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zoom RSS アフガニスタン展の図録に載ってた年表がなんか色々違うっぽかったので補足入れてみた

<<   作成日時 : 2016/05/08 00:10   >>

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アフガニスタンが日本に親近感を持ったのが、日本がロシアに戦争で勝ったことがあるという出来事だったと知って「www」とかなってる中の人です。いや、気持ちはわかるけどさ。トルコさんと同じパターンかよ! 中東・アジアあたりの国ってほんと、ロシア・イギリスと両方と戦ったからって理由で日本を評価してることが多いな…。これが現実か。


というわけで、こないだ行ってきたアフガニスタン展のおさらいである。

買って来た図録の末尾に載ってた年表がビミョーに違う気がして、調べなおしてみたんだ。
直接年表に書き込んじゃったので見づらいけど…

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●右端の「主な遺跡」欄、右上にある「ムンディガク」遺跡の年代

年表では「金石併用時代」〜「青銅器時代」までとなっているが、実際は鉄器時代後半まで続いている。
年代層によって番号がつけられているのだが、T〜W期までが青銅器以前。いったん途切れて、Y〜Z期は鉄器時代後半。

青銅器の途中に「ここらで一回中断あり」と記載している部分が、その途切れている場所で、ちょうどインダス文明の衰退期にあたる。(この年表では、紀元前1800年までインダス文明との交流が続いたことになっているが、最新と思われる別資料では紀元前1900年から衰退期となっている。)


●テペ・フロール遺跡

前3000年期のところにさらっとかかれているラピスラズリ交易だが、アフガニスタンで採掘されたラピスラズリはインダス文明の地を経由してメソポタミアへ輸出されているので、ラピスラズリの交易があった時代=インダス文明の担い手たちとの交流があった時代 となる。

なので、テペ・フロールはもしかしたら移住してきていたインダス文明の担い手たちが関わっていたのではないかと考えられているようだ。この遺跡がその後発展しないのは、インダス文明が衰退してしまったからだろう。


●前1500年頃 アーリア人の移動

ここもさらっと書かれているが、どうやらアフガニスタンを通り過ぎはしたものの「定住はしていない」らしい。
人の移動が発生した理由は、インダス文明の衰退(おそらく気候変動)が関連しているのではないかと推測されている。

●前4世紀末〜 アイ・ハヌムが築かれる(アレクサンドロスによって)

「アレクサンドロスによって築かれ、彼の死後は後継者によって治められた」という情報が抜けてるのは何でなんだろう。グレコ・バクトリアって書いとけば分かるっていう判断なのかもしれないけど、そこにパルティアとかインド・グリークとか色々ほかの要素も並列で書かれているから、どこの地域の話をしているのか分かりづらくなっている。パルティアはアフガニスタンから見て西で、インド・グリークは南だよね…? 時代ごとの国の分布を載せないと、たぶん分かる人のほうが少ないと思うこれ。


●アイ・ハヌム遺跡

前述したようにギリシャ系の遺跡。
なのでギリシャ系王朝が途絶えると消える。


●アイ・ハヌム破壊後の遊牧民の侵入

前100年前後のあたりに書かれている「遊牧民族の侵入」にスキタイ、サカ、パルティア、月氏と書かれているのはおかしい。パルティアはもう、西の方に国作ってでんと構えてるし、その前段に「アフガニスタン西がパルティアに支配される」と書いてしまっているから。月氏やサカ族が侵入してきたのも、この時代が最初ではない。

統一された王朝もなくて良く分かっていない時代を空白にしないようにするために、とりあえずコレで埋めたのか…? という気もするけど、この記述はちょっと違うよね。


●1世紀中ごろ ティリヤ・テペ遺跡

展示会では「謎の遊牧民族」とぼかされて書かれていたが、どうもこれ、スキタイ系の部族の墓ではないかという説があるみたいだ。なんで「謎の」なんて書いたんだろう。


●1世紀〜 クシャーン朝、ベグラム遺跡

クシャーン朝って大月氏かもしれないって言われてるんだよね…
これも、ある意味では侵入者の築いた王朝。もっともアフガニスタンは土地柄、様々な民族がやってきては通り過ぎてゆく場所なので、築かれた文明はすべて「侵入者」のもの、とも言えるわけだが。

で、ここで「アジアの十字路」が成立してた。
クシャーン朝の業績だった。そうか、中国方面との交易路は中国から移住してきた騎馬民族がいないと繋がらないのかー!ってなった。インドやギリシャとは既に繋がってたけど、東へ通じる道はここからなんだね。


<<まとめると>>

アフガニスタン展に展示されている4つの遺跡は、それぞれ全く異なる時代背景のもと、異なる民族によって形成されていた。

そして今回の古代史に比重をおいた展示は、アフガニスタンがいかにして「文明の十字路」となったのかという成立過程を辿る歴史だったんだ。色々もやってたのがスッキリしたぜ。だってインダス文明やメソポタミア文明とやり取りしてた頃のアフガニスタンって、まだ十字路に位置してないし、シルクロードも通ってないもんな?!


あと、やっぱ今のアフガニスタンの国境でもってアフガニスタンの文化を語るのはムリだ。
現在のアフガニスタンの最大民族パシュトゥーン人って、半分がアフガン、半分と隣のトルクメニスタンにいる。また南にはパキスタンがあるが、元々そこはインドの一部で、時代によってはアフガニスタン南部もインドの一部。

東は中国のほうからきた遊牧民族に支配されていた時代も長いし、西はパルティアやイラン系の民族が…
現在の国境だってロシアとイギリスの戦争の結果、便宜上引かれたものだし。

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果たして「国」や「民族」とは何なのか。
四方を海という天然の国境に囲まれた島国の我々は、日ごろそれをあまりに意識していない気がする。多くの民族がやってきては通り過ぎていった十字路であるアフガニスタンでは、国と民族は一致しないのだ。

思うに、国というのは、そこに住む人々が作ろうと意識してはじめて作られるものなのだろうな。「この遺跡は我々のものだ」「これは我々の文化だ」と思うから、そういう意味づけがされる。たぶん誰も「国」なんてものを意識しなければ、この地域の国境には意味がなくなる。そのくらい意味の薄い国境線だ。


**********

「アフガニスタンの歴史と文化」、この本はめちゃくちゃ長いが古代から現代までのアフガニスタン地域のことが一通り分かる。ただし今回のアフガニスタン展に関係しているのは前半1/3だけだ。
年表や地図が全然なくてむっちゃ分かりづらいのが難点。地図併用をおすすめ。(´・ω・`)

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