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zoom RSS 思索の旅インド編 ローマからガンダーラへ至る道。

<<   作成日時 : 2015/02/23 00:10   >>

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年末に「三笠宮殿下米寿記念論集」の「執金剛神(像)の起源」という小論読んだときに「?? なんでインドの像がギリシャの影響を受けたりするんだい」みたいな感じで、何が何だか良く分かっていなかったので、自己フォローで調べてみた。

ようやく理解したぞ。


 そもそもガンダーラはローマとの関連が深かったので
 ガンダーラ美術には地中海からの影響が強く出ている。


ガンダーラはクシャーナ朝の首都のあった場所で、紀元前6世紀頃から栄えた場所。インド/アフガニスタン/中央アジアを結ぶ交易路の要所でもあった。紀元前4世紀のアレクサンドロス遠征後にはギリシャ人も多数移住している。よって、ギリシャ美術と出会ったことは何の不思議もなかったのだった。
ガンダーラで作られたアポロン像やら、ヘラクレスを真似て作られた金剛像やらはそういうことだ。


この図が分かりやすかった。ローマからシルクロードを経由して東へと至る主要交易路だ。

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このルートに沿って西のモノ・人が東へ、東のモノ・人が西へと移動していった。
ポンペイからは、インドの女神像も出土しているという。

ちなみにポンペイといえばエジプト美術に影響受けた壁画が残ってたりもする「エジプトマニア」な町でもあった。ポンペイの住民はかなりオリエンタルな嗜好だったのかもしれない。

ガンダーラ美術をよくよく調べていくと、神像以外でもギリシャモチーフのものがたくさん見つかる。

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この流れを踏まえて、もう一回「執金剛神(像)の起源」を読んでみたらめっちゃ意味分かった。分かりましたよ。「執金剛神という従者の姿がヘラクレスをモデルにして作られている」というのは、抽象的な意味じゃなくダイレクトな意味で、「ヘラクレスをモチーフにして執金剛神の姿を創造した」という意味だったんだ。



この一件により、中の人は「インド」と一括りにすると理解不能になるのであって、インドは最低でも北部/南部に分けなくてはダメだということを学んだ。あとインダス以前/インダス文明繁栄期/インダス後 も全然違うんだな。まあ数千年単位で時間流れてますし。


しかしあれだ。
ギリシャ彫刻って元々エジプトやメソポタミアの人物像の影響を受けて、途中から独自路線に入っていくわけで、そのギリシャ彫刻がガンダーラ美術に影響を与えたとなると、時代順に

 エジプト・メソ→ギリシャ→ガンダーラ→中国や日本の仏教芸術

…と、古代エジプトから現代日本まで繋がる美術の系譜が、一本のラインで描けたりするんじゃなかろうか。そう考えるとwktkしてくるじゃないですか。
いやあ、やっぱ人間の歴史って面白ぇです。

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