現在位置を確認します。

アクセスカウンタ

zoom RSS 「伝統」か「しがらみ」か? 伝統は必ずしも守るべきものではない、という話

<<   作成日時 : 2016/03/27 00:10   >>

トラックバック 0 / コメント 0

"伝統" というと、なにやら格調高そうだったり、守らないといけない大事なものだったりするようなイメージが付きまとう。しかし、伝統は最初から伝統だったわけではない。いつかの時代に新しく生まれ、たまたま今まで受け継がれてきたもののことである。

というわけで、今日は「伝統はバカ正直に守るようなものとは限らない」という話をしようと思う。


何も伝統のすべてを否定するわけではない。古いものにも良きものは沢山ある。伝統芸能、伝統文化など誇ってよいものは沢山ある。しかし古いものの全てが肯定されなくてはならないわけではないのも、また事実である。

そもそも伝統は、なにゆえ伝統となったのか。―― 必要とされたから である。

そもそも、伝統と呼ばれているものの大半は、元を辿れば「習慣」である。
寺社仏閣は日常的に人が参るところ。和食は毎日食べるもの。着物はかつての日常着。落語や歌舞伎はかつての大衆娯楽。
「習慣」が長年つづくうちに「伝統」となる。多くの人がそれを必要と欲したからこそ「伝統」となった。
しかし必要がなくなければ、たとえ何百年続いたものであれ、廃れるか、時代にあわせて変化していくのは必然である。「伝統」にこだわる人々の中には、変化を頑なに拒否し、時代に合わぬまま取り残されることを求める者もいるだろう。けれどそうなれば、もはや「伝統」は廃れるよりほかに道はない。


考えてもみてほしい、習慣は変化するのが当然なものではないだろうか。

長年同じ習慣を続けている人もいるが、その習慣だっていつかの時にはじめて、自分が必要だと思うから続けているもののはずだ。たとえばダイエット食みたいなものだってそうだ。必要がなくなればやめるか、内容を変更するのではないだろうか。

それが代々続けば、伝統となる。
習慣として続けられる伝統は強い。廃れない。

保護しなければ存続し得なくなった時点で、その伝統はもはや本来の意味の伝統ではなくなっている。<伝統>ではなく<しがらみ>に変わってしまうのだ。

習慣は変化を必然とする。故に伝統は変化する力を失えば滅びるしかない。
伝統は存続のために、変化、いや進化すべきなのだ。

寺がホームページを開設して布教してもいいし、電子マネーでおみくじが買えたっていい。八十八箇所で弘法大師ストラップが販売されてもいいし、阿波踊りにテクノが流れてもいい。そうした変化が出来るからこそ、伝統は廃れない。次の世代へと受け継がれることを確信できる。

全く変わらないままにいようとする、しがらみにとらわれた「伝統」は、必ず廃れる。意固地になって保護しようとしても、もしかしたら何百年かは細々と生きながらえることが出来るかもしれないが、その先に未来はない。自らを作り変えていく力こそ伝統の命脈だと思うのだ。


"伝統"のもともとの姿が、必要とされたから受け継がれてきた習慣であるのならば、存続させたければ、かたくなに守ってはいけない。受け継ぐ人々を作るために広めなければならない。
広く受け入れられるよう形を変えることを恐れてはいけない。大切な部分は守りつつも、変わっていくべきだと思う。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

「伝統」か「しがらみ」か? 伝統は必ずしも守るべきものではない、という話 現在位置を確認します。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる