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zoom RSS 吉村作治氏、「ピラミッドは墓ではない」と、まだ言い張っていた。

<<   作成日時 : 2015/03/13 00:10   >>

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「吉村作治の言ってること大半がデタラメだから信用するな」とは、このブログ始めたあたりから一貫して言ってる話ですが、最近露出減ってたので特に触ってませんでした。最近また出てくるようになったので行きますよー!


「ピラミッドは宗教施設」墓説否定…吉村作治氏
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150306-00050201-yom-ent

画像


間違いも100回言えば真実になるというのなら、よろしい、200回でも300回でも訂正してくれよう。


ピラミッドの中から王族の遺体が見つかっているケースは多数あります。

第三王朝 ジェセル王 −左足と金のサンダル(本人のものかどうかは不明)、頭蓋骨の一部
第四王朝 スネフェル王 − 燃えたミイラの片足
第四王朝 クフ王の母 ヘテプヘレス王妃 − カノポス壷セット
第五王朝 ウニス(ウナス)王 −右腕、頚骨、頭蓋骨の断片、肋骨数本
第五王朝 ネフェレフラーー王 - 内臓壺とミイラの一部 20-25歳の男性
第五王朝 ニウセルラー王の王妃の一人? − 25歳前後の女性の破損したミイラ
第五王朝 ジェドカラー王 - ミイラの残骸 およそ50歳 玄室未盗掘のため本人と思われる
第六王朝 テティ王 −片方の肩と腕一本
第六王朝 テティ王の母 セシェシェト(シェシェティ)王妃 −頭蓋骨、足、骨盤の骨
第六王朝 テティ王の王妃イプト ミイラ本体
第六王朝 ペピ1世 − カノポス壷1つ(中身の内臓についての検証はなされていない)
第六王朝 メルエンラー1世 -王族の少年のミイラ 若くして亡くなったファラオではあるが、本人かどうかは不明


以上はうちのサイトのページからの転記ですが、本職の学者さんが書いた本でも指摘があります。以下。

図説 ピラミッドの歴史 (ふくろうの本)
河出書房新社
大城 道則

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この本では、「ピラミッドが墓である」とする理由について以下のように述べています。


ピラミッドを墓だと提案するのに、上記の王のミイラの数だけでも十分であるが、王妃や王子を含む王族のミイラは、王以上の数が確認されているのである。さらに埋葬に必要不可欠な石棺や木棺、あるいはカノポス壷とカノポス壷箱、ときには古代エジプト王権の象徴である聖蛇ウラエウスを模した黄金製品などの副葬品までもが玄室から出土しているのである。その上、エジプトのピラミッドの末裔たるヌビアのピラミッドには、王も王妃も副葬品とともに埋葬されていた。これらの事実は、ピラミッドが墓であったことを決定づけている。



ですよねとしか言いようがない。

ちなみに近年エジプトで発見された118基めのピラミッドからは、王妃シェシェティご本人様のミイラが出てきています。「Queen Shesheti」で検索すると当時のニュースがあれこれ出てきます。それを見てないなんて言わせない。この人は間違いなく、知っててなかったことにしているのです。

存在する証拠を無かったことにするのは学者としてやってはいけないことです。不誠実どころではなく科学者失格、この人にグラハム・ハンコックを批判する資格などありません。同じレベル。



「ピラミッドは墓ではない」という説は、世界的に見て一般説ではないし、それが一般常識とされたこともありません。


当たり前です、だって「墓から遺体が見つかってない」のが根拠だとしたら、それはググれば即座に反論可能な、根拠にもならない根拠なんだから。言ってるのこの人だけです。他の"マトモな"エジプト学者で、この説を支持する人はまだ見つけたことがありません。(説はともかく、吉村氏を先輩として崇拝してる人なら見たことはあるけど…)

ピラミッドが墓ではないと考えられていたのはだいぶ昔の話で、たとえば聖書ではピラミッドが穀物庫ということにされていたりします。近代では「一部の儀礼的なピラミッドを除けば基本は墓」というのが定説です。







ちなみに「第二の太陽の船」と言われているものは、今のところ太陽の船だという証拠がありません。
それは一つの説です。

そして、 クフ王の船は、吉村氏が発見したものではありません。


どうせわかんねーだろ、って他人の手柄を横取りするのも、学者として絶対に許されないことです。日本のマスコミだけですよ。こんなデタラメを調べもせずに、本人の主張だけ聞いて流してるの。

本当の発見者はエジプト人で、Kamal el-Mallakh さんです。

発見は1954年。エジプト考古庁によって発見されてい、一隻は先に復元したけど、もう一隻は存在だけ確認してそのまま地中に置かれていたんです。それを改めて電磁波地中レーダーで確認したのが早稲田の調査室だったってだけ。それを「発見した」とか話膨らませてるうちに、たぶんご自分も本当に発見した気になっちゃって記憶が置き換わってるんじゃないですか(笑) ちなみに早稲田以前にも他の発掘隊が確認作業してるし中も覗いてるんで、再確認だけなんですよね…。

[>参照 クフ王の「太陽の船」を巡る諸説と、本当の発見者
http://55096962.at.webry.info/201107/article_39.html



で、「クフ王の「太陽の船」復元について <太陽の船ではない可能性を、お忘れなく!> 」という記事でも書いたとおり、太陽の船だと考えている学者と、そうではない学者とがいて、決着はついていません。

そもそもピラミッドの周りにあった船は二隻だけではなく、実際に船が収められたと思われる遺構も二つではないので、吉村氏の主張する「二隻あったから太陽の船だ」という主張は根拠には全くなっていません。壁画などに描かれる「太陽船」とは形状が異なってるので、これを太陽の船だと考えるのは無理があると思います。

というわけで、この人の言ってることは凄まじいデタラメの山なので気をつけましょう。学説的にどっちか分からないとかいうレベルじゃなく明らかな間違いが非常に多いです。権威でもなんでもないです。STAPの人でも博士号が取れる世の中なので、博士であることとマトモかどうかは別問題。


人の記憶が薄れるものだというのならば、ラーが東の地平から昇るがごとくに繰り返し、目に留まる限り何度でも訂正させていただきます。




*******

吉村氏が、存在した証拠を無かったことにしたのはピラミッドだけではありません。ツタンカーメンのヤグルマギクでもそうです。多数の花束が墓におさめられていたのに、まるでヤグルマギクだけだったかのように主張した。また、墓に花を入れるのは当時のエジプトで一般的な習慣だったのに、他に例がなかったように言い張りました。

他人の手柄を横取りしたのも、太陽の船だけではないです。ピラミッド内部の空洞の発見でも、古代エジプトビールの製法でも、その他遺跡の発掘に関してもうんざりするくらい「自分が発見した」「自分の説だ」と言い張ってますが実際調べてみると違います…。

結局この方の業績、手柄って、一体何なんですかね?(笑

ちなみに日本でエジプト学の基礎を築いたのも、ご自身が主張するようにこの人の手柄というわけではありません。先人たちの基礎の上に成り立っています。初めて発掘隊をエジプトに送り込んだのはこの人だったのかもしれませんが…。それだって、当時の恩師を担いでの話ですよね? まず川村先生や渡辺先生に感謝するのが筋だと思うんです。

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