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zoom RSS 「アブ・シンベル神殿に光が入るのはラメセス2世の誕生日!」ちょっと待って、その説は怪しいですよ

<<   作成日時 : 2016/02/23 00:10   >>

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はい、というわけでネットに流れてた「アブ・シンベル神殿の奥に光が入るのは建造者であるラメセス2世の誕生日と即位日」という話にマジレスしておきます。

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アブ・シンベル神殿は、エジプトのナイル上流、アスワンにある大神殿。名前を知ってる人は多いと思います。
この神殿の奥には、ラー・ホルアクティ神、アメン・ラー神、ラメセス2世、プタハ神の像が並んでおり、一年に二回だけ通路を通った朝日が神殿の奥まで入り込んで神像を照らすのですが、そのさい、一番左にある冥界神プタハの像にだけは光が当たらないようになっています。

この日は、現在では2/22と10/22となっており、何らかの意味があったのではないかと考える学者もいます。



さて、これを書いている時点での日本語Wikipediaには以下のように書かれています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E7%A5%9E%E6%AE%BF

この神殿では、年に2回神殿の奥まで日の光が届き、神殿の奥の4体の像のうち、冥界神であるプタハを除いた3体を明るく照らすようになっており、観光客の目玉となっている。本来はラムセス2世の生まれた日(2月22日)と、王に即位した日(10月22日)にこの現象が起こるものであったが、移設によって日にちがずれてしまった。


"光の差し込む日は、誕生日と即位日である。"
この説を書いているサイトは多いのですが…、残念ながらこれ、ネット上でまことしやかに囁かれている何の根拠もないデマです。それではどうして、デマと言いきれるのか順を追って説明していきましょう。


(1) 神殿のどこにも、「誕生日と即位日に神殿の奥に光が差し込むよう設計した」とは書かれていない。

そう、書かれていないのです。内部に書かれているのは「戦争勝ったどおお!!」とか「ヒッタイトとの和平条約で王女を嫁にもろたでーーー」とか「○○神ぺろぺろ(※色んな神様をぺろぺろしています)」とかそんな碑文。

では誕生日だの即位日だのいう説がどこから出てきたのかというと…残念ながら… わかりません。

誰が最初に言い出したのかすら不明なのです。まさに都市伝説^^;

たぶん、「二日だけ光が中に入るんだからなんか特別な日なんじゃね?」→「特別な日っていったら誕生日とかだろ」という感じで、いつの間にか定説みたいになっていったんだと思います。ネット上で追いかけると2001年のナショジオの記事にこの説が書かれ、同じ記事で専門家に「そんなわけねぇよ」と否定されていました。


尚、ラメセス2世の誕生日と即位日がいつだったのかの特定も困難です。これは、古代エジプト暦での記録が残っていないため。というか、それが分かっているファラオは…ほとんどいませんね…。クレオパトラの誕生日が分かりますか? 分からないでしょ。王の誕生日を記録する習慣自体が無かったっぽいんですよ。昔の日本だってお正月で一律で年取ってましたし、誕生日を気にしだすのは民衆まで「暦」が行き渡る時代になってからでは。

即位日については、記録があって推定できるファラオは何人かいてますが、その場合でもピンポイントに「何月何日」というレベルでは難しいです。「たぶん夏のはじめ頃に即位してるかな?」とか、そんなレベル。



(2) 古代の太陽は現在とは角度が違うので、建造当時は光の差し込む日付が違っていた。

地球には「自転」と「公転」という二通りの運動とは別に、地球の軸自体がブレるという歳差運動をしています。地球の自転の向きとは逆に西から東へゆっくりと円を描くような動きで、周期は約26,000年。この動きにより、太陽の見せ掛けの角度が少しずつ変わっていきます。分かりやすい例だと、北極星が時代によって違います。

ラメセス2世が生きていたのは紀元前1200年台。従って、今から3200年も前になり、この誤差はけっこう大きなものとなってきます。ズレは1日や2日のレベルではないでしょう。建造当時の光の差し込む日は「2/22」や「10/22」ではありません。

そのうえ、現在のアブ・シンベル神殿は、アスワン・ハイ・ダムが出来るときに水没を免れるよう一度解体して移動させたものなので、移動前と移動後でも光の差し込む日付が変わっています…。



というわけで、光の差し込む日が「誕生日」と「即位日」だという根拠がない上に、そもそも古代には光の差し込む日は2/22や10/22ではなかったのです。「ラメセス大王即位記念祭りに行こう!」なんて大々的に売り出してるツアーは純粋に商売でやってるので、根拠があろうが無かろうがどうでもいいわけです。ていうかエジプト政府まで乗っかっちゃってるのにはちょっと笑う。観光客呼びたいだけやな…。


*************

では、光の差し込む日には何の意味もなかったのでしょうか?

意味があったかどうかすら既に議論の対象なわけですが、一部の学者は、この神殿の仕掛けは 三十年祭(王位更新祭) のために設計されたのではないかと考えています。

王位更新祭、別名セド祭とは、王が即位してから三十年目(もっと早く行った王もいるが)に、王の生命力を蘇らせるために執り行われていた儀式です。古くは、第三王朝のジェセル王の階段ピラミッドの中庭に、この祭りのための儀式装置が残されています。

神殿の奥に、太陽の光を浴びるために設置された3体の像を思い出してください。
ラメセス2世自身の像が真ん中にあるのは、王が左右の太陽神たちに支えられながら朝の光を浴びることによって活力を取り戻すとも解釈できます。そこになんでプタハ神もいるのかは分かりませんが、冥界の神なんで「俺はまだ死にたくない、閻魔様お願いプリーズ」的な意味があったのかもしれない(笑)

ちなみにラメセス2世は100歳近くまで生きたとされる超長寿な王様で、在位年は67年にも及びます。神殿の中に装飾が施されたのは即位34年目あたり。従って、この神殿自体が即位30年目のセド祭を大々的に執り行うために作られたという説には、一定の信憑性があると思われます。ただし決定的な証拠はありません。

「光が差し込むのなんて何の意味もねーんじゃね。偶然かもよ」と考えてるドライな学者さんも結構いてます。




というわけで、


 「アブ・シンベル神殿の奥に光が差し込む日が誕生日と即位日とする根拠は薄い。むしろ王位更新祭の日としたほうが説得力がある」


 「建造当時に奥まで光が差し込んでいた日は、現在とは異なっている」


以上をもって、「光の差し込む2/22と10/22をラメセス2世の誕生日と即位日と考えるのはデマ」と結論します。

私としては王位更新祭説は魅力的だなぁと思いますが、何しろ証拠がないですからねー。
古代エジプトの建造物にも「定礎」システムがあれば良かったのに。


*******

参考までに、古代エジプト暦で記録された日付を現代の日付と合致させたい場合には、以下の2点の情報が必要です。

(1)古代エジプト暦での日付の情報
 「○○王の即位○年目 ○季 ○月目 ○日」

(2)その日付が記録された年が西暦で紀元前何年か


(1)が存在したとしても(2)が厳しいんですね。特別な天体現象の記録が近い年にあれば、ある程度は推定できますが、そうでなければ大きな誤差を出すことになります。つーか日付の特定が簡単だったら、今こんなに年表がバラバラになってないですよ…(´・ω・`)

古代エジプト暦の日付と現代暦の同定にある程度の信憑性が出てくるのは、紀元前525年に始まる「第一次ペルシャ支配」あたりからです。エジプトが一時的にペルシャに支配されたことにより、同じ出来事の日付が古代エジプト暦と古代ペルシャ暦の両方で記録されるようになり、両者の暦のつき合わせによって特定が可能となります。

よって、第一次ペルシャ支配以前の日付を"ピンポイントで"特定したと証する研究は、最初から眉につばをつけて考えていいと思います。誤差を出さずに計算する方法が無いので…。

まあラメセス2世の誕生日だとか言う話は、計算がズレてるズレてない以前に、そもそも計算されてないので論外なんですけども。

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