルイドの儀式など記録は一切残っていない。
存在したのは神話の一部やごく僅かな記述のみで、残りは空想で組み合わされたもの。だからドルイドの神秘!とか言ってやってる再現VTRの儀式は、全部ウソっぱちだ。実際どんな儀式をやってたのか何も分からないのだから。

もちろん、ケルトの子孫を称する人々がストーンヘンジでやってる儀式なんかも、古代のケルト人がやってたものとは似ても似つかないだろう。(何しろストーンヘンジ自体、ケルト人が作ったものじゃないし・笑)



というわけで、どうしてこうなったのかを順を追って説明していきたいと思う…。



●そもそもの「ケルト人」とは

ケルトという言葉が最初に出てくるのは前6世紀。ギリシャ語でケルトイ(Keltoi)で、ギリシャ植民地だったマッサリア(現在のマルセイユ)の北方に住む蛮族を指す言葉だったという。 *「ケルト歴史地図」東京書籍
ギリシャ人にとっての「蛮族」がケルト人で、この頃はフランク族などゲルマン系の民族もケルトイと看做されていた。

また、アナトリアに侵入してきたケルト系の民族がガラトイ(Garatoi)と呼ばれている。
紀元前1世紀の、ローマの軍人カエサルによる有名な「ガリア戦記」が使っているガリア、ガラティアの言葉はこちらに由来する。

ケルトイもガラトイも、おそらく当時ギリシャ人のであった部族の自称名に由来するのだろうと考えられているが、正確な由来は不明だ。ちなみにカエサルの呼んだ「ガリア」は現在のアルプス以北、フランスあたりまでを含むめちゃくちゃ広い地域で、おそらくゲルマン系部族や実際はケルトではなかった"蛮族"も全部ごっちゃに認識している。

ギリシャ・ローマにとって余所者であり敵であった未開の連中、これがそもそもの「ケルト人」だったのだ。



●その後のケルト人の消滅

東はアナトリアから西はアイルランドまで、大陸から島まで前世紀には広く勢力圏を持っていたのがケルト人。しかし、彼らはまとまることもしなければ、大帝国を築くこともしなかった。小国は築くものの、基本スタンドプレイで手前勝手に戦う系の好戦的な人々だった。お陰で個別撃破され、ローマに併合されていく運命にあった。それでも残っていた少数も、5世紀に始まるいわゆる「民族大移動」のうねりの中に飲み込まれてしまう。一部分だけ残ったのが、フランスの端っこのブルターニュやスペインの端っこやブリテン島、アイルランドの端っこなどである。

ただし残ったといっても政体として残ったわけではないし、文化的にも自分たちのオリジナルなものは一部しか残らなかった。そもそもがケルト人という単一の部族や民族が存在したわけではないので、たとえばブリテン島に住み着いた人々とブルターニュに住み着いた人々の間には、元から血縁関係がほとんど無かった可能性もある。




●18世紀のケルト復興

そしていきなり1000年以上も時間がぶっ飛んで、つい最近の話になる。

ギリシャ人やローマ人の出会った人々は、自らをケルト人などという単一の民族とは考えていなかったし、そもそも民族や仲間の意識が無かったからこそ国のようなまとまりを作ることなく個別に消えていった。しかし、近代は
民族とか国家とかが強く意識される時代である。
「自分たちの所属する血族や社会の根拠が欲しい。」
そうしてはじめて、「ケルト人」というアイデンティティが"発見"された。具体的には、ケルト語系の言葉を話す人々の住む地域が現代のケルトと看做されたのである。

だが、ここには大きな問題があった。


・現在ケルト系の言語を話している人々が、かつての「ケルトイ」「ガラトイ」と同じである保証はない。
 (むしろ違っている可能性のほうが大きい)

 →にも関わらず同じものとみなした


・かつてのケルト人の文化や伝統が何も残っていない。
 (辛うじて言語くらい)

 →断片的な記録から空想で再生した


・かつてのケルト人の分布域はゲルマン民族と被っているので、ゲルマン的なものとの区別が難しい

 →何が「ケルト」で何が違うのかが分からないまま、"ケルト的なもの"を作り上げた



こうして「ケルト再興」の名の下に、実際は新たに「作り出された」のが近代の"ケルト"である。

ケルト人は文字記録を残さなかったので、過去にどんな文化を持っていたのかが良く分かっていない。
また、そもそも"ケルト"の中にも色んな差異があったはずだが、そのへんも無視されている。記録がなく、途中で伝統も言語以外の大半がぶっつり途絶えているので再現できるわけもなく、…にも関わらず、ロマンの名の下に作り出された「ケルト」のイメージ。

現代の「再興ケルト」は、かつて存在したケルトの文化とは全くの別モノなのだ。



それでも、人々はアイデンティティのよりどころとして「ケルト」を求める。
ローマやゲルマンに追いやられ、消えていったロマンティックな人々、というイメージを抱いて。

なんかこう、儚げで神秘的なイメージにされてるけど…実際は協調性がない戦闘狂の民族で半裸でヒャッハーしながら皆死んでいったような人々です…(笑)


結論として「ケルト復興で復興されたものは何だったのか」→「ファンタジー」。という結論になります。


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