現在位置を確認します。

アクセスカウンタ

zoom RSS 第二中間期の王「セネブカイ」、その壮絶なる死に様が判明

<<   作成日時 : 2015/02/28 00:10   >>

トラックバック 0 / コメント 0

2014年にアビュドスで新たに発見された王墓から出てきた王様のご遺体(ミイラではなく骨)から、壮絶なる死を迎えたことが明らかになった模様。

American Egyptologists prove Pharaoh was brutally killed in a battle away from home
http://luxortimesmagazine.blogspot.jp/2015/02/american-egyptologists-prove-pharaoh.html

※ご遺体写真あり。


2014年の発見時ブログ記事はこちら。

第二中間期 失われた王朝と忘れ去られた王 「アビドス王朝」セネブカイの墓発見ニュース

死因は戦闘によるもので、18もの傷を負っていたようです。足の脛という、普通に立って戦ってると傷を負いにくい場所が切られていることから、高いところにいて、まず足に一撃を受けて転倒したか引き摺り下ろされたところを、頭蓋骨に致命傷を負ったという推測がなされています。骨盤から馬に長時間騎乗していた可能性もあるといわれており、馬から転落したのではとも。

ただ、第二中間期はまだ馬はほとんど入ってきておらず(ナイルデルタのアジア人コミュニティにはいた)、エジプトでは騎乗して戦う方式は一般的ではなかったため、王が自ら戦場で馬に乗るのはちょっと考えづらいです。ていうか今の時代みたいな身体のデカいサラブレットも戦闘馬もいない時代、馬で突っ込んだら単なる良い的にしかならなさそう。
引き摺り下ろすなら玉座とか輿じゃないのかな…。
この王様が珍しく騎乗で戦う特攻な人だったのかもしれませんが。

死亡年齢は35歳から49歳。古代世界では老人の部類ですね。
身長は172cmから182cmとのことですが、これが正しいとすると古代エジプト人にしては長身に思えます。
馬に乗っていたかも、という情報とあわせて考えると、そもそもこの人は土着エジプト人ではなく、第二中間期前後に増えていたアジア方面からの移民なんでは、などと考えてしまいます。
墓内部の装飾のショボさからしても、エジプトっぽく真似てみたけど失敗しちゃったよ的なノリを感じますし。まあそこはそれ、そもそもアビュドス王朝自体、この王様の墓で発見されたようなものなので、今のところはっきりとは言えません。


ちなみにセネブカイが生きていたのより少し後と推測される時代の勢力図はこんなかんじ。

画像


スキャンしたらちょい分かりづらくなってしまいましたが、元ネタはこの本なので興味ある方は探してください。

古代エジプト (地図で読む世界の歴史)
河出書房新社
ビル マンリー

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 古代エジプト (地図で読む世界の歴史) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


第二中間期は群雄割拠の戦国時代なので、多くの小国家が生まれては消えるを繰り返していました。で、現在知られている年表は分かっている範囲のものに過ぎないです。即位の順番や、所属王朝や、その王朝の勢力範囲がハッキリしない王様もいたりします。そこに新たに見つかったアビュドス王朝が加わったというわけ。

アビュドス王朝が存在したのが紀元前1650年ごろ−1600年ごろと考えられていて、この勢力図(紀元前1600年)の時点では、既に消滅していることになります。
最終的にエジプトが再統一されるのが紀元前1550年前後で、最後まで生き残って全国統一をかけて決戦となったのが、緑でマーキングされたヒクソス人によるアヴァリス王朝と、薄い紫でマーキングされた土着エジプト人によるテーベ王朝。ちなみに右のほうの目立ってるオレンジはヌビア人王朝で、エジプトではなくお隣のスーダン部分です。この時点では、アビュドスはテーベ王朝の勢力圏になっていました。



セネブカイ王が戦死した姿で発見されたことから、戦闘の相手は誰だったのか? というのが問題になってきますが、現時点ではぶっちゃけどの勢力かは分かりません。アビュドス王朝は第二中間期の半ばには消滅しているので、それ以降まで生き残っていた勢力であれば、どこも候補になり得ます。記事では「ヒクソスと戦ったかもしれない」と書かれていますが、それは研究者の願望に過ぎないです。

というか、馬を主力として導入していて騎馬にも慣れていたのなら、アビュドス王朝もヒクソス勢力の一部もしくは同族による国家だったと考えたほうがしっくりくる。

紀元前1550年前後の最終決戦の頃の勢力図では、アビュドスより北のクサエのあたりまでテーベ王朝が勢力を拡大していたことになっているので、むしろセネブカイが戦った相手はテーベ王朝だったと考えるのが妥当な気がする。いずれにしても、現時点では確固たる証拠が何もないですが。




トリノ・パピルスでは、この王様と同じ王朝に属すると思われる名前があと15行ほど残されています。もしかしたらこれから、まだ未知のファラオ様が出てくるかもしれません。
果たしてアビュドス王朝の真実を知る鍵は、まだどこかに眠っているのか。古代の聖なる都は、古代エジプト歴史の分だけ積み上げられた謎を秘めているようです。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

第二中間期の王「セネブカイ」、その壮絶なる死に様が判明 現在位置を確認します。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる