現在位置を確認します。

アクセスカウンタ

zoom RSS 「神殿から始まる定住生活」アンデス文明の謎とナバテア文明のリンク

<<   作成日時 : 2015/09/03 00:10   >>

トラックバック 0 / コメント 0

半分寝ながら読書してるときだけ思いつくことがある。今日は↓コレと
古代アンデス 神殿から始まる文明 (朝日選書)
朝日新聞出版
大貫 良夫

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 古代アンデス 神殿から始まる文明 (朝日選書) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



↓コレを脳内MIXした思いつきの話し。
ナバテア文明
作品社
ウディ・レヴィ

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ナバテア文明 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


ナバテアって何やねん? というあなたにはこれをどうぞ。いわゆる「沙漠の都市」ペトラを首都とした政体の名前だ。「文明」とついているが、文明と呼ぶべきなのか文化と呼ぶべきなのかは微妙。遊牧民によって築かれ、壮麗な都市を築くもその後滅び去ってしまい、実体にはいまだ謎が多い。

そのナバテアとアンデス文明がどう結びつくのかという話だが、面白いところに共通点があるのだ。
それは、どちらも 定住後、最初に作ったものが神殿 というところ。


アンデスの考古学においては、畑作などが発展し、余剰作物が生まれ、階級社会となってから神殿を建てるのではなく、定住を開始した最初期に神殿が作られ、それが逆に農耕や定住、階級社会などを発展させていく動力源になったという意味で「はじめに神殿ありき」というフレーズが使われる。

「はじめに神殿ありき」とは1960年に「交差した手の神殿」の一部が見つかったときに泉靖一が発したフレーズであった。神殿があればこそ人が集まり物資や情報が交換され、社会も技術も、いってみれば文化の諸側面が発展していくという考え集約したフレーズである。


これとリンクするのが、定住を始めたナバテア人が最初に建てたものも神殿だったという話。

ナバテア人は、紀元前二世紀の半ばまで自分たちの建築様式を発展させなかった。遊牧民が生活様式を定住に切り替えるに際しては、通常は地元の建築の習慣を真似た永住用の住宅の建設を伴うものだ。しかし、ナバテア人にこの現象は見られなかった。彼らは宗教建築から着手した。これらの建築は後の居住用の世俗的な建築同様、高度に発展した様式によって特徴づけられる。



遊牧民の立場に立てば、"最初に神殿を作る"というのは理にかなっている。それはアイスランドにおける「立法の岩」のようなものとして誕生したのではないだろうか。すなわち、定期的に皆で集まるための集合場所である。

何しろ農耕は苦労ばかり多くてロクなことはない。遊牧生活のほうが楽だし、敵対部族などとの衝突も少なく、また異常気象や疫病にも強い。生活スタイルを急に変えるメリットはほとんどない。たまーに各地に散らばっている同部族が集まりたいだけなら、神殿だけ建てればいいんである。あとは仮設住宅とか。

その中から、集合場所に定住する人が現れたり、ちょっと農耕初めてみよっかなーみたいな感じで農耕に手を出す人が現れたりで、次第に町が出来ていく。遊牧生活から定住に移るとしたら、だいたいこんな感じではないだろうか。


実はアンデス文明の発展した地域でも、遊牧生活に近いことをしている人たちがいる。
アンデス山脈という切り立った山脈が背後にそびえたち、高低差を利用して生活できる地域なので、「夏は高地で放牧、秋になったら山を降りてトウモロコシを収穫。春にジャガイモを掘り出して、また高地の放牧に戻る」のような循環生活が出来てしまうのだ。

最初に神殿を作った、ということは、初期のアンデス文明の人たちもナバテア人と同じような感じで、移動生活をしながら、季節の集合場所として、つまり町内会の寄り合い場所として神殿を建てたんじゃないだろうか?


最初から定住ありきで考えるから、「家や畑が最初、なくても生活に困らない神殿は後」という考え方になってしまって、最初に神殿を建てる文明が奇異に映るのではないだろうか。移動生活者が建築するのなら、最初は「部族の象徴」的な建物を作るのは当然じゃないか。

分かってしまうと、なんも不思議なことはなかった。文明が「神殿」から始まってもいい。それもまた文明発展の、「ごくありふれた」一つのパターンなのだ。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

「神殿から始まる定住生活」アンデス文明の謎とナバテア文明のリンク 現在位置を確認します。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる