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zoom RSS 「考古学崩壊 前期旧石器捏造事件の深層」を読んでみた。…言い方はともかく、言いたいことはよく分かる

<<   作成日時 : 2016/05/03 00:10   >>

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この本は、2000年に発覚した、日本における前期旧石器時代の石器の大規模な捏造事件、いわゆる「旧石器捏造事件」とか「ゴッドハンド事件」とか言われているものについて、当事者が語っている最近出た本である。

当事者といっても捏造を見抜けなかった側ではなく、捏造を確信し、孤立しながらも批判と告発を続けた、ほぼ唯一といっていい学者が出している。「何で俺しか見抜けなかったのか」という話と、後半は、「あいつら全然反省しなかったし、変わろうともしなかったんだけど」という怒りである。

考古学崩壊 前期旧石器捏造事件の深層
勉誠出版
竹岡俊樹

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なおこの本の中を読む前に以下の本も読んでみた。
これらの本の一部は、上記「考古学崩壊」にも引用されている。

発掘捏造 (新潮文庫)
新潮社
毎日新聞旧石器遺跡取材班

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石の虚塔: 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち
新潮社
上原 善広

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本の内容は長いし専門的な部分も多いので、ざっくりと要約する。


・日本の考古学者は石器が見分けられないから詐欺師にひっかかった。

 ↑このザックリ具合でまず「^^;」ってなるんだけど

・だから石器を見る目を鍛えなければ、学問としての今後の発展は無い

・しかし捏造発覚後の反省のどこにも、そうした動きが見られなかった

・現在もきちんとした石器の鑑定が確立されていない。このままだと考古学は終わる。


「石器の見分けがつかない」と考えた理由について、著者は自分が捏造だと指摘したときに受けた仕打ちや反論、自分以外の捏造を真と認めてしまった学者たちの論文を引用して執拗なまでに責めている。見分けがつかなかったことへの反省は、本来は本人たちが捏造発覚後にすべきことだったのに、それをせずに「皆の言うことを信じてしまった」というような、愚にもつかない言い訳で終わらせてしまったことにキレている。

著者がキレるのも当たり前だろうと思う。「シイタケかマツタケかも分からずに売る専門家があるわけない」というのはまさしくそのとおりだ。見分けがついたから、著者は捏造発覚前からおかしいと自信をもっていられたわけだし、見分けがつかなかったから、他の学者たちはコロっと騙されてしまったわけだ。

では石器の見分けがつかないのにどうして時代を断言していたかというと、なんと「石器の出土した地層の年代をもって石器のつくられた年代とした」というのである。

…これは、他の本でも読んで「アチャー」と思った。そんな判断基準しかなかったら、そりゃ騙されますよ…。

縄文時代の石器をどっかから持ってきて、20万年前の土に埋めたら、「縄文時代は20万年前から続いていた」ってことになるわけですよ。無いでしょ?(笑) でもそれが日本の考古学会で現実に起こったこと。しかも縄文時代の石器を埋めたのに、地層が古いから原人のものってことになって、「日本には70万年前から知能の高い原人がいた」とか謎のファンタジーが出来上がっちゃった。それが「旧石器捏造事件」の本体。頭おかしいんじゃねって言いたくなるレベル。それは…著者じゃなくても、「日本の考古学は学問じゃない」って怒りたくなるよね…。

捏造されたことが問題なのではなく、捏造されたものを無批判に受け入れて発見に合うように学説を立てたことがヤバイんである。


だから、捏造事件が発覚したときにすべきだったことは、中心にいた数人をスケープゴートとして吊るし上げることではなく、二十年もの間(!) 見抜けずにいた自分たちの首をまずキュッと絞めて、正しい知識と技術、石器を判別する目を養うことだったのだ。

しかし、「十年待ったけどそうならなかった」と著者は言っている。
もし本当なら、日本の考古学会は今なお、自然石と人工石の区別もつかないマヌケの集まりなのだろうか。出てきた遺物をデータをもって分析するのではなく、空想で希望的な古代史を描いてしまう、学者とは言いがたい人々ばかりなのだろうか。






著者は学界的にあまり認められていないという。捏造発覚前に指摘していたにもかかわらずその言は闇に葬られ、事件を検証する組織にも関われなかったという。

それはそれで問題だが、たぶん言い方の問題もあったんだろうなぁ、とこの本を読んでちょっと思った。
いくら正しいことでも、言葉で人をブン殴りすぎると受け入れてもらえないことがある。相手も人間だもの…。鋭すぎる刃は恐れられる。

この人が受け入れられなかったのは、捏造が大手をふってまかり通っているという酷すぎる状況が猶予を認めなかったとはいえ、ケンカ腰過ぎたところもあるんだろう。本を読んでそう思った。


私も社会人(雇われ会社員)を何年かやってきたので、「それは間違ってるやろ」と思っても正面からブチこまないだけの思慮は、いい加減身につけてきた。譲れない一線は絶対譲らないガンコさはあるし、時々オブラートに進むのを忘れてザックリ人を刺してしまうこともあるが…。

とりもなおさず、それは、最終的に自分の意見(案)を通すためである。
言い方ひとつで通るか通らないかが決まるのであれば、言い方を変えたほうがいい。人を説得するとは、熱意だけではなくテクニックの問題でもあると思う。



ただ、この本に書かれているように、問題の捏造事件はもはやテクニックとか言い方とかそんな悠長な世界ではなかった。なにしろ学会全体が、明らかにおかしい捏造石器を崇め奉って信じきっている。反論も認められない、意見を戦わせることもない。ならば正面からぶつかって、ど真ん中をブチ割るしかなかったのだろう。ただ、そうしてブチ割られた後に再生したものが、前と同じいびつな器のままだった、ということは問題なのだが。

メインとなっているのは石器の話だが、この本の最後のほうには縄文時代の遺跡に関するうさんくささについても少し触れられている。「つくられた縄文時代」という本が最近出てそれも読んだが、縄文時代を研究する考古学者たちにも似たような問題はありそうだ。

その部分を読んだとき、私は、奈良のとある大学に進学した友達の話を思い出した。
考古学科に進んだのだが、「うちの大学は例外的に、国立の大学とも、私立の大学とも仲がいいから、どっちの現場にも行ける」と嬉しそうに語っていたのだ。

当時は世間知らずの学生だったので、国立と私立で発掘できる遺跡が違うものなのか…くらいにしか思ってなかったのだが、なんのことはない、それも派閥というやつが関係していたのだ。(笑) いらねーんじゃねぇのそんなの。みんなフラットな舞台で学術的に意見を戦わせりゃいいじゃん。



私は日本の考古学はあまり詳しくないし、そこまで好きなジャンルでもないが、この本を読んでちょっとげんなりしてしまった。人によっては、考古学に幻滅するかもしれない。だが逆に言えば、問題があることを認識出来ていれば、まだ挽回のチャンスはある。

精神的にざくざく刺さる痛い本だが、ぜひ現場に近いところにいる学生さんには見てもらいたいなと思った。
そして、いいか、ものは言い様だぞ、と。問題点を発見したとき、真正面から相手を批判することは必ずしも良い結果を生むとは限らない。まずは味方を増やすことから、というのも一つの手だ。えらい人には自尊心をくすぐりつつ持ち上げつつ媚びるように、しかしながら最終的に自分の意見をねじ込んで納得させる、そんなサラリーマン的なアプローチも時には必要なのだよ? と、中の人から悪魔の囁きを吹き込んでおく。

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