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zoom RSS メソポタミア=シュメール ではない。シュメール、アッカド、アッシリア、バビロニア、違いをまとめた。

<<   作成日時 : 2015/06/13 00:10   >>

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「メソポタミア」ってのはチグリス川とユーフラテス川に挟まれた間の土地だってのは歴史か地理かで習うと思うんで、たぶんみんな知ってると思う。でも、それ以上のことは忘れられているらしく、何でだかメソポタミア=シュメール、っていう勘違いしてる人が多いんだよね。メソポタミア文明=シュメール人の作った文明 ではないよ。

というわけでざっくりまとめてみた。

まず地名としての名称。メソポタミアは、現在の首都バグダッド付近を境に、大きく北のアッシリア南のバビロニアに分かれる。

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時事ネタでいうと、イラクの中で政府が掌握できてる場所がバビロニア、ISISに占拠された地域がアッシリア。きゃつらに破壊された遺跡の多くがアッシリアのものなのはそういうわけ。

で、南のバビロニアの中で、おおまかにニップルより北がアッカド、南がシュメールと呼ばれた。
シュメールと地名がついたのは、メソポタミアで最初に文明の誕生したのがこの辺りで、シュメール人が元々住んでいた場所だから。しかしのちに他の民族によってシュメール人は吸収合併を食らい、バビロニアが台頭してくる時代には国ではなく地名としてしか名前が残っていなかった。

ちなみにアッカドは、アッカド人が王国を起こしたことからついた地方名だ。

バビロニアの王は、シュメール人やアッカド人の王国を併合して南メソポタミアを統一した、という意味で、「シュメールとアッカドの王」を名乗っていた。



次に時代の区分。
こちらの年表を見ていただこう。

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「ウバイド期」と呼ばれている部分がメソポタミアで最初に文明が起こったあたり。その次にくるのが「ウルク期」で、ご覧のとおりメソポタミア南部の海に近いほうが発生が早い。南から北へ文化が伝播していった感じだ。南部で最初に王国を起こすシュメール人がウルク期の文化の担い手だ。

ただし、その前にあるウバイド期もシュメール人が担い手だったのかどうかは、実はイマイチよくわかっていない。というのも、シュメール人が王国を起こしたことは判っているが、元からそこにいたのか、王国を起こす時期になって移動してきたのか不明だからである。

ともあれウルク期からはシュメール人の時代となり、途中アッカド人の勃興も挟みつつ、ウル第三王朝の終わりまでが「シュメール時代」と呼ばれている。

シュメール人の時代が終わると次に始まるのがバビロニアの時代。バビロニア時代の担い手は、アッカド人と同じセム語系のアモリ人(アムル人)だ。東から流入してきたセム語系の民族と交じり合って、シュメール人は静かに消えていく。

一方でメソポタミアの北のほうではアッシリア人による王朝が築かれていた。
年表を見てのとおり、アッシリア時代はシュメールより遅れてスタートしている。ちなみに現在の国名シリアの由来もアッシリアで、勢力圏は現在のイラク国境より北のほうまで延びていた。



まあこれで地名と時代押さえてればだいたい間違わないかなーと思うんだけども。
ここでもうひとつ、大事なことがある。

地名、時代、民族、言語は別。

たとえばシュメールだと、地名としての「シュメール地方」、人種としての「シュメール人」、言語としての「シュメール語」という概念はじつは一致しない。シュメール語はシュメール人が他の人種と混血して消え去ったあとも現役で、シュメール地方の外でも使われている。

バビロニアがシュメール人やアッカド人を吸収していったように、アッシリアも、アッシリア人という単独の民族で成立していたのではなく、アモリ人、フリ人、バビロニアからの移住者、その他周辺の山岳地帯の民族など様々な民族の集合体だった。

だから厳密な意味で「シュメール」とか「バビロニア」とか「アッカド」とか「アッシリア」とかの言葉を使うときは、それが地名なのか、時代なのか、民族なのか、言語なのかを意識する必要がある。


ちなみにメソポタミアの本でよく書かれている「歴史はシュメールに始まる」のシュメールは、メソポタミア南部のシュメール地方、という、"地名として"のシュメールである。

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