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zoom RSS 資本主義と大地の悲しき結婚/世界有数の穀倉庫だったエジプトが、綿花栽培を始めた理由。

<<   作成日時 : 2015/06/29 00:10   >>

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ちょい前のニュースでこんなのが流れていた。

英王室やディオールが愛したエジプト綿が存続の危機
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NQDESB6JIJUY01.html

あーまぁ、イギリスはエジプト植民地にしてた時代にエジプトの綿花を安く買い叩いてたからなぁ…
「英王室やディオールが愛した」とかカッコいいこと言ってるけどぶっちゃけ植民地支配の産物やからね、エジプトの綿花作付け面積が拡大したのって。自分らの食料になる小麦畑つぶしまくって綿花畑にして、高く売れるうちは良かったけど、売れる量が減ってしまうと、畑を維持できなくなったと。そりゃ時代の変化だから仕方ないさ、というお話である。


そもそもエジプトは、古代エジプトの時代を通して、ピラミッドや神殿など大規模な建設を賄えるほどの小麦の生産地だった。ローマ植民地時代には「ローマの穀倉地帯」として「パンとサーカス」のパンの部分を支え、アラブ支配の時代に入ってからも、ずっと豊かな穀倉地帯であり続けた。

状況が変わるのは19世紀初頭。当時の支配者ムハンマド・アリーが打ち出した富国強兵の一環として、綿花栽培が始めた時だ。

もともとエジプトは、ナイルの氾濫によるベイスン灌漑を利用した冬作の土地だった。ナイル川は毎年、夏になると、上流の雨季の水を受けて増水する。その水を使って灌漑を行う。秋に水量が元に戻り、秋の終わりから冬ごろに作付け。翌年の春に収穫する、というサイクルだ。これは、冬小麦の栽培サイクルと一致する。

しかし綿花は逆に、夏作でなければ育たない。ナイルの増水にあわせた自然のサイクルとは逆なので人工的に灌漑をする必要がある。ムハンマド・アリーの時代、綿花作を導入するに当たってまず必要だったのは、増水期の灌漑を可能とする運河の建設であった。(これはのちに「夏運河」と呼ばれるようになる)
水量の少ない時期でも畑に水を揚げられるようにし、水を増水期には水を防ぐ。
この事業は、19世紀末(1882年)のイギリスによる占領後も続けられることになる。

イギリスは、既にインドで植民地化した土地の改良と大規模作の推進を実践済みで、それらをエジプトにも適用した。こうして、エジプトは古代から続いたナイルの恵みによる小麦作を減らし、ナイルのリズムとは真逆のサイクルで栽培される、より高値で売れる国際的な商品――綿花――を大量に生産する国へと変わっていくのである。

19世紀初頭からのこの流れは、古代の灌漑法から近代の通年灌漑への切り替えも意味していた。
アスワン・ダムやアスワン・ハイ・ダムによるナイルの完全な水利制御は、この近代の灌漑法への転換をさらに進めた先にあるのだ。


それから百年以上が経過した現在、綿花は、既に国際市場でそれほどうまみのある商品ではなくなった。高級綿花の需要は、現在ではほんの数パーセントほどだ。かつて日本が蚕の養殖で富み栄え、のちに絹糸の需要低減とともにバブルが弾けたのと似たようなものだろうか。ただ日本と違い、エジプトの場合は、国が補助金を使って既に需要の減っていた綿花栽培を支え続けた。ナイルのリズムを変えてまで推し進めた農地改革、そう簡単に転向は出来なかったのだろうか。


綿花栽培を離れた農民たちは、これからどうするだろうか。
昔の小麦作に戻るのか、サトウキビやトウモロコシを栽培し始めるのか。それは分からない。
しかし、かつては小麦作の穀倉地帯であったエジプトが、今や大量の小麦を輸入に頼っているという現状を見るに、やはりここは、再びナイル様に頭を下げて、まず自分たちの食べる作物を作るのがいいんじゃないかなぁ… と、思う。

今のエジプトでは、パンの値段が暴騰しないように補助金を出しているので、同じ補助金出すんであれば、国内で生産した小麦を優先的に買い上げるとかして値段安定させたほうが安上がりな気がするんですよね… 日本のコメ作みたいな感じで…。


******

エジプトの治水の話とかは、ちょっと難解だけど、この本が詳しい。
タイトルだけだと内容わかりづらいけど、ガマール・ヒムダーンの著書をナイルの灌漑をメインに読み解きつつ、エジプトの近代の歴史とか地理とかについて書いてる本。




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