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zoom RSS 文明の滅びるとき:「エジプト文明」はいつ滅びたのか

<<   作成日時 : 2016/02/21 00:10   >>

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前にも一度同じようなことを書いた気がするのだが、新規で書き直して再掲する。
「失われた古代文明」とか「滅びた文明」という言葉は安易に使われすぎではないか、という話だ。そもそも何をもって「滅びる」とするのか。それを考えたとき、大半の文明は、実は、滅びるのではなく変化しているだけだということに気がつくと思うのである。

というわけでエジプトの話をしよう。

「古代エジプト文明は滅びた」、というようなフレーズは良く出てくる。大抵の人は古代エジプトは滅びてしまったと思っている。それがいつかと尋ねてみると、紀元前30年の最後の女王クレオパトラの死を挙げられることが多い。女王の死とともにエジプトはローマに併合され独立を失う。

――だが、言うまでも無くこれは文明の死ではなく、独立国(政体)としての古代エジプト王国の死にすぎない。


文明=「独立した政体」と定義するならば、国の滅亡を文明の死ととらえることは出来る。
しかしそもそも、ローマ属州になる以前にエジプトは数度にわたりアッシリアやペルシアの支配を受けている。そして他の「文明」を見るかぎり、文明の最初から最後まで独立した政体が継続しているケースは、ほぼ存在しない。

ということは、この定義は不十分であり、紀元前30年は「エジプト文明」の死では無いのだ。


では他に、文明の死と呼べそうな区切りはあるのだろうか?
私は、以下の2つの年代を挙げたい。


●キリスト教の国教化(紀元後392年)
●イスラムによる征服(紀元後646年)

キリスト教の国教化は、生き残っていた古代エジプトの宗教に対する打撃であるとともに、古代エジプトの「知」の抹消を意味していた。アレキサンドリアの町に残されていた大図書館やムセイオンの完全なる消滅はこのあたりの時代である。また、多くの古代の神殿や神像が打ち壊されている。

イスラム化は、民衆の間に生き残っていた古代の風習や、古代エジプトの言語を抹消した。
実はイスラム化以前のローマ属州、ローマが東西に分裂して以降のビザンツの時代には、実は古代エジプトの風習や言語は、衰退しつつも一定のものが残されていた。イスラム化以降は改宗がほぼ強制となり、言語もアラビア語へと変わってしまう。

古代エジプト文明が死んだとすれば、その「死」とは、何百年もかけて宗教・風習・言語といった民族のアイデンティティとなりうるものを緩やかに失っていった結果の衰弱死であり、決して突然の死では無いのだ。



しかし勿論、古代エジプト人の子孫は死に絶えてはいない。混血が進んだとはいえ、現代エジプト人のいくばくかは、古代人の血も引いているだろう。また言語や風習も、ごく限られた場面ではあるが、わずかに生き残ってはいる。とすれば、文明は完全に「死」んではいないのではないか、という気がする。

文明とは物質ではなく、そこに生きる人間に受け継がれる文化の遺伝子である。
となれば、人が生き続ける限り文明が完全に死ぬことはほぼ無いのではないかと思うのだ。生物が時とともに進化し、別の生き物に代わっていくように、文明は「死ぬ」のではなく、人とともに「変容する」ものなのではないかと考える。

古代文明は確かに今そのままの形では存在しない。
それを死や滅亡ととらえるのが正しいのか、進化あるいは変化と考えるべきなのか。
あなたはどう考えるだろうか?

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