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zoom RSS 理想・タテマエではなく現実として。部外者がザックリ語る本、「キリスト教と戦争」

<<   作成日時 : 2016/04/12 00:10   >>

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本屋に積んであって、ぺらっと捲ったページにこの一文を見つけた瞬間に「よし、買おう」と思いました(笑)
この一言だけでも手にとる価値はあるぞ。

"総じて人は、「悪」を意識している時よりも、「善」を意識している時のほうが、凶暴になり、他者を傷つけることをためらわないものである。"


というわけで、キリスト教信者ではなく、神学者でもない人が語る「キリスト教って平和とか愛とかゆーてるのに何でいつも戦争するん?」という本である。

キリスト教と戦争 (中公新書)
中央公論新社
石川 明人

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宗教本ではないので、教義を細かく解説するとかいうことはない。現実に即した話をしている。現実として、キリスト教の今までの戦争との関わりはどうだったのか。現在はどうなっているのか。という話。

ぶっちゃけて言うと愛はタテマエであり、キリスト教は決してラブ&ピースな宗教ではなかった。イエスは愛を説いたかもしれないが、それは理想に過ぎない。「愛しなさい」という命令形がすべてを物語っていて、自然に敵を愛せる人間などいない。愛は人にとって不自然なものであり、神に義務として課せられ、命じられて実行するものである。

しかし「それでいい」。別にこの本は、そこを責めたりはしないのである。人間は不完全なもので、決して理想的な愛に生きられるわけではない。「人間の根本的な矛盾と限界を認め、受け入れよ」、それがこの本の中で一貫して主張されていることである。

戦わなければキリスト教は生き残れなかっただろうことも事実だ。初期の宗教弾圧の時代、キリスト教徒は信仰を守るために戦ってきた。そもそも戦いは全て否定されるものではない。異民族の侵入から街を守る戦いが悪なはずがない。自分の子供や家族が殺されているときに、犯人を「赦す」ことが出来るのか。もし出来たとして、大事な人を殺されながら笑って赦すことが理想的な社会と言えるのか。

そもそもバチカンだって自衛権は認めている、と著者は言う。しかしながら日本のキリスト教団体はそれを認めず、自国の集団的自衛権に批判声明を出したていたりする。「同じカトリックの中ですら戦争に対する立場は異なり、一枚岩ではない」と言う。

2015年は戦後70年にあたるため、日本カトリック司教団は再び「平和を実現する人は幸い―今こそ武力によらない平和を」という声明文を発表した。

<中略>

この文章は全体として、過去や現在についての反省・批判においては実に具体的である一方で、「改めて決意する」、というところの「平和を実現」させるための「働き」とは結局何なのかについて、具体的には述べられていない。日本の歴史認識、特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認、沖縄のアメリカ軍基地などに批判的な姿勢をとることが「平和を実現」させるための「働き」だというのだとしたら、それはキリスト教信仰と直接は関係なく、世俗的な政治運動によって解決されうる問題であるようにも思われる。

日本のカトリック司教団などから出されている「戦争」や「平和」に関連する声明文には、バチカンから出された文書にあるような、正当防衛や正論的考えは皆無である。



このザックリさがこの本のウリである。(笑) 部外者だから言えること、である。まさしくこのとおりで、これ以上の補足は必要ないくらいだ。ちなみに「第二バチカン公会議 現代世界憲章」はお安く通販で手に入る。

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図書館でぺらっと捲ってみたけど、確かに正当防衛みとめてるし、「権威を持つ者は庇護下にあるものを守るためには武力を行使することも容認される」って書いてあるんだよ…。当たり前なんだけどね。家に強盗が入ってきてるのに黙って見てる家長とか有り得んでしょっていう。

しかしこれも、「だから日本のカトリック教会おかしい」なんてことは一言も本の中に書かれていない。そうじゃないんである。「理想は理想だが現実はそうはいかない。だから矛盾が発生する。その矛盾の中で足掻いているのが人間である」というスタンスなのだ。

愛の実践者である人間が不完全なのだから、神の説く愛が完璧に実行されるはずもない。「愛は人間を越えたものである」とこの本の最後のほうに述べられているが、まさしくそのとおりだと思う。完璧に実行できない。だからいろいろ考えて、矛盾しながらどのように形にすべきか迷い続けるしかない。


そもそも自衛官や警官だって戦いのためのものだろうと著者は言う。平和主義者であるために、税金を払って他者に暴力を任せている。紛れもない現実である。(もちろん警官だって暴力をもって治安を維持するものだ!)

たぶん、このへんだけ切り取って読むと、右翼本だと勘違いする人も出てくるのだと思う…が、現実は現実なのだ。そして途中で引用されているクラウゼヴィッツの「戦争論」が最高にイカしている。

「侵略者は目的の物が手に入れば何でもいいから戦争は必須じゃない。防衛側が退けようとするから戦争が起きる」

相手がいなければケンカはおきない。防衛しなければ戦争は起こり得ない。戦争は常に侵略される側が起こすもので、侵略者こそ平和主義者であるという理論だ。これが世の中に受け入れられる見解かどうかは別として、実に面白い見方であり、非武装とか戦争放棄とかいうキレイゴトに対するツッコミとしてはクリティカルである。

たぶん、現実を見ないでキレイゴトの世界に生きようとしている人にとっては、痛いことが沢山書かれている本だと思う。このザックリ具合がいいんですけどね。




理想論を語ることは気持ちがいい。しかし、現実はもうちょっと泥臭い。
いま目の前にある現実から構築された、「愛と平和とは何か。なぜ戦争が起きるのか。」ということに対する一つの答え。久しぶりに実に面白い本であった。

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