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zoom RSS コズミック・フロント「クレオパトラが残した 古代エジプト天文学」を視てみた…が…。

<<   作成日時 : 2015/05/13 00:10   >>

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先日放映されたこれ。
http://www.nhk.or.jp/space/cfn/150416.html

エジプトものだしとりあえず見とくかー、と見たものの、途中で寝かかってしまうという大惨事。
…うーん。時間のわりに情報量が少ないわ、途中に関係ないシーンが入るわで、テンポがむちゃくちゃ悪い。そして必要な情報は入っていない。

画像


そもそものツッコミなのだが、メインとなっている、ルーブルにあるこの天体図、「クレオパトラの天体図」なんて名前で呼ばれるのを見たことが無い。一般的には「デンデラの天体図(Dendera zodiac)」と呼ばれる。視聴者ウケをよくするために、一般的でない名前を作り出したのだろうか。

だが、番組の大前提となっている、「この天体図はエジプト最後の女王クレオパトラ7世が作らせたものだ」ということ自体が正しくない。

デンデラの神殿は、パーツごとに建てられた時代が違うのだ。神殿本体は、プトレマイオス朝時代〜ローマ属州時代にかけて増改築されている。神殿の背面には、クレオパトラ7世と息子のカエサリオンがいるので、そこは確かに彼女の時代に作られた。しかし入り口入ってすぐの第一列柱室(色鮮やかな天体図が描かれている)を作らせたのは、ローマのティベリウス帝だ。

天体図のある屋上部分を作らせたのがプトレマイオス朝の時代だったとして、誰の命令によるのかは、かなり微妙な問題だと思う。

で、エジプトで天文学といえばあの先生だよなぁ、と思ってみていたら途中にご本人が出てきたので、やっぱりそういうことらしい。

とりあえずあれだ、この番組を一時間かけてみるよりは、↓この本を読むことをオススメする。
ていうか、ほぼ、この本に載っている内容しか出てこない…

わかってきた星座神話の起源―エジプト・ナイルの星座
誠文堂新光社
近藤 二郎

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デンデラ神殿の天体図がクレオパトラ7世のものだと匂わせる記述も、この本にある。

"現在、パリのルーブル美術館に展示されている、エジプトのデンデラにあったハトホル神殿の天体図は、プトレマイオス朝最後の支配者クレオパトラ女王(7世)の治世下(紀元前50年ごろ)に作られたもので、古代エジプトの固有の星座と、私たちが現在も使用しているメソポタミア起源の黄道12宮(獣帯)が、一緒に描かれているヘレニズム時代の貴重な天文資料です。"


紀元前50年という推定年代いただきました。それではプトレマイオス朝の年表を確認してみよう。

プトレマイオス13世
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/farao_ptr_13.htm

支配年代;前51年-47年

クレオパトラ7世
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/farao_ptr_kreo7.htm

支配年代;前51年-30年


きょうだいで結婚して同時即位しているので、紀元前50年頃という情報だけだと弟のプトレマイオス13世が作らせた可能性もある。ついでにいうと、紀元前51年まではパパンのプトレマイオス12世が在位していたので、元々はパパンの命令だった可能性もあるじゃないかという話。なんだかなーという感じ。そもそもの本のほうの記述だって、「クレオパトラ7世の治世下」とはあるものの、クレオパトラ7世本人が作らせたかどうか書いてないんだよね…。一番あやふやな部分を一番力強く断定してしまうという番組の作り方はどーかと思うよー。



さらに奇妙なことに、この本で否定されている説がいつのまにか定説になっている部分もある。それがここ。

"さらにこの天体図には「イシス女神」がマントヒヒの尾を引く図像があり、これは月の神であるマントヒヒで表現される「トト神」が、太陽を隠すのを止めていると解釈をし、”紀元前51年3月7日の日食を表す”とする説があります。あるいは、「ホルス神」の完全な眼である「ウジャト」の眼が描かれているものを”紀元前52年9月25日の月食を表す”とする説も、ルーブル美術館の説明には書かれていますが、これらの同定は異論も多く、そのように決定するには異論も多く問題があります。今後の研究が待たれます。"


これが番組の中ではなぜか規定路線の定説っぽく説明されていたのだが…”今後の研究”の中で、断定してもよい要素なんか出てきていないはずだ。類似する図が他にないので、この説は空想の域から出られずも、異論が多いのは当然なのだ。

そもそも古代エジプトの伝統では、天体の異変は記録に残さない。記録に残す=永遠に残す、という概念で、悪いことを記録するとそれが永遠のものとされてしまうというので、墓の装飾や公式記録には「良いこと」ばっかり書くのがエジプトの伝統だ。ヘビの絵を描くのに、わざわざ縛った姿で描いたりするような気の使い方。そのエジプトで、いくらプトレマイオス朝になって慣習が変化してきていたからといって、日食を描くだろうか…?


そんな情報より、この天体図の中にメソポタミア由来の星座が混じっていることのほうが重要じゃないかと思う。おそらくエジプトは、ギリシャ経由でプトレマイオス朝時代に黄道12宮の概念を取り入れた。それはエジプトの支配者がギリシャ人に代わり、ギリシャ人入植者が増えて、文化が混じり始めたことの証左でもある。

空の見方にロマンを打ち出すのなら古代からの星座の移り変わりを、天体観測の技術の変遷を全面に押し出すのならメソポタミアも絡めて星の観測記録や建築への反映をメインに構成すればよかった。両方に手を出した挙句、両方とも中途半端しかも不確かな情報を元に構成されているとか、誰得なのかわからん番組でした。うーん、コズミックフロントはほんと回によってアタリハズレでかい…。これが監修の差というやつか…。

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