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zoom RSS 「エジプト」単体ではない視点をプラス。地中海文明史の考古学

<<   作成日時 : 2015/07/03 00:10   >>

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たまにはこういう本があってもいい。エジプトを中心にしつつ、その周囲の世界との関わりによってどんな風に変化していったか、という、プトレマイオス朝”以降”がメインの本。

「エジプト」とか「ギリシャ」とかって単品の文明として扱われてるけど実際は周りの文化と繋がっていて影響は相互に受けてるし、エジプトはエジプトで、エジプト本だとたいていローマ属州になったあたりでブチ切られちゃうんだけど、ほんとはプトレマイオス朝のあとにローマ支配→ビザンツ(東ローマ)支配時代→イスラムの時代 って連続して変化していくんだよね。



まず基本事項、周囲から見たエジプト文明の位置関係はだいたいこんな感じになる。

画像


ここで「初期文明」と呼ばれているエジプトやメソポタミアは、トインビーの言う「一次文明」のこと。何もないとこに最初に出現したもの。ギリシャやローマは、それらの影響を受けて発生する「二次文明」。(ただしトインビーはギリシャを、一次文明「エーゲ文明」の後継としている。エーゲ文明とはクレタ文明とかのことだが、ギリシャが東地中海の先行する文明の影響を受けたのは間違いないので、とりあえず位置としてはここでいいと思う。)

この図はかなり簡略化されていて、実際はもっと複雑に影響を与え合っているのだが、とりあえずは地中海を取り囲む世界の中で異なる文化圏が干渉しあい、エジプトという一地域がその中に組み込まれていたことが分かればOKだと思う。

古代エジプトをテーマにした本は、たいてい「ファラオの時代」で終わってしまう。
しかし、それ以降もエジプトという文化圏は独自の文化を紡ぎ続けている。それは、ファラオの時代に築かれたものが「壊れていく」過程ではなく、「変容」し、さらに「異なる姿へ進化」していく過程でもある。

変化の一つは知識のあり方、これはプトレマイオス朝時代に突入した頃に始まっている。それ以前のピラミッドや神殿の建造、ミイラ作りなどの知識、技術は、すべて神権政治の権威を高めるために使われており、人がよりよく生きるためだとか、世界の仕組みを知るためだとかには注力されていない。アレキサンドリアが学術都市として発展する中で生まれた知識のあり方は、自然科学的な物の見方をはじめてエジプトに取り入れさせた。支配層が変わったことにより、エジプトにギリシャ人が多く移住しはじめ、文化が交じり合っていく時代でもある。

しかし面白いことに、プトレマイオス朝と、それに続くローマの植民地支配時代には、庶民の暮らしはまだほとんど変わっていないのだという。テーベ近郊の村のあとの発掘で、ローマ支配時代の層から出た陶器片の中には、外国産のものは1万点のうち1つだけ。 "環地中海圏の生産品は、従来研究者が想定していたほどには、実数として属州の生活文化には入り込んでいない" という。ただその一方、技術の流入はめざましいものがあり、ギリシャやキリスト教の影響を受けた様式の土器が多数作られているという。

人の生活のうち、最も変化しにくいのは、日常生活における何でもないような習慣や風習だという。たとえば、朝飯にパンを食べるかコメを食うか、みたいな部分だ。これが大きく変化するのは、7世紀にイスラム化されたあと200年が経過した9世紀ごろのことだという。9世紀頃まではコプト時代とほとんど変わっていなかった出土品が、突然がらりと姿を変える。支配者階級が変わっても、宗教が変わっても一定だった人々の暮らしがそうなる背景には、アラビア語教育の徹底や、アラブからの移住民の増加、イスラム教への転向などの要因が重なっていると推測されている。ヒエログリフを崩した書き文字、ヒエラティックが最後に使われたのもちょうど9世紀あたりだったはずだ。「ファラオの時代」の終焉は、確かにここだったのだろう。

しかし、この時代から、エジプトは再び世界の中心として輝き始めている。続く10世紀から11世紀、ファーティマ朝の誕生とともに現在のカイロ対岸、フスタートが隆盛を極めるのである。アレキサンドリアが再び小さな漁村へ戻っていくとともに、かつてファラオの時代に首都だったメンフィスの近郊が栄え始めるという図式だ。ファーティマ朝、アイユーブ朝、そしてマムルーク朝と、カイロ近郊はイスラム時代の「知」をはぐくむ土地であり続けた。

「ファラオの時代」で終わるのでも、プトレマイオス朝やアレキサンドリアで終わるのでもなく、イスラームの知の時代、ここまで走り抜けられたら、ヨーロッパのルネッサンスは目の前。近代はもうすぐそこだ。そして現代へと歴史は繋がっていく。

歴史は、必ず「今」に繋がる。
過去を過去として、はるか昔の時点で途切れさせてしまうのではなく、「現在」まで繋がる一つの流れとして見られれば、歴史はもっと面白くなると思うんだ。


*****

あと本の内容が考古学よりなので、ちょいちょい挟まってるコラムの内容も面白い。

昔とはナイルの流れがかなり変わっているので、かつて海岸沿いにあった町が今は水中に没していたり、川沿いにあった町が川とは全然違うところにあったりする、ってのは、そういやそーだなー、と。

アレキサンドリア沖だけではなく、支流の流れが変化して今では水に沈んでしまった町もあるらしく、そういうのは水中考古学のジャンルになるらしい。


それと、エジプトにペルシャ人入植地もあったってのは今まで気がつかなかったかも。ギリシャ人やローマ人の入植地があるんだから、そりゃペルシャ人の町があってもおかしくないわ。ていうか、たぶんファラオの時代には、ヌビア人入植地とかヒクソス入植地とかも、元々はあったんじゃないのかな… 現地人と合流する前は。

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