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zoom RSS ムハンマド・アリーとエジプトの19世紀 ーエジプト近代化への道ー

<<   作成日時 : 2015/07/24 00:10   >>

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最近刊行された「世界史リブレット 人」シリーズの一冊、エジプト近代化の祖、ムハンマド・アリー。
当時のエジプト支配者ムハンマド・アリーの視点を通じて、オスマン帝国支配下にあったエジプトが、半独立状態で富国強兵への道を歩んだ19世紀を知ることの出来る一冊となっている。



 1517年 オスマン帝国のエジプト征服
 1769年 アリー・ベイ、オスマンからの自立を宣言
  *オスマンへの貢献金は送っており、完全な独立国ではなく属州的な扱い
 1798年 ナポレオンのエジプト遠征
 1805年 ムハンマド・アリーがエジプト総督に就任
 1811年 マムルーク大虐殺
 1820年 スーダン・エチオピア出兵、ジュメル綿の栽培開始
 1849年 ムハンマド・アリー退位


ムハンマド・アリーは外国人である。
その意味では、彼以前の「異国人がエジプトを支配する」という構図とは変わり無い。それでも、この人物をもって「エジプト近代化の祖」とするのには理由がある。それは、彼が「エジプト国民」という概念を創出したことだ。

オスマン帝国解体後、その領内は欧米列強の都合により、実際の住人の傾向や傾向、歴史などを全く無視して、定規をあてて適当に国境が引かれた。そのため、「国」という概念が生まれにくく、まとまりもなかった。しかしエジプトだけは、古代エジプト王国の時代から続く「エジプト人」という概念が、辛うじて生きていた。古代エジプトの国境線は自然要因によるものだった。奇跡的にも、その国境は現代の国境とほぼ重なる。

その上に、ムハンマド・アリーは「われわれはエジプト国民である」という概念を書き込んだ。これを「エジプト国民の創出」と表現するのは、実に的を射ていると思う。ちなみに、「ワタニーヤ」「カウミーヤ」といった概念の解説については、「エジプト人の自画像」(東洋文化研究所)に詳しく載っていた。



ムハンマド・アリーの時代は激動の時代でもあり、世界情勢は大きく変動している。
彼の時代にエジプトは、いわゆる"富国強兵"政策によって国力を大きく増大させている。19世紀前半には、農業でも工業でも重要な改革が行われている。一つはナイルの灌漑方法を変更して通年灌漑とし、輸出して外貨を稼げる商品作物を作ること。またインフラ整備が行われ、学術都市としての役割を終えたあとは寂れた村になっていたアレクサンドリアが、輸出港として息を吹き返し、カイロに次ぐ大都市にまで急激に発展する。全盛期の19世紀半ば、主要な交易相手国はイギリスとフランス。のちにエジプトを二重に植民地支配することになる列強国である。

また、ヨーロッパへの留学生を送りだし、外国人を徴用したりして国を"近代化"させていくのもムハンマド・アリーの時代だ。ほぼ独立国のように振舞うことの出来たエジプトは、オスマン領内でもいち早くヨーロッパ的な国家観を取り込んでいく地域となった。

"ムハンマド・アリーの統治については、評価が分かれる。当初、彼はカイロ市民から旧体制の桎梏(しっこく)からの解放者として歓迎された。しかし、その統治の後半には、彼の過酷な政策は怨嗟(えんさ)の的となった。とりわけ、兵役、強制労働のための労働力調達は農民に血税として忌みきらわれた。

彼の統治の間、エジプトは矢継ぎ早の国内施策や対外戦争にもかかわらず、外国からの借金に無縁であった。その意味において、当時、エジプトは経済的自立を成しとげていたということができる。しかしその結果は、農業部門への過重な財政負担、農村の疲弊をもたらし、間接的ながら、エジプトのヨーロッパ経済への従属化への道を開いた。"



歴史を評価するのは、後世の人間である。終わってしまってからとやかく言うなら誰にでも出来る話であって、もしムハンマド・アリーの時代に生きていて、エジプトを宗主国オスマンから独立した、近代化された国家として成立させようとするならば、ムハンマド・アリーの選択肢以外には無かったと思う。

この本には書かれていないが、エジプトの古代の遺跡の多くは、ムハンマド・アリーの前後の時代に大きく破壊されている。これは富国強兵政策の一環として、工場建設用地に使われたためである。

エジプトが変わるためには、過去を捨てなければならなかった。

古代エジプトの時代から続いてきた、ナイルの自然増水に頼った灌漑方法を捨て、綿花政策の可能な通年灌漑への転換を図ったこと。
輸出作物の生産によってグローバル経済に参加すること。

その一方で、海外出兵によるシリアやヌビアの支配は、古代エジプト時代のファラオたちが行ってきたことと同じである。

功罪はあるのだろう。だが、一つだけ誰しもが認めざるを得ない彼の功績がある。
"エジプトが、エジプトたること"の意味を現実世界に問いかけたこと。その答えを出したこと。ムハンマド・アリーは、確かに「エジプト近代化の父」であったのだ。


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