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zoom RSS ハトシェプストの「男装の女王」というイメージは作られたものであるという話

<<   作成日時 : 2015/10/02 00:10   >>

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「少年王」ツタンカーメン、とかと同じで宣伝用に作られたキャッチフレーズで実際どうだったかという話は別やで。
なので彼女を「生きた生身の人間」として理解しようとするならば、まず、既存のハリボテイメージを壊して更地に自分なりの解釈を建設する必要がある。



まずは、「男装の像?」という部分から既存のイメージを壊していきたい。


ハトシェプストは男装をした姿の像を作られた、とはよく言われる話だ。
画像検索でググるとその像は沢山でてくる。

https://www.google.co.jp/search?q=hatshepsut&hl=ja&biw=1193&bih=895&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAgQ_AUoAWoVChMIhq3s3qKWyAIVCRKUCh0PBwPj#imgrc=_

代表例はコレ(ルーブル所蔵)↓とか。

画像


  しかしこれは男装の像ではなく男性の像である。


「男装」とは女性が男性の服装を着ることを言う。男装の像なら女性の体に男性の(フォラオの)服を着なければならない。しかしどう見てもこの像の体つきは男性だ。顔などを多少女性らしくしただけ。

この像は、ひづまざいて王に捧げものをするファラオ、という定型になっていて、全く同じこのポーズの像は他の王でも多数作られている。ハトシェプストがやりたかったのは、そのテンプレに自らを乗せるということ(=ファラオしか行わない儀式を自分もやること)であり、男性になることではないかもしれない。

つまり、男性の像があるからといって、彼女が男性になりたかったとか、男装を好んだとかいう証拠にはならないのである。まぁ本当に男性になりたかったんなら、男性名に改名してると思うよ。古代世界では名前=存在だから。



では、ハトシェプストは実際に男装はしなかったのか?

ファラオとしての儀式では当然男性(フォラオ)の服装をしただろう。なぜなら儀式と服装は深く結びついていて、儀式ごとに装いは決まっていたからだ。しかし、日常的に男性の格好を好んでいたかどうかについては一切の証拠がない。むしろ普段は女性の格好で着飾り、必要なときだけ男性の格好もした、というほうが自然ではないだろうか。



男嫌いだったという少女マンガでなぜかありがちな設定は、どこから出てきたのか良く分からない。史実では出産しているので(そして出産年齢はかなり若かったはずなので)、史実から見ればその設定は在り得ない。

ハトシェプストが夫と不仲だったという設定も、ボーイッシュな女の子は男性に好かれない、という女性による女性への差別意識が裏にあるのではないかと勘ぐってしまう。ハトシェプストを男まさりで男装の好きな女性と設定した人は、必ずといっていいほどセットで「だから夫とは不仲だった」という設定を付け加える。だが実際のところ、その二つに因果関係は認められない。男まさりでも、好きになってくれる男性はいるだろう。というかエジプトのおっかさんは現代でも肝っ玉かぁちゃんで男より男らしかったりするのだが。



そして、彼女が即位したのは、どんなに若く見積もっても30歳くらい、おそらく40歳近くなってからという可能性が高い。

即位してた頃のハトシェプスト女王ってけっこうイイ年なんやで。という話
http://55096962.at.webry.info/201509/article_17.html


結婚してすぐ王になろうとしたわけではないし、一応は夫を立ててたってことは大事。

幼い義理の息子が成人し脂が乗ってからの即位(共同統治)なわけで、トトメス3世が幼いことにつけこんで実権を握ったというわけではない。また、トトメス3世との共同統治時代、エジプトが内政、外交ともに順調に回って大いに繁栄していたことも考慮に入れる必要があると思う。

二人の仲が悪かったり、意見のかみ合わないことがあったりしていたら、この繁栄は難しかっただろう。
だから実際は、内政担当のハトシェプストと、軍事担当のトトメス3世でうまいこと分担して国政が出来ていたのではないかと思う。

ではなぜハトシェプストの没後に彼女の名を削ったのかということだが、やはり女性がファラオを名乗ったという伝統に反する行為への反発が大きかったのではないかと思う。しかしトトメス3世は、ハトシェプストの存命中は彼女を追放しなかった。亡くなって退位してはじめて、彼女の名を消したのである。

しかし完全に壊してしまうのではなく、一部はむしろ保護している。カルナック神殿のハトシェプストの記念碑がきれいに残っているのは、破壊するのではなく「隠されて」いたからでもある。トトメス3世は、きっと義母が嫌いではなかったと思う。ただ伝統を守るべきという立場から名前を消さざるを得なかっただけなのだと思いたい。でなければ、息子と不仲なまま権力を争い続けたハトシェプストは、とてもかわいそうな人生を歩んだ女性ということになってしまう。




何千年と前の話だ。現実がどうだったかなど、分かりはしない。
しかし想像してほしい。

「男装の女王」などという薄っぺらなキャッチコピーの裏側にある、実際にかつてこの地上に生きていた、一人の女性、王女であり、妻であり、母であり、そして政治家でもあったハトシェプストという女性のことを。夫にも娘にも先立たれ、息子も遠征で国をあけていることの多い中、彼女が玉座をどのように守ったのかということ。その人生はどんなものであったのかということ。義理の息子が成人後に、あえて「宰相」でも「大臣」でもなく「王」を名乗らねばならなかった理由とは何なのか。

誰かの作ったイメージに乗っかるだけで本当にいいのか? あなたはそれで満足か?
目の前にある断片に手を伸ばすことすらしないのか?

お決まりのフレーズを繰り返すだけのつまらない箱庭なんか出ようぜ! 分からないことは一杯ある。だったらそこを自分で埋めたっていいじゃないか。自由で奔放な想像は作家やファンにこそ許される特権なんだから。

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