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zoom RSS 「森に生まれ、森を食べ、森に生きる」。ヤノマミの本+番組を見てみた

<<   作成日時 : 2015/02/07 00:10   >>

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アマゾンのジャングルに暮らすヤノマミ族という部族がいる。

先住民と言ってしまうとなんだか未開人のように聞こえるが、彼らは最初にアメリカ大陸にたどり着いた人々の子孫だ。氷河期の終わった一万数千年前からそこに暮らしてきたという。
ブラジル、コロンビア、ベネズエラにまたがる国境地域の深い森に暮らしているが、現在、大半が保護区とされているブラジル側に住んでいるという。

ほんの少し北に行けばマヤ文明の遺跡があるが、彼らのもつ文明はマヤとは全然別ものだ。文字はない。石も刻まない。体系化された宗教もなければ土器も作らない。
ただ、彼らはマヤと同じように森に生きている。

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ヤノマミという部族自体は知っていた。昔なんかの本で読んだ覚えがあったからだ。ヤノマミが「人間」という意味で、ヤノマミ以外の人間のことは「余所者(ナプ)」と呼ぶことも知っていた。が、その部族に住み込んで番組が作られていたことは知らなかった。

NHKスペシャル ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012035560SA000/

この番組を作るに当たって、150日間に渡りヤノマミの集落の一つに住み込んだ人が書いた本がこれ。

ヤノマミ (新潮文庫)
新潮社
2013-10-28
国分 拓

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率直に言って、文章で読む限りはあまり衝撃は受けない。

「ふーん」という感じ。嬰児殺しの風習は別に珍しくないし、逆に姥捨ての風習がある部族もある。というか日本だって昔は飢饉の年には口減らしをし、老いた祖父母を山に連れて行ってたんである。現代の倫理観でしかものを考えられない、見ようとしないのであれば、異文化に触れてもしょうがない。

けれど実際の映像を伴うとき、そこにはやはり多少の衝撃を伴う。

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ヤノマミの考え方では、母親の胎内に宿る命は精霊であり、赤ん坊は、母親が抱き上げたとき精霊から人間に変わるのだという。人間として迎え入れた子供は、一家全員で育て上げる。だが、育てられない時は「精霊のまま天に返す」。すなわち嬰児殺しを行う。子供は白蟻の巣に入れて食べさせ、食べつくされたあとに巣ごと燃やす。白蟻は、人間が生まれ変わる最後の姿だとされている。

人として受け入れられる子供。
精霊のまま天に返される子供。
決めるのは母親自身であり、母以外の誰も決定に関わることは出来ない。

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番組の中では抽象的なナレーションだけなので、生と死の強烈な対比だけだが、本のほうを読むと、それぞれの選択の意味がわかってくる。家族が多すぎる場合。娘も出産を迎えようとしている場合。未婚のまま妊娠して父親が名乗り出ない場合。女たちは家族を守るための選択を強いられる。

出産には、男たちはいっさい関わらない。陣痛を迎えると女たちは人知れず森に消え、男たちの知らないうちに(あるいは知らないフリをしている間に)子供を人として迎えるか、精霊のまま天に返すかの選択をする。女が子供を抱いて帰れば、男たちは何も言わずにそれを受け入れることになっている。

その選択には、家族全員の命がかかっているといってもいい。
家族が増えれば狩りの回数を増やさねばならず、食料を得るための労働はキツくなる。男手の少ない一家は養える家族が少ない。みなが飢え死にするが、赤ん坊を天に返して残る家族が生き延びるか、である。



今回は、先に本のほうを読んでから番組を探した。
理由は、ヤノマミの人たちが笑うところを見てみたかったからだ。ヤノミマは「アハフー」と不思議な笑い方をするという。こればかりは映像がないとよく分からない。で、番組を見ると、そこまで不思議な笑い方ではなかった。

同じモンゴロイドということもあり、ヤノマミの見た目は日本人にけっこう似ている。田舎のおばちゃんにいそうな感じの人もいる。女性たちの笑顔は不思議なくらい明るい。だが、取材に入った集落では、一年に生まれる子供たちの半数以上が天に返されるのだという。女たちはみな、命の選択を乗り越えてきた偉大なる母親たちなのだ。森に食べられた子供たちのことを思って時に泣きながら、明るく笑うのだ。

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目の前で母親が、未婚の少女が生んだばかりの子供を殺すところを見てしまった番組スタッフは、かなりの衝撃を受けたようだった。
番組の中ではナレーションもなく、草陰で手元は隠されているので見ている人にははっきりとは分からないかもしれないくらいソフトになっている。本のほうで読むと、そのときスタッフが見ていたもののことが書かれている。
実際、それは衝撃的なシーンだろうと思う。自らの手と足で、子供を殺す。

しかしそれは、父親が名乗り出ず、畑を手伝いに来ない(結婚の意志がない)ことを確認したあとに行われた儀式だった。番組でも本でも、子供を殺すか、生かすかの選択は母親が決めるとされていたが、よく行間を読めば、それは完全に母親の意志のもとで独立して行われているわけではないことがわかる。相手の男が、孕ませた娘の責任を取らず知らん振りをしたから、子供は殺されたのだ。

子供が増えても家族を生かせるか。夫や父に養う余力があるか。そこには誰の助けも借りず独力で森に生きる者の、冷静で打算的な生存のための判断がある。母に与えられた生殺与奪の権利は、女が困窮しないためのシステムである、と考えることも出来る。だから生まれてきたばかりの子供は精霊なのだ。精霊は死ぬのではなく天に還るだけなので、誰も罪悪感を持つ必要がない。

おそらく西洋的な価値観でもって「命を奪うことは罪である」などという概念を持ち込んだら、このシステムは崩壊するだろう。罪悪感に囚われた女たちは精神的に酷い目にあうに違いない。そもそも、天に返される子供が増えたのは、近くに保健所が出来て幼児医療が施されるようになって死亡率が劇的に下がったせいだという。昔のままの死亡率であれば、天に返される子はずっと少なかったはずだ。





番組には時間制限があるから、本に出てきて番組では取り上げられていないことは沢山ある。
楽しい祭りの話、恋の話、長老たちの話、止まない雨の間撮影スタッフが何をやっていたか、等々。嬰児殺しの話は確かにショッキングで印象的なのたが、それが全てというわけではない。

最長老の偉大なるシャーマンの語る五十年にわたる放浪の話に焦点を当てて番組を作れば、また違った切り口になっただろうと思う。かつて大勢いたヤノマミが、外から持ち込まれた天然痘やはしかなどの病で大勢死んでいったこと、ハイウェイ建設のために森が切りひらかれたこと、「文明」に追われるようにして流転し続けたこと。

その偉大なシャーマンの老人が集落の支えであり、集落をヤノマミらしく保たせている柱なのだという。既に高齢な老人は、自分の命はそろそろ尽きようとしていると語る。変わっていこうとするもの、失われていこうとするものの狭間がそこにある。

他の多くの「文明」に触れた未開部族たち同様、ヤノマミも、急速に「文明」化されつつある。
取材に行った村でも既に携帯やテレビ、ラジカセは知られているし、保護団体の持ち込んだパンツやサンダルが普及している。ナイフや金属製の鍋なども外から持ち込まれたものだ。

「文明」が持ち込まれたことで、彼らの生活は否応なく変わっていく。
子供の生存率が上がったことで、女たちは昔より多くの子供を天に返さざるを得ない。
町で学んだことで、長老たちへの尊敬が失われ、シャーマンの祈祷より近代医療が重んじられるようになる。



だが、すべてはそのままでないにしろ、何かは残るはずだと私は思った。
それは、先に「文明」化されたほかの部族たちが証明しているのだから。

森は減ってしまうかもしれないが、きっと全部は消えないだろう。森が消えない限りは、ヤノマミ<人間>は、人間でありつづけられるはずだ。

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